オウムの清算
オウム時代の清算についてのコーナーです

2018年10月

  • (はじめに) オウム教団内部の信者死亡事例の情報 (2018年10月08日)

     オウム(現アレフ)には、数十名の行方不明者がいるとされています。その中には、単に教団を脱会した者に限らず、無理な修行による事故・内部殺人などで死亡した者がいると思われます。

     しかしながら、一連のオウム事件の捜査では、サリン事件などの重大事件が優先されたため、捜査当局は、こうした教団内部の死亡者に関しては十分な捜査ができなかったと言われています。その中には、一定の情報があっても、その性質から、犯罪とまでは言えないとか、犯罪であっても、立件された他の事件と比較すれば軽いために、麻原の裁判が長引くために立件しなかった事例もあると思われます。

     実際の麻原の裁判の中で、検察がいったんは起訴した事件を途中で取り下げ、裁判の短縮を図った事実がありますから、裁判の長期化を防ぎ、麻原が自然死する前に死刑を執行し、事件の再発や教団の拡大を速やかに防止するために、立件自体がされなかった事案もあると思われます。

     また、教団内部の死亡事案には、教祖が命を落とすような無理な修行を指示したとしても、本人がそれを行うことを帰依心などによって同意した、抵抗しなかった場合には、殺人ではなく、修行事故としてみなされたり、自殺幇助、同意殺人とみなされることもあると思われます。

     よって、今後、ひかりの輪としても、麻原の死刑執行を一つの契機として、こうした行方不明者・教団内部での死亡事例に関する情報を収集し、親族の方等にご報告するなどし、当時の教団の実態の解明に努め、過去の償いの一部とさせていただきたいと思います。

     そうした情報をお持ちの方は、ぜひとも、ひかりの輪の広報部までご連絡ください。

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         ご連絡窓口
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    ひかりの輪広報担当(広末晃敏、宗形真紀子)

      メール:koho@hikarinowa.net

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  • (1) 女性の幹部信者Yさんの殺害事件の概要 (2018年10月08日)

     1991年頃、松本智津夫元死刑囚(以下、松本)は、Yさん(当時「師」の称号を持っていた出家信者の幹部で、富士山総本部道場の経理部のトップ)がスパイ行為を働いたと疑い、Yさんを詰問しました。これに対して、Yさんは身に覚えがない様子でしたが、「師」として認められたYさんは、松本への帰依心のためかと思われますが、真っ向からは否定せずに、「思い出せない」「なぜ思い出せないんだろう」などと、泣きながら言うなどしました。

     その中で、ついに松本は、「白状しないならばポアする」という趣旨のことを言いました。そこで同席していた中川智正元死刑囚と新実智光元死刑囚が、Yさんを取り押さえるなどしましたが、その際も、Yさんは松本への帰依心のためか、「やめてください」と言ったり、体をバタバタさせたりすることなどはせず、目立った抵抗はしませんでした。

     その後、松本と話した中川が、何かの薬物を持ってきて注射し、それと同時に、息ができないように新実がYさんの鼻や口を手で押さえるなどすると、すぐにYさんは動かなくなり、医師の中川が死亡を確認していました。 また、中川・新実以外に、この状況を目撃していた者として、村井・上祐らの3人の当時の最高幹部がいます。

     その後、遺体は、村井らが運び出し、同じ教団施設の中で焼却していましたが、最終的にどうなったかは不明です。また、事後に松本は、瞑想した結果「(Yさんは)魔女だった」などと述べていました。

    ※この事件の詳細については、『週刊誌報道された「松本元死刑囚らの女性幹部信者殺害」を上祐が目撃した件の事情説明』の記事もご覧下さい。

  • (1)の補足:週刊誌報道された「松本元死刑囚らの女性幹部信者殺害」を上祐が目撃した件の事情説明 (2018年10月08日)

    上記の記事の補足として、2018年の7月、松本智津夫元死刑囚の死刑執行の直後、週刊誌で報道された「松本らによる女性幹部信者殺害」を上祐が目撃した件に関して、以下の通りご説明します。

    1,上祐が認識した事件の概要

    1991年頃、松本智津夫元死刑囚(以下、松本)は、Yさん(当時「師」の称号を持っていた出家信者の幹部で、富士山総本部道場の経理部のトップ)がスパイ行為を働いたと疑い、Yさんを詰問しました。
     
    このスパイ疑惑は、Yさんの当時の教団でのワークであった経理関係の問題から生じたものと思われましたが、具体的には上祐は把握していません。具体的なことは、当時の教団の経理主任であり、Yさんの上長である女性最高幹部IHが、松本らと話しており、上祐は、その話を最初から聞いていたのではなく、話し合いの場に途中から呼び出されたからです。

    そして、上祐が目撃した限りでは、この疑惑に対して、Yさんは身に覚えがない様子でした。しかし、「師」として認められたYさんは、松本への帰依心のためかと思われますが、疑惑を真っ向からは否定せずに、「思い出せない」「なぜ思い出せないんだろう」などと、泣きながら言うなどしていました。

    すると、松本は、「白状しないならばポアする」という趣旨のことを言い出し、そこで同席していた中川智正元死刑囚と新実智光元死刑囚が、Yさんを取り押さえるなどしました。しかし、その際も、Yさんは松本への帰依心のためか、「やめてください」と言ったり、体をバタバタさせたりすることなどはせずに、目立った抵抗はしませんでした。

