オウム真理教の清算
オウム真理教時代の清算についてのコーナーです

ひかりの輪がオウムではない事実〈裁判資料から〉

【4】様々な点で「麻原への(絶対的な)帰依」に違反していること
(2019年2月28日)

公安調査庁は、ひかりの輪が、麻原に帰依し、アレフと裏でつながっていて一体であるなどの虚偽の主張を展開してきましたが、実際には、全く正反対の事実が存在し、東京地裁の判決も、公安調査庁の主張を否定しました。

実際には、ひかりの輪は、麻原への帰依に著しく反し、アレフと一体であるどころか、長年の断絶・対立関係にあります。

そのことを明らかにしている箇所を、ひかりの輪が、公安調査庁の観察処分の取消しを求めて裁判所に提出した書面の中から、以下に引用します(一部、個人名を伏せたり、わかりやすく訂正したりしている箇所があります)。

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【4】 アレフ(及び麻原の家族)と激しく対立してきた事実


1 「ひかりの輪」が様々な点で麻原への(絶対的な)帰依に違反していること 

 

本項では、一審のひかりの輪準備書面(1)第5の「ひかりの輪が麻原に対する絶対的な帰依に違反していること」における主張を補充するものである。

具体的には、「ひかりの輪」が、アレフ(現Aleph)時代から、麻原への絶対的帰依をせず、麻原の家族への帰依もせずに、合法的な活動等のために、麻原の言葉を用いた時期はあっても、麻原を相対化しており、「ひかりの輪」の発足も、麻原の意思では全くないことについて述べる。

 

1)国は、一審の国準備書面(1) 第1の1(2) 、同準備書面(2) 第1の1(1) 、さらには、控訴理由書の第3の2の(1)イなどにおいて、一連の事件を招いたオウム真理教の教義の危険性とは、麻原に対する絶対的帰依、タントラヴァジラヤーナ、五仏の法則、マハームドラーの法則であると認めている。 

(2)これは、殺人や麻原に対する不敬行為など、通常はオウム真理教の教義で悪行とされるものに関して、麻原の指示がある場合は、それをなすことが認められるというものであるが、これに関する非常に重要な原則が、その場合は、「麻原の言葉通りに、言葉以下でも言葉以上でもなく」実行しなければならない。ということである。

すなわち、麻原への絶対的な帰依の要素の中には、「麻原の言葉」を絶対とし、麻原の言葉通りに、麻原の言葉を唯一絶対のものとし、似ているものがあってもそれはだめであり、麻原の言葉だけが唯一絶対である、という意味が含まれているのである。

この点に関しては、「ひかりの輪」は一審のひかりの輪準備書面(1) 第5の1~4などで主張したところであるが、この点に関しては、国からの反論は一切ない。

 
(3)そこで、あらためて、国の主張・証拠も、この原則を認めている点を指摘しておく。


   まず、最新の書面である控訴理由書・第3の2の(1) イ(p23)においても、国は、

「松本は、タントラヴァジラヤーナに関する修行方法として、松本が弟子のひとりひとりの煩悩の特質を見抜いて特別な課題・試練を与え、それを弟子に取り組ませることによって、自己の意思を捨てさせ、松本と全く同じものの考え方や見方をさせる「マハームドラーの修行」が重要であることを強調している(証拠)」

と主張している。

また、国提出の証拠における国の主張でも、

「麻原は、「タントラ・ヴァジラヤーナ」を実践するためには、グルである麻原に対する完璧な帰依、絶対的な帰依が必要であると説いて、麻原に対する絶対的な帰依を要求するとともに、自己を捨て、グルと全く同じものの考え方や見方をして、グルと合一することであると説いた。」

としている。

かつて麻原は、

「グルの意思とは違うようなね、動きがかなり行なわれていると。で、ここでいったん修正しないと、単なる弟子たちに悪業を積ませてしまうだけであると」

と述べていたことがあり(89/7/20・21の麻原説法・証拠)、グルの意思・指示と異なれば、弟子にとって悪業になることを指摘している。

また、国は、麻原への絶対的な帰依を実践する現Alephの機関誌を引用して、麻原への絶対的な帰依とは、麻原の言葉への帰依であることを強調していることを指摘している。

「真理をこの世に残すに当たってまず大切になってくるのは、グルが説かれた教えの厳密性・純粋性を保持するということである。つまり、真理の教えにしろ経典(仏典)の翻訳にしろ、グルを介して提供されたもののみを拠り所とする-わかりやすく言えば、グルの言葉から外れないようにする-ということなのだ。」、

