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特別教本:一部特別公開

2017~18年年末年始セミナー特別教本『仏陀の智慧・慈悲・精進の教え 立ち直る力と願望成就の法則』第2章公開
(2019年5月26日)


第2章 願望成就・目的達成の智恵


1.はじめに

第一章では、苦しみに強くなる智恵について探求したが、本章では、視点を変えて、願望成就・目的達成の智恵について述べたいと思う。ただし、苦しみを取り除くことと、願望の成就や目的の達成は、裏表の側面があり、共通項も多いことに留意されたい。


2.一般的な願望成就のノウハウ:意志・自信

一般的に願望成就・目的達成のノウハウとして、第一によくいわれていることは、願望を成就させる明確な意志を持つことであろう。具体的には、「自分はやる」という意志を持ち、それとセットで、「できる」という気持ちを持つことである。
そして、自分が自覚した意識(表層意識)においてだけではなく、自覚していない深層意識(潜在意識・無意識)にも、その意志を浸透させるという考えがある。例えば、一部で使われる手法として、「(これから)する」という未来形の意志ではなく、「できた」という過去完了形のイメージをすることがある。これは、未来形である意志の場合は、その裏側の潜在意識では、逆に「今はまだできていない」という意識が残るが、過去完了形ならばそれがなく、潜在意識まで意志統一できるという考えであろう。
しかし、そもそも否定的な想念が絶えず強く、自信がない人の場合は、なかなかこれが難しい。よって、その前に、第一章では、否定的な想念を止める「気分転換・リセット」や「自己を客観視する瞑想や内省」、さらには、「自分に自信をつける」ための基礎的な訓練などを紹介した。


3.目的達成の手段を具体化する上でのポイント

そして、目的達成の意志は、その達成の手段と深く結びついている。達成の手段が明確でなければ、そもそも具体的には何をしたらいいかわからないから、実際の具体的な行動に結びつかず、そのため、意志自体が不明瞭のままとなって、何も達成することができない。そもそも、ある目的があった場合、それを達成する手段を実現することが、その下位の目的となる。つまり、目的の手段の達成が、第二の目的となり、第二の目的の手段の達成が、第三の目的となる。
さて、達成の手段を具体化するためには、普通は、そのために役立つ情報を収集する。例えば、自分がやろうとしていることが先例のないものでない限りは、似たような目的を実現した他者が提供する情報・成功例などを収集する。ただし、前章で述べたとおり、妬みが強い人は、他者の成功例を吸収せずに否定してしまう傾向がある。そのために自分自身も自信を持つことができず、達成のための手段を失う場合もあることに留意すべきである。
さて、先例がないような場合は、暗中模索することになるが、そうした場合でも、目的達成の手段をつかむための鍵の一つとなるものが、安定した心である。安定した心は、主観・感情に左右されず、物事を偏りなく、客観的に合理的に正しく判断する知性を与えてくれる。また、心が静まっている時こそ、突破口を得るためのひらめき・インスピレーションが生じやすくなる。これは、仏教では智慧(智恵)とされるものである。こうした、いわゆる創造性といったものも、安定した前向きな心の働きから生まれやすい。
また、心の安定や知性・智慧と連動して、目的達成の突破口を開いていく土台となるものが、健康・長寿や良い人間関係といった基本的な力であろう。健康は、長期間の継続的な努力を可能とするし、良い人間関係は、目的達成のために、他人が自分にはない智恵や力を与えてくれることになる。この心の安定・知性・健康・人間関係は、心理学においても、人の幸福のための四つの重要な資源といわれている。