    その後、中川が松本に、何かの薬物を持ってきてYさんに注射することを提案し、それに松本が同意して中川が実行すると、それとほぼ同時に新実が、息ができないようにYさんの鼻や口を手で押さえるなどしました。すると、すぐにYさんは動かなくなり、医師の中川が死亡を確認していました。

    その後、遺体は、村井らが運び出し、村井が同じ教団施設の中で焼却しようとしていましたが、上祐は松本らと話していたために、最終的に遺体がどうなったかは知りません。そして、その事後の話では、松本は、瞑想した結果「(Yさんは)魔女だった」などと述べていました。


    2.目撃していた上祐が止められなかった心理的背景について

    ◎止められなかった心理的背景

    目撃していた上祐は、心中では殺害を止めたいと思いつつも、当時松本を妄信してきた上祐は、松本の言動や形相のために、驚愕して完全に固まっていました。

    まず、松本が「スパイ」とみなすということは、松本の教義の中では、「闇の権力が教団をつぶすために送り込んだ教団の敵対的破壊者」という意味を持ち、それを除去しなければ、自分たちが滅ぼされかねない脅威であるという意味を持っていました。そして、弟子たちにとっては、松本がスパイとみなした者を庇うことは、「スパイ仲間」とみなされる可能性があることも意味していました。

    サリン事件に関しても、その事件の前に、松本は、教団の中で「戦いか破滅か」という主張をし、教団は毒ガス攻撃を受けていて「戦わなければ自分たちが滅ぼされる」という考えを持っていたことが、事件の背景要因としてあることが知られています。

    なお、いろいろな事件を起こす中で、松本は、暴力行為の是非に関して弟子たちに意見を聞くことがあり、上祐に関しては、意見を聞かれた際には、それを強く否定することがあったことは一般にも知られています。

    しかし、この件では、上祐は、最初からはスパイ疑惑の話を聞いておらずに、途中からその場に呼び出されており、その段階では、松本は、Yさんを「スパイ」だと断定し、Yさんに対する疑惑の査問からポアの宣告までの間、目撃している弟子たちの意見は一切聞かずに、強い意志で進めていったために、上祐は止めることができませんでした。

    これに加えて、実際に上祐が止めるための契機をつかめなかった背景として、まず、Yさんが最後まで、反論や抵抗をせずに、松本に帰依する姿勢を保ったことがありました。

    さらに、本気でポアするのかと上祐が驚愕している間に、中川が、上祐はその効果をよく知らない注射の話をいきなり出して、松本がすぐにそれに応じるという二人の間の阿吽の呼吸で事があっという間に進んでいき、実際に注射をされると、すぐにYさんが動かなくなってしまったという経緯もありました。

    なお、この中川の注射の提案を、松本が即座に理解して合意したのは、この事件より前に起きた坂本弁護士一家殺害事件において、中川が同様の手法(注射)で一家を殺害した経緯があったからだと思われますが、本件当時の上祐は、坂本弁護士事件の殺害の詳細は知ることがなく、中川の語った薬物の名前自体も理解できませんでした。

    また、他に、その場で見ていた者は、女性の最高幹部ですが、同じように驚愕して固まっていたように見えたとのことです(先ほど述べたように、Yさんのスパイ疑惑の具体的な根拠などは、この女性最高幹部が直接知る立場にあります)。

    ◎反論をしなかった心理的背景の推察

    なお、YEさんがスパイ疑惑に反論せずに自分を責め、ポアにも抵抗しなかった背景には、当時の出家信者、特に高弟が、松本に命を委ねる帰依をするという松本の教えの影響があります。

    実際に、当時の教団内では、松本の指示で、一つ間違えば、命に危険のあるほど危険な修行や、ある種の実験が行われていました。(上祐もそのような修行を科せられたことがありました)。また、生物兵器や化学兵器の開発の際にも、それに従事する幹部信者たちには、まず自らに命の危険があり、それをわかったうえで指示に従っており、実際に命を落としそうになった事例がありました。

    こうした一連の事実は、特に高弟に関しては、自分の信仰の結果、「松本の意思」であれば、自分が死に至ることを受け入れるかのような精神状態があったことを示しています。

    なお、これらのような当時の教団信者の心境は、相当に特殊であるがために、一般の方にはわかりにくい部分もあると思われます。
    そこで、納得のいかない部分のある方や、より詳しく知りたい方は、宗形真紀子(ひかりの輪スタッフ・役員・広報副主任)のブログ記事>>>「オウム教団内部の問題に関して(第2回)高弟・幹部になる条件は、松本に命を委ねるほどの帰依をすること」をご参照ください。

    3,これまで上祐が話すことができなかった理由の概略

    上祐が、この件についてこれまで話すことができなかった経緯には、以下の状況がありました。

    ◎松本の迅速な死刑執行を望んだこと

    上祐は、2007年に松本から離反し、アレフを脱会する前までは、松本への信仰などのために、この事件を対外的に話すことができませんでした。

    次に、脱会以降も話すことができなかった理由に関しては、その当時、既に確定していた松本の死刑が、早く執行されることを望んでいたことがあります。

    まず、基本的な事実として、松本の死刑判決は、2006年秋までに確定していました(当時は、まだ共犯者の裁判は未了でしたが、共犯者の裁判終了まで執行できないという法規はなく、松本の執行が速やかに行われる可能性は皆無ではありませんでした)。また、それまでにYさんの事件は時効になっており、Yさんのご両親も当時すでに他界されていました。
    そうした状況の中で、上祐が、この件を話し出すならば、アレフや松本の家族などによって、松本の死刑の執行を引き延ばすために利用される恐れがありました。