「このことは、「真理に対する帰依」の意味合いのところでも取り上げたように、それが「グルの言葉に対する帰依」であることからもおわかりいただけるのではないだろうか。」(一審の判決で引用されている証拠)

加えて、念のために、言葉通りの実践が原則であるという点に関して、一審のひかりの輪準備書面(1) 第5などで既に示したにもかかわらず、これまで国が一切反論できていない麻原の説法の内容を改めて適示しておく。

帰依ができているということは、完璧にグルの言っていることを百パーセント実践すると。これは百二十パーセント実践しないと。あるいは八十パーセント実践しないという意味だ。百パーセント実践すると。(麻原説法 88/9/22 富士山総本部:証拠)

上記と全く同じことであるが、グルの言葉・行動と自分の言葉・行動を完全に同じものとする(合一させること)が、麻原の変化身(=麻原の分身・麻原のクローン)になるためには必要とされる。

君たちが、わたしと輪廻を共にする場合、君たちがわたしの変化身として、もし、これからの人生をトランスフォームすることができるならば、必ずや君たちは、来世わたしと共に輪廻することはできるであろう。ではどのようにしたら、わたしの変化身になれるのか。それは言うまでもなく、心においてグルと合一し、言葉においてグルと合一し、そして行動は、グルがなすであろう行動を実践すべきである。(麻原説法 93/10/5 第二サティアン)

グルが与えたね、あなたはこれをやってはいけない、これをやりなさいということに対して、絶対服従することだね。(麻原説法 86/3/21~24 丹沢集中セミナー)

 
(4)さらに、麻原への(絶対的な)帰依を実践する現Aleph(「ひかりの輪」発足以前のA派)が、麻原への(絶対的な)帰依とは、麻原の言葉通りの実践であることを強調している証拠を追加する

①A派作成の教団機関誌「進化」(証拠)

この中で、A派は、以下の通り、グルの言葉通りの実践を強調した。

「わたしたちはグルが説かれた煩悩破壊という最高の世界に至るための教えを、歪めてしまうことなく、時代を超えて継承していかねばならない。それがグルの願いなのである。」(一審の判決p47~48、証拠)

「真理をこの世に残すに当たってまず大切になってくるのは、グルが説かれた教えの厳密性・純粋性を保持するということである。つまり、真理の教えにしろ経典(仏典)の翻訳にしろ、グルを介して提供されたもののみを拠り所とする-わかりやすく言えば、グルの言葉から外れないようにする-ということなのだ。」(証拠)

「このことは、「真理に対する帰依」の意味合いのところでも取り上げたように、それが「グルの言葉に対する帰依」であることからもおわかりいただけるのではないか。」

以上の記載の後、「グルの教えを正しく伝える ○間違ったことを多くの人に伝えることの恐ろしさ」という項目をあげ、グル(麻原)の言葉から外れると大変なことになるという話が続いており、麻原の言葉から外れているM派の活動を暗に批判している〈証拠〉。

また、麻原への絶対的帰依の重要性と教義の変更が不可能であることを強調しており、一審の判決において、A派が

「松本への絶対的帰依の重要性と教義の変更が不可能であることを説いている。」

と認定されている(一審の判決p48)。

 
②A派幹部の荒木浩主催の「お話会」と称する上祐批判会合(証拠)

    この中で、A派幹部は、以下の通り、麻原の説法にない言葉は一切使ってはならず、一字一句麻原の決めた言葉通りに、言葉を使うべきなのに、上祐らはそうしなかったと批判した。

上祐は、その説法の中で「空」について「偉大なる完全なる絶対なる空」という言葉を語ったが、このような単語は麻原の説法にない単語で、上祐の造語である。本来オウム真理教の編集部では、麻原の説法にないような言葉は一切使わず、一字一句麻原の決めた言葉通りに正確に扱うものだが、上祐はそれを無視して単語も創造した。

また、以下の通り、麻原の言葉を削除したことは、麻原の絶対性を否定する悪業と批判した。

上祐は、『ファイナルスピーチ』の改ざんの際、重要な「麻原が最終解脱者であり、未来においてマイトレーヤ真理勝者として降誕する」旨の内容を削除したことは、麻原の絶対性を否定するとんでもない悪業だ。今その編集をやり直し始めている。

③ A派幹部による信者教化用の資料「マイトレーヤ正大師(※上祐のこと)の非公式な活動に対する疑問の声」資料(証拠)