4.失敗の苦しみを超えて、努力を継続する重要性

また、何事も一直線に成功するものではないから、失敗を嫌がる心の働きは、最終的な達成を阻むものとなる。
諺(ことわざ)にも、「失敗は成功のもと」というが、努力を続ける限り、成功に限らず、失敗も、その人の貴重な経験となり、成功のための材料・ステップになるという考え方が重要である。すなわち失敗の苦しみは、成功のもとであると考えて、喜びにしていくことである。
例えば、1000回の実験を経た果てに白熱電球を発明したとされるエジソンは、それ以前の999回の失敗に関して問われた時に、「それは失敗ではなく、成功のためのステップであった」と答えたという。
失敗は、確かに苦しいものであるが、視点を変えてみれば、失敗とは、それが成功の道ではないことを知ったということでもあるから、その意味で、成功に一歩近づいた、成功へのステップである。よって、そのように前向きに解釈して、失敗を成功へのステップとして前向きにとらえ、努力を続けるのである。
そして、ウィンストン・チャーチル(元英国首相)は、第二次世界大戦で、破竹の勢いで領土を拡大していたナチス・ドイツの侵略を食い止め、最終的に打倒した英雄であるが、彼は、「成功する能力とは、意欲を低下させることなく、次から次に失敗を経験する能力である」と語っている。
チャーチルは、幼い頃の言語障害を克服し、陸軍士官学校の入学試験にも繰り返し失敗した上で3度目に合格、首相になったのも2度の落選の後であり、まさに「失敗は成功のもと」を体現した人物である。そして、ナチス・ドイツがヨーロッパ大陸全体を支配し、自国が危うい状況にあった時も、「決して、決して、決して、諦めない」という有名な言葉を残した。
こうして、諦めない者には「失敗は成功のもと」となる。一方、継続的な努力をしない性格の者が、最初に成功すると、慢心に陥って、その成功体験にいつまでも固執して、失敗する場合がある。これは、継続的な努力がなければ、「成功が失敗のもと」になるケースである。
こうして、絶対的な失敗と絶対的な成功というものはなく、失敗と成功は、長期的には、移り変わる、入れ替わる性質がある。そして、努力する者には、成功と、成功のもととなる失敗があり、努力しない者には、失敗と、失敗のもととなる成功がある。努力は、全てを成功に変え、怠惰は、成功さえも失敗の原因にする。
エジソンやチャーチル以外にも、人生前半に何度も繰り返し失敗しながら、継続的な努力を通して、後に大きな達成をした事例は数多く存在する。例えば、英国ではなく、米国の大統領においても、奴隷解放などで名高いリンカーンの政治生活は、8回連続の選挙での落選から始まっている。これは、まさに七転び八起きの人生である。
エジソンが創業者であるゼネラル・エレクトリックス(GE)に限らず、米国の世界的な企業に関していえば、ビッグスリー(米国三大自動車会社)のフォードも、初期には4回の倒産を経験している。あのディズニーも、当初は3回の倒産を経験し、そのアイディアはバカにされていたという。彼らが、前半の失敗で諦めてしまっていれば、歴史に名高い大統領も、現在の世界的な企業も、存在しなかったことになる。