    というのは、オウム真理教では、教団内部での死亡したと思われる行方不明者が多数にのぼると言われています。よって、当時から、「オウム真理教事件には未解決な部分が多い」と主張して、松本の死刑執行に反対していたアレフが、本件をそうした事例全体を解明をするために、「松本の死刑執行を事実上無期限に延期すべきだ」と主張するために利用する可能性が懸念されたのです。

    実際に、本年2018年に入ると、松本の家族の影響を受けたとも思われる一部の一般のジャーナリストさえも、「オウム真理教事件の真相はまだ解明されていない」として、「松本の死刑の執行を遅らせるべきだ」との主張をしたことが知られています(オウム事件の真相究明の会)。その人たちの中には、実際に、本件が週刊誌で報道された際に、「やはり執行を遅らせるべきだった」と主張した人もいます。

    一方、上祐らが、松本の迅速な執行を望んだ理由は、仮に、執行が遅れるならば、「松本は刑死しない」と信じるアレフを、大いに勢いづかせてしまい、オウム真理教事件を「国家の陰謀だ」と信じるように洗脳された、新しい信者をいっそう増やす結果になり、事件の再発防止の上で、大きな問題になるという重大な問題があったためです。
    上祐らはアレフを脱会して、ひかりの輪を創設する前に、2003年頃から松本を絶対視する松本家族と、アレフ教団の中で、強く対立するようになりましたが、両者の対立の一つの理由が、上祐が、「松本が事件の関与により刑死する」と語ったことに関して、松本を絶対視する家族派が、「(自分は不死の救世主であると説いた)教祖の死を語るなどとんでもない、大悪業で地獄に落ちる」「グルを否定し、グルを外そうとしている」などと激しく批判したことがあります。

    そして、家族派は、事件を陰謀と主張する洗脳的な教化をなし、「自分たちが帰依を深めれば、松本は死刑にならない(執行は遅れる)」と主張していきました。さらには、松本の家族の一部は、妄想的ながらも(本気かは疑わしいが)松本の奪還を構想しているのではないか、と思わせる情報もありました。

    よって、何らかのきっかけで、松本の刑の執行が遅れる事態となれば、アレフの妄信を大いに助長し、国家は悪であると洗脳された新しい信者が増大し、そうして膨れ上がったアレフによる将来の危険が生じることを意味していのたのです。

    実際に、2011年末から2012年に、平田・高橋・菊池らの逃亡犯が逮捕されて、死刑執行が遅れる可能性が出てきた時には、アレフの幹部信者が、「自分たちの松本への帰依の結果、執行が遅れることになった」として、この流れを強めるために「狂ったように教えを学ぶべきである」などと信者に説法して、より一層の帰依を信者に呼び掛けた事実があります。

    ◎松本は、獄中から教団に指示ができたこと


    次に、話すことができなかったもう一つの理由としては、当時の松本が、家族とも接見せず深く引きこもった状態になっていたにもかかわらず、上祐が本件を話して、松本に対する捜査が再開された場合には、松本が、上祐の離反を具体的に知るに及んだり、捜査に刺激を受けて、再び活発に獄中からアレフ教団に極秘裏に働きかけたりするなどして、自分(上祐)の身に危険が及ぶのではないかといった心配があったことです。

    実際に、かつて松本は、獄中にいながら、弁護士を通して、外の上祐の動きを聞いて、「警察や公安に寄り過ぎている」などと厳しく批判し、それを止める指示を、他の教団幹部にしている事実があります(公安調査庁も把握している松本の獄中メッセージの1996年10月6日のものなど)。

    さらに、これまでの観察処分の裁判においては、獄中の松本が、「心神喪失ではなく、弁護士・家族などを通して、アレフ教団に影響力を及ぼすことができる」ことが繰り返し認定されています。また、実際に、松本の弁護人にはなったことはないものの、松本の弁護人になるために出家信者をやめた者が、実際にその後弁護士になっている事例もあります。

    このような状況の中で、上祐は、これ以上松本が何も刺激されることなく、深く引きこもった状態のままで、速やかに執行がなされることを望みました。また、自分(上祐)が話せば女性の最高幹部も話さざるを得なくなり、彼女にも身の危険が及ぶのではないかという心配もありました。

    こうして、獄中からの松本の指示によって、自分のみに危険が及ぶ可能性を感じた上祐の心理の背景には、以下のようなものがあります。

    まず、松本が、場合によっては、上祐ら高弟信者さえもポア(殺害)する可能性があったことです。 実際に、上祐は、①松本が、「スパイ」と見た女性幹部信者を殺害することを目撃し、②1995年の一連の事件の発覚後に、松本が「スパイ」と見なして信者を殺害した、他の複数の事例が当局によって解明されたことを知り、③松本は、上祐の出家前からの知人である女性の最高幹部さえ、破戒を繰り返すとして、ポア(殺害)する選択肢を話したことがあったからです。

    ◎松本の家族ら・家族派との緊張関係と、身の危険

    次に、上祐が当時置かれていた、松本の家族ら・家族派との緊張した関係がありました。上祐は、アレフ時代に、松本の奪還を計画していたロシア信者を、警察に告発したり(奪還テロ未遂事件・2000年)、ケロヨンという分派の中で危険な修行によって死亡した事件を警察に告発したりするなどして(傷害致死事件・2004年)、信者による事件を防止してきました。