この中で、A派は、上祐が、大黒柱・虹・十和田湖等の上祐独自の宗教活動を展開する問題を生じさせたとして、2003年10月14日に全正悟師と師が出席したシッダ・サマージャで、上祐に、正式に修行に専念するよう要請する「嘆願書」を提出、さらに、修行に入ったはずが勝手に出たとして、上祐を激しく批判している。

そして、上祐の問題として、「本来グル(※麻原)しか行ってはいけない行為(経典の解釈)」を行い、「教えの純粋性を損なった」とした。修行を出た後も、麻原が許可していない神社礼拝(戸隠神社礼拝)を行うなど、「尊師から定められたことを守らない運営方針」「尊師外し」「グル化問題」は止まらないと激しく批判している。ここで、麻原のみが経典の解釈ができるということは、弟子は、麻原による経典の解釈を示す教えの言葉によってのみ、教えの実践をするということにほかならない。

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【1】2002~3年の改革の失敗と、マイトレーヤ正大師(上祐)修行に入られた経緯

(2) 改革の弊害  まず社会対策ありきで、宗教性の部分を歪曲してしまった。

(3)「嘆願書」を受け入れて修行に専念へ

◎嘆願書の要旨:・(上祐は、)「本来グル(※麻原)しか行ってはいけない行為(経典の解釈、エンパワーメント)」を行うことを始めとして、様々な問題を生じさせてしまった。教えの純粋性を損なってしまった。

 【2】2004年、マイトレーヤ正大師(上祐)が修行から出たことの経緯と問題

・活動再開後も変わらない改革路線(「尊師外し」と「グル化問題」)

・戸隠神社礼拝問題:2005年の3月に上祐とその一行10名が、戸隠神社の鳥居の前で立位礼拝をしたということが分かり、教団内で大問題になった。

【資料・神社礼拝についての尊師説法】

・戸隠神社礼拝と新教義の展開で、麻原以外の信仰形態を取る改革を推進する意図が明らかに。

・尊師から定められていたことを守らない運営方針

 【3】本来のあるべき教団運営

(2) 原則に立ち返る~尊師の説かれたことや定められたことを忠実に~

真の意味での救済=解脱・悟り(煩悩破壊)へ至るためには、尊師に対する帰依なくしてあり得ない。対外的には柔軟な対応が必要だが、信仰の面では絶対尊師は外せない。

いかに尊師の意思を外さず、しかも強固な教団作りをするには、このように尊師の説かれたことや定められたことをしっかり守り、原則に立ち返ることが重要なのではないか?

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 ④ 元幹部・杉浦の証言:グルの言葉を絶対視するAleph教団を裏支配する麻原の妻の方針

オウム真理教で長らく編集部に所属していた元幹部の杉浦は、以下の通り、Aleph教団では「麻原の説法がそのまま教義になる」と語り、麻原の説法のうち一連の事件に繋がったとされる「最終解脱者」「グル絶対」などの部分を伏せ字にすることさえ、麻原の妻は、「グル(麻原)への冒涜だ」として許さず、「グルの言葉は絶対だ。正す必要はない」と述べていたと証言している。

教団では、麻原教祖の説法がそのまま教義になります。平成8年の弁明手続きの際、麻原教祖の説法のうち、一連の事件に繋がったとされる「最終解脱者」「グル絶対」などの部分を伏せ字にしました。

しかし、知子さんは「グルへの冒涜だ」として伏せ字にすることを許しませんでした。(中略)また、平成16年頃、「ファイナルスピーチ」「パーフェクトスピーチ」の編集をしていた際、社会融和を図るため、事件に繋がる記述には、言葉を換えることまではしないまでも注釈を付けていました。(中略)翻訳の部分は正していました。しかし、知子さんは「グルの言葉は絶対だ。正す必要はない」と言い、知子さんと電話で激しい口論をしました。(証拠)

 

(5)「ひかりの輪」の発足に至った上祐らの言動は、Aleph時代から、麻原の言葉通りの実践ではなく、麻原への絶対的帰依に明らかに違反している。

①「ひかりの輪」は麻原の意思した別団体の実現と国は主張するが、実際には、麻原の別団体の指示は、「ひかりの輪」の発足を想定したものではなく、教団解散の危機にあった破防法適用申請時の対策であり、この点で、「ひかりの輪」は麻原の指示に反している。