5.結果にとらわれすぎると、逆にうまくいかない場合がある

次に、前章で述べたこととも関係するが、願望をかなえる手段に集中するのではなく、願望がかなうかどうかの結果にばかりにとらわれると、様々な心の問題が生じて、逆にうまくいかないという仕組みがある。
第一に、願望が成就しない=失敗することをひどく恐れるあまり、何事にもチャレンジができなくなるのである。この場合は、成功も失敗も何の経験も得られずに、智恵が深まらず、成功から遠のくことになる。また、この変形として、失敗した結果を受け入れられずに、それをもっぱら他人のせいにして責任転嫁をする場合がある。この場合も、必要な反省と改善の努力ができないので、成功から遠のくことになる。
そして、チャレンジできなくなる状態がひどくなると、いわゆる引きこもり状態となる。また、責任転嫁がひどくなると、自己愛型人格障害や被害妄想などを呈する。こうして、結果を気にするあまり、心の安定・バランスを損なうと、他との人間関係を失ったり、損なったりするとともに、自身の健康をも害してしまい、これでは、何事も達成できない。健康と良い人間関係は、願望成就の土台であることはいうまでもない。
第二に、結果を気にするあまり、不安その他によって、心が不安定になると、物事を正しく合理的に判断することができなくなることである。
前章で述べた通り、悪い結果に対する不安を感じること自体は、問題を事前に把握して防止したり、備えたりすることにつながるので、むしろ必要なことである。しかし、結果を気にしすぎて、悪い結果に対する不安が強くなりすぎると、焦るがあまりに物事を正しく判断できず、逆の目に出る自滅的な選択をする場合が少なくない。企業の倒産なども、辛抱が効かずに、自滅する事例がある。
また、これとは逆のケースとして、慢心に陥るなどして、膨れた自己愛から、「悪い結果となる可能性を見たくない」という心の働きが強くなると、問題を未然に防止することができなくなる場合がある。こうして結果にとらわれすぎない、バランスのとれた心の状態が重要である。
第三に、結果を得ようと、自己中心的な考えに陥って、不正な手段を用いる場合である。これは、自分の実力を高めるどころか、自分を甘やかして堕落させるものである。さらに、いうまでもないが、最初はごまかせても、いずれは発覚し、他者の信頼・人間関係を損なって、長期的には失敗に終わることになる。これも、願望成就の土台となる良好な人間関係を損なうことになるし、不正手段を用いている場合は、その発覚を恐れた内面のストレスも非常に強いであろうから、それで健康を害する可能性も高くなる。
逆に、結果にとらわれすぎることなく、今なすべき手段の実行に集中するなどして、安定した心を保つならば、物事を正しく判断する能力を高めることができ、健康と他者との人間関係も損なうことがない。よって、安定した継続的な努力を長期間にわたって積み重ねることができるから、願望を成就しやすくなる。これを諺の経験則を借りて表現するならば、「果報は寝て待て」、「勝つと思うな、思えば負けよ」、「笑う門には福来たる」、「急いては事をし損じる」「急がば回れ」などであろう。


6.心を静めると、願望達成の道をより正しく理解できる

これまで述べたことと関連するのが、前章でも述べた、心が静まると物事を正しく見ることができるという法則である。これは、仏教の止と観(禅定と智慧)の教えに通じる。すなわち、「心が静まる(止) ⇔ 物事がありのままに見える(観)」というものである。
逆に、前項でも述べたとおり、心が不安定な時は、物事を正しく見ることができずに、錯覚を起こして間違った行動をして失敗しやすい。そして、そうした失敗は、心の波のトップとボトムの時に、言い換えれば、躁(そう)状態と鬱(うつ)状態の時に起こりやすい。心が喜びに浮ついている時と、心が苦しみで乱れたり、落ち込んだりしている時である。
まず、苦しい時は、苦しみを実際以上に過大視する傾向がある。例えば、実際に何かの苦しい経験をする前にも、絶えず不安を抱き、苦しい経験をした後も延々と後悔するケースがある。この場合は、恐怖と強い焦りにつながって、間違った行動をとって、逆に苦しみが増大する場合がある。よって、厳しい時こそ、逆に、努めて冷静さ・平静・心の安定を取り戻すことが重要となる。
次に、喜びによって心が浮ついている(舞い上がっている)時は、喜びを実際以上に過大視することで、落とし穴にはまる可能性が高まる。心が、喜びに没入・執着してしまい、その裏側に隠れ潜んでいる苦しみ・問題点が見えない(見たくない)状態である。良い面しか見ず、悪い面を見ない。これは、慢心・過信・油断につながり、後に悪い現象が起きることになる。すなわち、「好事魔多し」ということである。
よって、仏教では、何事も苦楽表裏であり、心の落ち込みと浮つきを超えて、絶えず平静な心を培うことを重視している。特に仏陀・菩薩の心とされる四無量心の教えでは、常に平静で万事に平等な心の働き(捨〈ウペクシャー〉)が重要だとされているので、別の章に詳しく述べることにする。
これらのことを諺で言うならば、苦しい時も、「万事塞翁が馬」の精神であり、喜びの時も、「好事魔多し」、「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ」という心構えであろう。