    しかし、ロシア信者の事件に関しては、松本の家族の一部は(上祐らに問題視されるまでは)ロシア信者を称賛して誤導し、ケロヨン事件に関しても、家族派の幹部が、事件性がないなどとして、摘発に動いた上祐らを、批判さえしました。
    また、上祐は、ケロヨンの事件と似た事例として、松本の家族の一部が、当時は未成年であったとはいえ、信者に重大な障害を負わせた危険な修行を命じたこと(いわゆる「観念崩壊セミナー」と呼ばれる修行1996年・摘発無し)や、学校の入学を拒絶された件で、「教団に関与していない」という虚偽の主張で損害賠償請求をしているのではという疑い(裁判詐欺の疑惑で警視庁が調査・立件せず:2004年か2006年前後)を批判しました。

    こうした中で、松本を絶対視する松本の家族らは、上祐が「松本を否定している」として激しく批判し、家族派は、上祐を「公安のスパイだ」と主張しました。
    上祐が、教団信者の事件を、警察と協力して摘発・防止したことは、松本が、国家権力・警察などを「悪魔の手先」と位置付けていたために、家族派にとっては、「公安のスパイ・教団の裏切り」と見られたと思われます。

    そのような状況の中で、家族派の最高幹部の男性が、上祐に毒を盛ることを松本の家族に提案した事実がありました。この件は、松本の三女の著書にさえ書かれており、一般にも知られています。

    三女は、最高幹部の男性に反対したとしていますが、最高幹部の男性は承認も反対もなかったとしています。承認されなかったのは、松本の教義を普通に解釈すれば、教団で殺人を正当化できるのは松本だけであり、家族にはその権限がないことがあると思われます。

    このような事情があったために、Yさんの件で松本に対する捜査が再開されることを契機に、松本が上祐の離反を具体的に知り、再び外部のアレフ・松本の家族と結びついて、身の危険が生じることを上祐は懸念したのでした。

      こうした松本の死刑執行まで話すことができなかった事情や、その背景にあるアレフ内部の教団事情などは、複雑で独特であり、一般の方にはわかりにくい部分があると思われます。
    そこで、納得のいかない部分がある方や、より詳しくお知りになりたい方は、上記の宗形のブログ記事「オウム教団の内部の問題に関して」の>>>「第4回 松本の死刑執行と、上祐や私たちが置かれてきた複雑な状況」、>>>「第5回 松本の死刑執行まで続いていた危険」をご参照ください。
     

    4,上祐からのお詫びの言葉


     「当時の松本智津夫元死刑囚への妄信のために、殺害行為を止めることができなかったこと、さらには、その後も、松本元死刑囚の死刑執行以前には、お話することができなかったことを含めて、被害に遭われた女性幹部信者の方と、今はお亡くなりになられたご両親に対して深くお詫び申しあげると共に、そのご冥福を心よりお祈り申しあげます。

    また、同席した女性の最高幹部は、目撃の事実を否認したとのことですが、教団経理のトップとして、殺害された女性幹部信者の上長であり、スパイと疑われた背景などを最もよく知る立場にありましたので、松本の執行も終わった今、速やかに証言してほしいと思います。

    なお、私が知る内部信者の殺人事件は、この女性幹部信者の事例以外にありませんが、松本の死刑執行を契機とし、今後よりいっそう情報を収集し、重要な情報があれば適切な形でお知らせして、当時の教団の実態の解明に努め、過去の償いの一部とさせていただきたいと思います。」


    5.当局も、本件を長らく知りながら、捜査・公表しなかった事実

    ◎警察は、3年以上前に本件を把握しながら捜査も公表もせずに放置していた

    さて、重要なことに、本件を「警察も知らない」とした週刊誌の報道と異なって、拘置所・警察・公安関係者は、この件を少なくとも3年前に知っていたと思われます。

    週刊誌の記事は、昨年秋ごろから、「関係者」から、新実が本件に関して供述している情報を得たとし、新実元死刑囚の妻にも問い合わせて確認できたとしています。この記事を担当した週刊誌の記者に直接確認すると、昨年9月ごろに情報を得たとしています。

    しかし、ひかりの輪の広報担当者が、その新実元死刑囚の妻に確認してみると、実際には、すくなくとも3年前には、本件を公安担当の警察官が知っていたことが判明しました。

    具体的には、新実元死刑囚の妻は、3年前に、拘置所の新実元死刑囚と面会した際、この件を聞き、その場に拘置所の刑務官が立ち会っており、その後、知り合いの某署の公安担当の警察官に会った際に、この件を話すと、彼らも、彼女から聞く前に既にその件を承知していると答えたそうです。

    よって、彼女は、彼女と新実元死刑囚の面会に立ち会った刑務官を通して、拘置所を管轄する法務省・警察関係者に情報が回ったと考えています。

    ただし、新実以外に、本件に関与ないし目撃した別の情報源から、警察は証言を得ていた可能性も否定できませんが、その詳細は諸事情によって控えます。

      そして、公安警察が情報を得たルートが何であれ、新実元死刑囚の妻の証言が事実である限りは、少なくとも3年前に、公安警察は、新実元死刑囚の妻からは、本件の情報を得ていたことは確かということになります。

    ところが、重要なことに、新実元死刑囚の妻によれば、警察は本件に関して新実元死刑囚や中川に事情を聴くなどしたことは全くなく、いわば全く放置したそうです。彼女は、それを非常に不思議に思ったそうですが、実際に、この3年間、本件が、警察当局から公にされることなかったのは、ご存じの通り事実です。