言い変えれば、仮にその麻原の指示に言及したことがあっても、それは、自分たちの望む団体を作るために、麻原の言葉を利用したことにほかならないのである。なお、麻原の別団体の指示が破防法対策であることは、控訴理由書の第4の1の(p34~35)を見ても明らかであるが、ここで、その獄中メッセージを出した時に、麻原が、破防法が適用されることを前提にしていたことを改めて以下に示す(以下、獄中メッセージは全て、国提出の証拠より)。

○1996年6月5日の獄中メッセージ(KAMI33・1ページ)

「弟子たちに破防法が適用されても、1999年に真の弟子が集まるとの予言があるのを信じろ。乞食をしてでも信仰を続けろ。忍辱の修行を続けろ。破防法適用は避けられないだろう。「わたしの名ゆえに苦しむ」の予言もある」として、破防法適用が避けられないという認識を示している。

○1996年6月12日の獄中メッセージ(KAMI36)

「破防法が適用されたら村岡では持たない。破防法は適用される」


○1996年6月19日の獄中メッセージ(kami39・1ページ)

「昨日の内藤先生の話でうちひしがれている。「破防法は適用されるだろう」と言われた→夢で見る」

○1996年6月14日の獄中メッセージ(KAMI37・1ページ、本別紙1・34ページ)

「ノストラダムスに99年真理の弟子が集まるとありますから、破防法の適用はこの年までではないでしょうか。したがって3年しのげるような体制作りをしっかり行うべきです。」として、破防法対策の体制は、一時的なものと示唆している。」

さらに、麻原は、破防法対策として教祖を降りるとしながらも、以下の通り、破防法が適用されてしまった場合には、やはり麻原を教祖に担げと指示している事実がある。この事実からも、教祖を降りたり、(麻原を前面に立てない)別団体を作る指示は、あくまでも教団の解散指定を行う破防法を回避するための対策である。

○1996年6月5日のメッセージ(kami003・6ページ)

「・勝義部(座主)- ヴァンギーサ、ウッタマー 教義見解を出す これが機能すれば充分
自分の立場--日本の宗教感覚と違う 霊的な流れ(退くことはできない、そのままに)

・信仰の基に自分がいるが、言葉は通じない(拘留されている)
二代目に帰依する--実際の教えを受ける、肌で触れる
ダライラマも仏の生まれ変わり 破防法の手続以外外れる → 自分でなければわからないから

・破防法が適用されたら、教団からもう一度麻原を教祖にかつぐ動きを起こすように動いて欲しい
※降りたが適用されたが自分が出なければ教団が壊滅させられる
→事前に発表しておく(中略)

・教団が記者会見せよ→なるべく早い方がよい
ドゥルガーあたりが出るのが良い
「破防法が適用された再び尊師が継ぐ」も発表せよ
教団の体制を早く発表した方がよい」

  なお、このメッセージをよく見れば、麻原は、破防法対策としても、国が主張するような当局に秘して麻原信仰を隠した団体は意思していないことがわかる。それは、破防法が適用されたら、麻原が教祖に戻ることを(破防法の適用の是非の結果が出る前に)事前に記者会見で発表することを繰り返し指示しているからも明白である。なお、この指示に従って、麻原の長女(ドゥルガー)が記者会見を行った事実がある。

さらに、一審のひかりの輪準備書面(3)に詳しく示した通り、麻原が破防法対策として別団体の指示を出していたことの証左として、麻原は、これらの獄中メッセージより半年ほど前の1995年の10月に、「破防法適用が困難」という報道(朝日新聞など)があった時には、それまでの姿勢を一変させて、上祐の進めた社会融和路線を否定した事実がある。その後、破防法の適用の可能性が再び高まったために、上記のメッセージが出ているのである。

 
② 麻原の指示は破防法対策であったこと以外にも、「ひかりの輪」の発足は、麻原の別団体の指示に様々な点で違反している

 
すでに、「ひかりの輪」は、一審のひかりの輪準備書面(1) の第5や、同準備書面(3) 第1の1(2) などにおいて、上祐らの「ひかりの輪」の発足が、麻原の破防法対策時の獄中メッセージの指示に様々な点で違反していることを詳細に立証している。ここで、その点を改めて述べた上で、さらに補充する。

第一に、麻原の組織分割の提案は、破防法時の対策であって、合意に基づく分割であって、内部対立による分裂などを許すものではない。にもかかわらず、上祐らは、麻原の家族らA派・Alephと分裂して離脱・離反したことである。 