7.気の強化・浄化が、願望成就の力をもたらす

さて、前章で述べた通り、心の不安定を解消し、心の安定と智慧を得るための仏教・ヨーガの東洋思想の修行は、思考・行動・身体・環境の4つの浄化にまとめることができる。ここでは、その中で、気の浄化・強化という要素について述べたいと思う。
「気」とは、前章でも述べた通り、中国哲学(道教)からインドの仏教・ヨーガの思想まで、東洋思想で広く説かれる、人の体の内外にあるとされる目に見えないエネルギーである。そして、これが人の元気・体力・意志力・集中力などに関係し、さらには、他人・周囲の場にも影響を与える。
そして、気を改善するという場合、気の強化と気の浄化という二つの側面がある。ここで、気の強化とは、このエネルギーを強化すること、エネルギーの量を増やすことである。一方、気の浄化とは、気の性質を清らかなものすること、ならびに、気が流れる道(気道)の詰まりをなくして、浄化することである。
気の強化=エネルギーの強化によって、元気になり、強い意志の力などを得ることができる。そして、気を浄化することで、煩悩・欲望・雑念が減少する。そして、気の強化と浄化を合わせることで、安定した心と高い集中力を得ることができる。これがまさに仏教で「禅定」と呼ばれる状態である。
この気の強化と浄化は、お互いに相乗効果があるので、ごく大雑把にいえば、共に進めることが望ましいが、厳密にいえば、ケースバイケースの部分が少なくないので、気を浄化・強化する修行を実際に行う場合は、繊細・緻密な理解と経験が必要となる。
よって、その詳細は、2017年夏期セミナー特別教本『気の霊的科学とヨーガの歴史と体系』、2016年夏期セミナー特別教本『気の霊的科学と人類の可能性』、『ヨーガ・気功教本』(ひかりの輪刊)などを参照されたい。
そして、安定した心と高い集中力を実現したならば、それを活かして、重要な目的の実現を図ることができる。それは、物事を正しく判断し、実行する力、現象を動かす力を持っている。


8.気の浄化・教化の具体的な方法

次に、気・エネルギーを強めて浄化する具体的な方法について述べる。第一に、善行(ぜんぎょう)を行い、悪行(あくぎょう)を減らすと、気のエネルギーは増大するとされている。その意味では、気のエネルギーは、仏教の用語でいえば「功徳」にもつながる面があるということもできるだろう。
実際に、人が利他の行為など良いことをすると、心が明るく軽く温かくなると感じるのは、気のエネルギーが増大して上昇しているからだと解釈できる。気のエネルギーは、光・熱の性質があり、それが強まると、身体の中を上昇する傾向があるからである。逆に自己中心で他を傷つけるような悪いことをすると、逆に心が暗く重たく冷たくなると感じるのは、気のエネルギーが減少し、光・熱が減少し、エネルギーが下降するからであると解釈できるだろう。
なお、善行とは、繰り返しになるが、利他の行為であり、①積極的な利他の行為に加え、②煩悩的・自己中心的な行為=悪行を避けて他を害さないようにする行為も、仏教においては、消極的な利他の行為と解釈される場合がある。
初期仏教では、殺生・偸盗(ちゅうとう)(盗み)・邪淫(不倫)などの「十の悪行」をなさない「十戒」の実践や、その逆に命を助ける、他に施すなどの「十の善」をなす実践が説かれた。大乗仏教では、布施(施し)・持戒(十戒を守ること)・忍辱(にんにく)(苦しみに耐えること)などの功徳が説かれる。
第二に、気のエネルギーは、物理的な方法によって強化することができる。いわゆる身体行法である。典型的な方法が、ヨーガの呼吸法であるプラーナーヤーマである。これは、実際には「調気法」と訳され、気を調御するための特殊な呼吸法である。これによって、体の外側の気(外気)を内側に取り込むことができる。
また、外気は、飲食によっても取り込むことができるが、例えば、食べすぎれば、取り込んだ気を消化作業のために消耗してしまう。また、冷たいものを取りすぎれば、熱エネルギーである気は減少することに注意を要する。食べすぎと冷たいものの摂りすぎは、普通の意味での健康にも良くないので控えるべきである。
なお、善行によって気・エネルギーを高める場合と、調気法などの物理的な方法によってエネルギーを高める場合には、多少の違いがある。前者は、質の高い、清らかなエネルギーを得ることができるとされる(ヨーガで「善性のエネルギー」といわれる場合もある)。
後者はエネルギーには違いがないが、その質に関していえば、エネルギーを取り込む先の環境条件などに左右されることがある(ヨーガでは「動的なエネルギー」といわれる場合もある)。よって、調気法は、理想をいえば、清らかな外気の場所で行うことが望ましい。また、これと同じ原理で、食べ物を通しても、人は外気を取り込むので、食事の内容に気を配ることも重要である。
ただし、都市社会に住むたいていの人は、聖地などで呼吸法を行う機会は乏しく、自宅で行うことが多いので、その場合は、自室をきちんと整理整頓をし、換気をするなどして、気の流れを良くしておく。加えて、何らかの宗教的・霊的な手法によって浄化することが望ましい。ひかりの輪では、仏画・仏像などの象徴物の設置や、仏教の法具の聖音、瞑想用のお香などを推奨している。