    ◎公に目撃を証言したのは、上祐のみ

    なお、新実元死刑囚の妻は、新実元死刑囚は、この件を公にすることで、自らの執行を引き延ばす材料とする意図や、上祐らに社会的な打撃を与える意図はなかったと考えているそうです。なぜなら、新実元死刑囚は、この件について、妻との面会の際に刑務官には聞かれているものの、警察に(正式に)供述することや、公の報道を希望していなかったからだそうです。 実際に、昨年2017年の末にも、新實元死刑囚から、改めてこの件を公にしないよう口止めされたとのことでした。(ただし、なぜ新実元死刑囚が、彼女には、この件を告白したかについては明らかにはしたくないとのことでした)。

    そして、新実元死刑囚の妻は、こうして、新実元死刑囚や中川元死刑囚に加え、警察も本件を公にしない状態が長らく続いたためだと思われますが、週刊誌の取材に、中川元死刑囚や女性幹部IHが本件を「全く知らない」と返答する中で、上祐だけが本件の目撃を証言したことには、逆に驚いたそうです。

    つまり、週刊誌の情報は、新実元死刑囚の直接の証言ではなく、新実元死刑囚から聞いた曖昧な内容の伝聞情報でしかなく、上祐がそれを否定しようと思えば、中川やIHと同じように、容易にできたにもかかわらず、証言したからです。

    ◎長らく放置した当局が、最近になって週刊誌に情報提供したと思われることとその背景事情

    さて、こうした中で、週刊誌の担当記者は、昨年の秋(9月)頃に、本件の情報を得たとしていますが、新実元死刑囚の妻は、先ほど述べた自分の知り合いの公安担当の警察官が、週刊誌に情報を提供したと考えていました。

    そして、この点に関して、上祐が、週刊誌の記者に、「記事中で『関係者』とされた、新実元死刑囚の妻以外の情報源があるとすれば、新実の面会に立ち会った刑務官などを通して情報を得た当局としか考えられないが、にもかかわらず記事の中では『警察も知らない』と書かれているのはなぜか」と聞くと、記者は、「自分は3年前から警察が知っていたことは知らなかった」とは言いながらも、「記事中の『警察が知らなかった』とは、『警察が正式な捜査をして組織全体で情報を共有していない』という意味であり、『警察の誰も知らない』という意味ではない」と答えました。

    こうして、取材源を秘匿しながらも、新実元死刑囚の妻以外の情報源が、警察自体であった可能性を否定しませんでした。

    この点に関して、週刊誌が、私たちと同様に、新実元死刑囚の妻にも問い合わせをしたにもかかわらず、「いつから新実が話し、警察が知っていた」という基本的な事実関係を聞かずに済ませたことは、ジャーナリストの取材の在り方としては疑問です。そのため、一つの推測として、週刊誌側は、公安警察から本件の情報提供を受けたために、警察が長らくその件を捜査・公表せずに放置していた事実には、触れることができない状況に陥ったのではないかとも思われます。

    こうして、(公安)当局は、

    ① 本件を知った後も、何年も、捜査せずに公にもしなかったが、
    ②昨年秋ごろ、週刊誌に情報提供をし、松本の執行直後に、本件が報道されるに至った、

    という経過であったことが推察されます。

    そして、このようになった背景事情を推察するならば、以下の通りです。

    第一に、上祐の知り合いの警察幹部が語ったところによると、本件は時効から久しく捜査しても立件できず、Yさんのご両親も他界されているため、捜査をする目的が乏しいこと。

    第二に、ある新聞記者が、「(当時ではなく現在の)警察幹部の推測」として語っていたことですが、1995年に一連のオウム事件が発覚した際は、サリン事件などの外部に対する重大事件の捜査と迅速な裁判による解決(裁判の長期化による松本の自然死の回避)を優先して、教団内部での信者の死亡といった他の問題に関しては、十分な捜査がなされなかった可能性があることです。

    実際に、教団内部の死亡事例に関して、告発を受けて捜査したものの、事件性があるか微妙なケースであるためか、立件されなかった事例(>>>「元仙台支部長温熱死事件」〈ウィキペディア〉:男性幹部信者の故・中村徹氏)が報告されています。
    この事例では、事件性を信じる弁護士の見解(>>>「備忘録-オウムでの内部事件」『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記)や、ひかりの輪の調査で把握された、事件性の可能性を示す教団の内部情報があります(>>>「男性幹部信者の温熱修行による死亡事件」)。

    また、ひかりの輪の広報部には、「修行事故による死亡」とされた、1988年の「真島事件(オウム真理教在家信者死亡事件)」が、実際には事件性があるという教団の内部情報があったにもかかわらず、その容疑者が、当時逃亡中であった平田信受刑者と連絡がある可能性があったために、平田の迅速な逮捕(と裁判の早期終結)を優先させて、捜査を見送った可能性があるという情報(>>>「男性在家信者死亡事件(真島事件)における新事実」)も、寄せられています。

    また、当局が裁判の迅速化(松本の自然死の回避)に務めていた事例として、教団の覚醒剤の事件に関して、>>>「検察が公に起訴したにもかかわらず、裁判の迅速化のために、その後取り下げたという事実」もあります。

    こうした状況の中では、上祐が話せなかった理由のところでも述べた通り、本件が公になれば、当時の捜査の在り方が蒸し返されると共に、アレフや松本の家族など、松本の死刑執行を遅らせようとする勢力に利用される可能性があります。一方、松本の死刑執行の後であれば、公になっても問題は少ないことになります。

    実際に、週刊誌の報道は、松本の死刑執行の直後になされました。

    週刊誌の記者は、偶然にそうなったとしています。しかし、週刊誌の記者が上祐の取材を始めたのは、その記事が書いているように、執行より2か月ほど前からでしたが、実際に報道するという決定が、上祐に伝わってきたのは、執行直後でした(なお、上祐が証言を開始したのも、前に述べた事情があるために、執行の直後です)。

      そして、記者は、執行前の取材の時から、繰り返し上祐に対して、「本件の情報を、警察を含めた他者に漏らさないように」と要請をしてきました(上祐から情報提供を受けると当局が困るからかもしれませんが)。

      一方、上祐は、週刊誌から取材を受けた直後に、(上祐が目撃していたことは伏せて)、松本と他の何者かの死刑囚がYさんを殺害したという内容の情報を、自宅の所轄警察署の幹部に報告しました(ただし、執行を引き延ばす意図があるのかもしれないということも付け加えました)。しかし、これに対する警察の返答は、「そうした話は全く知らない」というものであり、改めて捜査するという話もありませんでした。

    最後に、週刊誌側が情報提供を受けた時期(昨年2017年9月頃)は、公安当局によるひかりの輪に対する観察処分を取り消す判決が、東京地裁によって出された時期(昨年2017年9月25日)と一致します。そのために、情報提供者が公安当局であるならば、観察処分の取り消し判決に対抗するための情報発信である可能性も推察されます。

    この辺の事情は複雑で、一般の方にはわかりにくいと思われますが、納得のいかない部分がある方や、より詳しくお知りになりたい方は、前述の宗形の「オウム教団内部の問題に関して」の「オウム内部の問題>>>「(3) 週刊誌報道と異なり、警察も長らく知っていた女性幹部信者事件」をご参照ください。


    6.上祐の立場に関して、ご注意・ご理解いただきたいこと

    以上の状況をふまえ、上祐の立場に関して、ご注意・ご理解いただきたいこととして、以下の点がございます。

    ①上祐は、本件を目撃したが、殺害に関与・共謀した事実はなく、刑事責任はないこと

    上祐は、本件の殺害行為を目撃はしてはおりますが、実行・共謀を含めた関与はしておりません(刑事責任はありません)。上祐は、Yさんのスパイ疑惑の話に関して、最初からは、その場にいなかったために聞いておらず、途中で呼ばれたのです。

    また、その場に呼ばれた後にも、松本と中川・新実の間には、共謀がありましたが、上祐・女性の最高幹部IHは、松本に手を貸すことも、松本と話し合うことも一切なく、その意味でも、一切の共謀の事実はありません。また、実際に、週刊誌に報道された新実の証言を基にした情報においても、上祐の関与・共謀を示す事実は一切ありません。

    ②上祐は、1999年に出所後、20年近くにわたり、教団内の死亡事件を含め、信者による様々な犯罪・違法行為を防止・抑止してきたこと

    これまで述べた通り、Yさんの事件では、残念ながら、それを止めることができなかった上祐ですが、95年に逮捕され、99年末に教団(現アレフ)に復帰して以降は、最大限、信者による様々な違法行為を抑制する努力を行ってまいりました。

    具体的には、例えば、ロシア信者による奪還テロ未遂事件や、分派した教団内部での信者の死亡事件(ケロヨングループでの傷害致死事件)を,警察に告発するなどして防止すると共に、松本家族による教団内部での傷害事件(観念崩壊セミナー)を含めた違法行為(の疑い)関しても、それを批判して抑制してまいりました。

    さらに、2007年にアレフから脱会してひかりの輪を立ち上げた後も、アレフの被害者賠償契約の不履行問題、著作権問題、事件を陰謀と主張する詐欺的な教化活動など、アレフの違法行為の疑いを,様々なメディアなどを使って広く継続的に指摘してまいりました(アレフ問題の告発と対策ブログ等)。

    これらの詳細に関しては、ひかりの輪のHPに、>>>「上祐らのオウム・アレフ時代からの、犯罪の解決や、防止努力の詳細な経緯」をご紹介していますので、ご関心のある方はご覧ください。

    長くなりましたが、以上が本件に関連する状況説明となります。こうした事実・実績に基づき、現在の上祐やひかりの輪の、オウム真理教時代の反省に関して、正しくご理解いただけましたら幸いです。


    7.Yさんの事件と類似した教団内部での信者の死亡事例に関する、ひかりの輪の調査の結果と今後の方針


    上記の報道の後に、ひかりの輪は、Yさんの件と類似した他の事例があるかを含めて、当時の教団の内部での死亡事例の調査を進めています。以下のページを通じて呼びかけを行っています。

      >>>(はじめに) オウム真理教の行方不明者の情報

      今のところ得た、新たな主な情報は、以下の通りです。

    まず、新実元死刑囚の妻によれば、新実元死刑囚から、Yさん以外の殺害事件があるとは聞いたことがないそうです。新実元死刑囚は、松本の側近中の側近であり、立件された教団の殺人事件には、全て関わってきた唯一の幹部信者です。

    新実元死刑囚がまだ隠していた可能性や、新実元死刑囚さえも知らない事例がある可能性もありますが、新実がYさんの件は話して他の件を話せない理由は直ちには見当たらないことや、目の見えない松本が、殺害の実行を、極秘に、弟子に委ねてきた中で、その筆頭の新実元死刑囚を外して、安易に、他の弟子に委ねるかという疑問もあることから、ご報告しておきます。

    次に、その一方で、先ほど述べたように、ひかりの輪の調査によって、既に公になっている松本・新実が関与した事件の中では、
    >>>男性幹部信者の中村徹氏の死亡事例(元仙台支部長温熱死事件) や、
    >>>修行行事故死とされた真島事件(オウム真理教在家信者死亡事件)
    に関して、実際には、事件性があったのではないか、という疑惑があることが判明しました。