9.利他心に基づく願望は、表層意識と深層意識を統合し、大きな力を得ることができる

願望をかなえるために、表層意識だけではなく、深層意識にもその意志を浸透させるという考えがあり、例えば、未来形の意志ではなくて「できた」という過去完了形のイメージをする手法があることなどを冒頭で述べたが、次からは、さらに深層心理と願望成就の関係について述べたいと思う。
まず、繰り返しになるが、心理学でも仏教思想(の中の心理学)においても、人には、「自分が自覚している意識=表層意識(顕在意識)」と、「自覚していない意識=深層意識(無意識・潜在意識)」があるとされている。
そして、深層心理学者のカール・ユングなどが主張した通り、通常の人の場合は、エゴ・自己中心的な意識によって、表層意識と深層意識は分裂した状態にある。具体的にいえば、例えば、人は、自分の自己中心的で身勝手な行為は、「忘れたい、見たくない」ので、その事実の記憶は、表層意識から排除され、深層意識の中に抑圧され、普段は自覚されていない。
その結果として、ほとんど忘れてしまう場合さえあるが、何かをきっかけにして、蘇ってくることがある。死の危険が迫った際や、臨死体験の際に、人生全体の記憶が走馬灯のように駆け巡る人生回顧(ライブレビュー)などの事実は、表層意識では忘れている記憶が深層意識の中に保存されていることを示している。
こうして、人の意識は、表層意識と深層意識の間で分裂しているが、人の意識全体の95パーセントは、表層意識ではなく深層意識であるといわれており、私たちが自覚しないうちに、それが私たちの行動に与える影響力は非常に大きいとされている。言い換えれば、人の心・行動は、自覚されていない深層意識によって大きく左右されているということになる。
そこで、普通は分裂している表層意識と深層意識に対して、自己中心的な心・エゴを弱めることで、それらを統合し、意識全体を統一して、何かの願望・目的を実現しようとしたならば、意識全体の力を使うことができることになる。これは、わかりやすくいえば、迷いがない状態ということができるだろう。
一方で、表層意識と深層意識が分裂したままで、何かの願望を実現しようとする場合には、ケースバイケースではあるが、表層意識の願望を、深層意識が阻もうとする場合も考えられる。すると、それは、アクセルとブレーキを同時に踏むようなものであって、願望は実現しにくくなると考えられる。
さらに、心理学者ユングの深層心理学では、深層心理の中に、表層意識と深層意識を含めた人の意識全体の中心として、普通は自覚されない「自己」という「内なる神」のような意識が存在しており、それは、表層意識と深層意識を統合しようとしていると主張している。
その統合を果たすためには、それまで何らかの心の歪み・自己中心的な心の働きのために、表層意識が自覚を避けてきた自分の深層心理にある、暗部をよく自覚して内省し、自己中心的な心の働き、すなわち自分と他人の(幸福の)区別を和らげることが必要になってくる。すなわち自他(の幸福)を区別する二元的な意識から、自他(の幸福)のつながりを踏まえた一元的な意識への精神的な向上である。
これは、仏教が説く利他心・慈悲の心の実現と通じるものがある。そして、言い換えれば、自分のためだけではなく、自他双方の全体の利益を追求する願望・目的は、表層意識と深層意識を統合し、心の全体の力を使うことができるということになる。
これに関連して、仏教には「如意宝珠」という法具があるが、これは、意のままに願望をかなえる仏の法力の象徴であるとされる。これは、慈悲心に基づく仏の正しい願いは、自在にかなうことを意味しているが、これは表層意識と深層意識の統合された力を意味するとも考えられる。なお、如意宝珠には、その形状からして、表層意識と深層意識が統合された心の状態を象徴するという見方もあるという。