    今後、ひかりの輪としては、上祐の終わりの言葉にもある通り、今後ともこうした情報収集を続けて、適宜公表していきたいと思います。


    《付記》 週刊誌記事の「新実証言」と、上祐の証言の食い違いなどに関して

    上祐が取材を受けた週刊誌の記者によると、新実証言とするものは、記者が新実から直接聞いたり、新実の書面を得たりしたものではなく、新実の接見者を通した伝聞情報です(親族等以外の死刑囚には直接面会などはできないため)。

    週刊誌の記者によると、その情報は、
    ①事件の場所が上九一色村の松本の部屋であり、
    ②時期は1990年の可能性もあり、
    ③松本が絞殺したとして、
    ④中川の注射の件が全くなく、
    ⑤新実は当局には供述していない(接見者にのみ供述している)としていました。

    しかし、実際には、
    ①場所は富士宮市の富士山総本部道場の第1サティアンの音楽室であり(当時はまだ上九一色村に松本の部屋はなかった)、
    ②時期が1990年である可能性はなく(目撃した女性幹部は同年には別事件で勾留されていたため)、
    ③新実と中川が実行犯であり、特に中川が注射をしたのが致命傷となったことが事実です。

    こうして、週刊誌が得た伝聞情報は、新実本人であれば間違えるはずのない、場所や日時となっています。
    さらに、事実に反して、松本自身が実行犯だという面を強調し、新実・中川の関与を相対化しています。そのために、上祐には、その意図がただちには不明であり、また、何かしら新実を守ろうとする意図が推察されました。

    しかも、その情報が出回った時期が、去年の秋ごろという、オウム裁判の終結目前の時期であり、オウム死刑囚の死刑執行が現実味を帯びてきた時期でした。さらに、週刊誌の記者は、取材の際に、これは初めて発覚した「松本が実行犯の殺人事件」であることが重要だと主張していました。

    そのため、上祐には、この情報源が、新たな性格の事件を明るみに出させることで、(時効であるために立件はできないにしても)捜査の再開を促す流れを作るなどして、松本及び新実らの死刑執行を遅らせることを意図しているのではないかという心配が生じました。
    そうしたこともあり、上祐は、松本らの死刑執行までは週刊誌に回答せずに、執行後に速やかに回答することにしました。

  • (2) 男性幹部信者の温熱修行による死亡事件 (2018年10月08日)

    1,事件の概要

     この事件は、1994年7月頃に起きました。男性の幹部信者Nが、ある女性の出家信者と男女関係の破戒をしたとして麻原から批判され、「50度の温度のお湯に15分入ることができるならば、その関係を認めてやる」と言われて、それを行いました。

     50度のお湯に15分入るということは、全く無謀なことであり、高温のお湯に入ることを温熱修行と呼んでいた当時の教団でも、47度以上の事例はありませんでした。

     しかし、Nは、それを行なうことを選択しました。その際に、幹部の新実智光(本年7月に刑死)や、他の男性幹部信者Vが付き添いました。Nは、50度の湯に入ってからまもなく意識を失い、死亡しました。

     この事件については、すでに発生直後から教団外部の人の知るところとなり、警察も把握していたことが、滝本太郎弁護士のブログに記されています(ウィキペディアの記事にも掲載されています)。


    2,事件に関与した出家信者が明かした事実

     一見して、信者の修行中の事故死にも見えるこの事件も、実は、オウム教団幹部による傷害致死または殺人ともいうべき様相を呈する事件だったことを、当団体では把握しています。
     
     現場に居合わせた出家信者Vが、ある出家信者(後に、ひかりの輪のスタッフとなった者)に真相を語っていたのですが、その内容は以下の通りです。

     Nは、50度の湯に入ってからまもなく意識を失って、明らかに危険な状態になりました。それにもかかわらず、Vらは新実に従って、Nを救い出そうとせずに、15分の時間が経つまでは、浴槽の中に自分たちの力で(意図的に)Nを押さえ込んだのでした。「この事実が発覚したら、自分は終わりだ(逮捕される)」と、Vは述べていました。

     Vが言うように、Nが単純に自分の意思で湯に入って死亡したのではなくて、明らかに死を含む危険があることがわかる状況になった後に、新実やVらが意図的にNの体が浮かないよう押さえ込んだというのが事実だとすれば、これは少なくとも傷害致死、場合によっては殺人の責を問われてもやむを得ない事件だということになります。


    3,警察が立件しなかった事情

     前記の通り、1995年時点から警察がすでにこの事件を知っていたことは確実です。それにもかかわらず警察が立件しなかったのは、N自身が自分の意思で行った無理な修行の結果として死亡したために事件性がないと判断したのか、または、事件性があったとしても、他のより重大な事件(地下鉄サリン事件等)を優先して、立件しなかったものと思われます。

  • (3)男性在家信者死亡事件(真島事件)における新事実 (2018年10月08日)

     当団体は「オウム教団内部の信者死亡事例の情報」の提供を求めて窓口を先日設置したところですが、早速この窓口に、オウム真理教の元出家信者Aさんから情報提供がありましたので、以下にお伝えいたします。

     それは、事件自体はすでに公になっている「男性在家信者死亡事件」――いわゆる「真島事件」に関する新しい情報です。


    1,真島事件について

     この事件は、1988年9月に発生したもので、オウム真理教教団における初の死亡事件で、初の違法行為と位置付けられているものです。

     東京地裁による麻原に対する判決文の中では、次のように記されています。

    在家信徒である真島照之が奇声を発するなど異常な行動に及んだことから,被告人(麻原)の指示に基づき,真島に水を掛けるなどしていたところ,誤って同人を死亡させてしまった。被告人は,この件を公にすると教団による救済活動がストップしてしまうことを恐れ,警察等に連絡しないこととし,岡﨑らに命じ,ドラム缶に真島の遺体を入れ護摩壇で焼却した。


     この事件の大まかな事実関係については、すでに当団体の「オウムの教訓」サイトの記事(こちらの記事の中の「■初の違法行為――真島事件」)にも掲載していますし、また、ウィキペディア等にも記載されています。

     上記の通り、この事件については、これまでは、薬物中毒のために異常行動に出た真島さんの「頭を冷やす」ために、麻原の指示のもと、岡崎一明や新実智光(両名とも麻原と共に本年7月に刑死)等の幹部信者らが水をかけていたところ、真島さんが死んでしまったものとされています。


    2,新事実――C幹部による傷害致死か?

     しかし、この現場に居合わせた出家信者のBさん(Aさんと親しく、その後オウムを脱会。Aさんにこの話を打ち明けた)によれば、表に出ていない事実があるそうです。
     
     それは、ほとんど名前が出ていないC幹部による積極的な関与の事実です。以下は、BさんがAさんに告白した内容です。
     
     最初、岡崎や新実が真島さんに風呂場で水をかけていたときは、まだ真島さんはおとなしく従っていました。しかし、その後から現場を引き継いだC幹部は、真島さんの頭を鷲づかみにして、笑いながら風呂の水に漬けるなどし、まるで江戸時代の拷問のようなことをしました。
     
     そして、C幹部が「彼(真島さん)を風呂場から出すんじゃないぞ!」とBさんら下級信者に言い残して現場を去った後、真島さんの様子がおかしいことに気づいたBさんが、真島さんを風呂場から出したところ、真島さんは痙攣を始め、死亡してしまったのです。

     蘇生措置をしたものの、無駄でした。

     知らせを聞いて現場にやってきた麻原は、動揺した様子で、
     「とうとう教団が、人を殺してしまったか!」
     「この件を警察に報告すると、教団が大きく後退するが、みんなは、どうするべきと思うか?」
    と、現場にいた信者一人一人に聞いていきました。

     その場にいた信者は皆、隠すべきと主張したものの、Bさんは「どちらでもいいです」と答えました。すると麻原は、「いや!それは困る。この件を警察に言った場合、最も罪が重いのは、お前だからな?」と言ったため、Bさんも隠ぺいに同意することになりました。

     その後、真島さんの遺体は、新実がドラム缶に入れて運び去りましたが、その際、新実はBさんに対して、「てめえ!何処かに消えろ!」と激怒して、この事件の全ての責任がBさんにあるかのような雰囲気が作られたのでした。

     もしBさんが話す通りであれば、実際の責任はC幹部にあり、C幹部による傷害致死ともいえる事件ですが、Bさんは「C幹部らの『(修行の)成就者』は、神様に近い存在だと思っていたので」、そのような主張はできなかったということです。

     以上が、BさんがAさんに告白した真島事件についての新事実です。

     なお、Aさんは、自分独自でも事件を調査しようと思い、岡崎に手紙を出して事実関係を尋ねたところ、岡崎もC幹部の関与を認める返事を送ってきたので、ますます確信を深めたそうです。


    3,重大事件の捜査のために真島事件をあえて立件しなかった公安当局の事情

     Aさんは、地下鉄サリン事件が起きた後(その当時すでにAさんもBさんもオウムを脱会していました)、公安警察に連絡をとり、C幹部が深く関与した真島事件の事実関係について話をしました。

     Aさんは公安警察と何回も会って話をしましたので、この事件は当然に立件(刑事事件化)され、C幹部等の刑事責任が追及されると考えていました。

     しかし、Aさんは、最後に、公安警察から、この事件は立件しないという趣旨のことを伝えられ、以下のように言われました。

     「いいか? C幹部のこと(C幹部の刑事責任を追及すること)は、我慢しろ」
     「警察が最優先するべき事件は、警察庁長官狙撃事件であり、平田(逃走中の平田信容疑者=狙撃事件への関与を疑われていた)の逮捕だ」
     「こんなの(真島事件)でも、長官狙撃事件の捜査のために見逃されているんだから」

     このような説明を公安警察から受けたAさんは、真島事件が立件されなかった理由について、「平田と出身地が近いC幹部に平田から接触があるかもしれないと考えた警察が、C幹部の逮捕を見逃したかったからでは?」と思ったそうです。

     これらのことから、真島事件は、「女性の幹部信者Yさんの殺害事件」と同様、教団内部での事件であり、C幹部らに傷害致死の疑いがあっても、平田と出身地が近いC幹部を見逃して泳がせることで、平田の逮捕による長官狙撃事件の解決という、より重大な目的を優先させる姿勢が公安当局にあったことが推測されます。

     また、公安当局が平田の迅速な逮捕を優先させようとした目的としては、長官狙撃事件の解決だけでなく、共犯者の裁判が終結した後が原則である麻原の死刑施行を迅速に行う目的があったとも考えられます(実際に、平田らの逮捕が遅れたために、麻原の死刑執行が今年まで遅れたという事実があります)。

     この真島事件の事実関係については、さらに新しい事実がわかれば追記の予定です。