10.大乗仏教の菩薩道・六波羅蜜から学ぶ目的達成の奥儀

ここで、願望成就・目的達成の奥儀として、大乗仏教の菩薩道と、その修行法である六波羅蜜に関して述べたいと思う。というのは、菩薩道は、仏教の修行であるが、一人俗世から離れていく道ではなく、全ての生き物を救う実践であり、その意味では、極めて壮大な事業である。そして、その壮大な目的・壮大な事業を達成しようとする場合に、どのような修行を行うかを学ぶことは、願望成就・目的達成の奥儀を学ぶことにつながると考えられる。
まず、菩薩道とは、全ての人々・生き物を救う(仏陀の境地に導く)ことを求めて行う修行である。そして、全ての生き物を救うために、自らが仏陀の境地に至るための修行を行う心を菩提心という。それは全ての衆生を恩人と見なす感謝の心(知恩)に基づいて、その恩に報いようとする心(報恩)によって、いまだに苦しんでいる全ての生き物を救おうとする慈悲の心を生じさせた結果であるという。
そして、この菩提心を持った者が行う修行課題が、「六波羅蜜」と呼ばれる六つの修行である。六波羅蜜とは、「六つの完成」という意味であり、その六つとは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧であって、その六つの実践を完成させることが、六波羅蜜の修行である。
「布施」とは、主に、他者への財物・安らぎ・教えの施しである。「持戒」は、戒律を護持して、他を傷つける悪行を避け、他を利する善行をなすことである。「忍辱(忍耐)」は、経済的な困難、誹謗中傷、教えを理解・体得する上での困難に耐え、それを喜びに変えていく忍耐の実践である。
「精進」は、こうした修行実践を勇気をもって始め、毎日継続し、ひたすら続ける努力である。「禅定」は、瞑想による心の安定と集中であり、「智慧」は、縁起や空の道理・理法を悟り、物事を正しく見る高度な認識力であり、禅定によってもたらされる。
そして、六波羅蜜の各実践をよく見れば、それが、これまで述べてきた願望成就のためのポイントと、非常によく合致していることがわかるだろう。
まず、布施と持戒の実践は、利他心を培い、良好な人間関係を形成する。さらに、それによる善行の増大と悪行の減少は、その人の気のエネルギーを浄化・強化し、強いエネルギー・意志力・集中力を与える。こうして、利他心、良好な人間関係、強いエネルギーといった、願望をかなえるための重要な要素を得ることになる。
忍辱(忍耐)は、いろいろな困難・挫折・失敗といった苦しみに逃げることなく耐えて、それを喜びに変えていく実践であるから、願望をかなえる過程での失敗の苦しみに負けずに、それを成功へのステップに変えていく実践に通じる。そして、これによって、強い意志力を培いつつ、次の精進による継続的な努力に結び付けるのである。
精進の実践は、焦らずたゆまず努力を続けることであり、これは、過程での成功に過信して努力を緩めることなく続けることや、忍辱(忍耐)の実践とともに、過程での失敗にめげずに、それを成功のもとに変える努力を継続することにつながる。
最後に、禅定は、願望成就・目的達成の要となる心の安定と集中をもたらすものである。そして、それによる智慧は、物事を正しく見る力・ひらめきを与え、目的達成のために正しい道を歩む力、突破口を得る力となる。

 

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