○1996年6月14日の獄中メッセージ(kami37・1ページ)

「教団をアレフとオウム真理教のアーと二つに分けるかどうかについては、正大師や妻達と充分に話し合って下さい。」として、教団を分割する場合は、正大師や(麻原の子供を産んだ)妻たちがよく話し合っておこなうことを求めている。

○1996年1月9日の獄中メッセージで(KAMI03・1ページ、別紙1・34ページにも記載)も「破防法に対しては、二つのグループに分かれ、第1のグループは6人が一組になって(中略)この6人がファミリーとなり、教団の課題活動は一切しない。・・第2のグループは、法的に徹底的に破防法と戦い抜く。ただし、第1のグループは第2のグループの敗北が予想されるので、敗北した場合に吸収できるように準備しておく」として、破防法対策として、二つのグループが役割分担することは認めても、教団の分裂は全く認めていない。

  この一方で、一審のひかりの輪準備書面(1)第5に示した通り、麻原は日頃から、分割ではなく、対立による教団分裂は大悪業であると説いており、麻原の指示・許可がなければ、教団分裂は麻原の意思・教えに大きく反することはいうまでもない。しかし、「ひかりの輪」は、この麻原の指示・教えに反して、麻原の子供たち・妻と対立して、教団に対して破壊的な分裂・離反をしたものである。

なお、麻原の別団体の指示は、まとめれば以下の2点であるが、そのいずれに対しても、「ひかりの輪」は多くの点で違反している。

一つ目は、別の宗教団体を作る指示・許可として、逮捕される前からの指示として、①(事件の結果、破防法などが適用されて破綻するだろう)オウム真理教とは別の宗教団体を作る。②例えば、シヴァ大神を大黒天と呼び変えるような、衣替えした団体にする、というものがあり、これは、弟子が麻原の言葉を要約したものである。

二つ目は、教団を二つに分割する可能性に関する指示・許可として、破防法が適用されることを前提として、「教団を(話し合って)アレフとアーに分けるかについては正大師・妻たちと十分に話し合ってください」というものがあり、これは、弁護士が麻原の獄中メッセージとして伝言したものである。

しかしながら、「ひかりの輪」の「脱麻原」「反麻原」の活動は、上記の指示・許可を完全に違反・逸脱し、麻原の意思と真逆なものである。

第一の指示(別の宗教組織を許す指示)に関しては、「ひかりの輪」は、
①「破防法」の対策ではないこと。
②「別の宗教組織」ではなく、「哲学教室」に改変したこと。
③「大黒天」を破棄し、さらには「いかなる崇拝対象・祭壇も破棄」したこと。
④「衣替え」ではなく、思想・教義の「中身」を大きく変えていること。
などにおいて、明らかに麻原の指示に違反している。

第二の指示(教団を二つに分割する可能性に関する指示)に関しては、

①破防法の対策ではないこと。
②団体名称が「アレフ」でも「アー」でもなく、「ひかりの輪」という名称にしたこと。
③「正大師・妻たちと十分に話し合った」結果ではなく、国も認めているように、
話し合いは決裂したこと
(「正大師」とは、現在Alephに関与する麻原の妻・松本明香里、三女・松本麗華を当然含む)。

 
③ 麻原の別団体の指示は、他の宗教・宗教家の配下に入ることを許すものではないのに、「ひかりの輪」は、この麻原の指示に違反していること。

  一審のひかりの輪準備書面(1) 第5に示した通り、麻原は日頃から、他の宗教を「外道」と呼んで、他の宗教・外部の指導者の下に入ることを禁じていたが、獄中からも、以下のメッセージを出して、改めて禁じている。

○1996年1月9日の獄中メッセージ(KAMI03・1ページ)

「破防法について考えてみました。(中略)他の宗教、ヨーガ団体への吸収の話がありましたが、そのようなことで弟子たちの心が乱れることは非常に遺憾であると考えます。」

しかしながら、「ひかりの輪」は、外部監査人の精神的な指導を受け、出羽三山の羽黒修験道の指導者や、浄土真宗の教えに由来する内観の専門家の指導を受けるなど、麻原の指示に違反していることは、一審のひかりの輪準備書面(1) でも述べたとおりである。

  
  ④ 麻原の別団体の指示は、北伝と南伝の双方を含まない仏教団体になるような妥協を許すものではないのに、「ひかりの輪」は、麻原のこの指示に反していること


 ○1996年6月19日の獄中メッセージ(kami39,別紙1・35ページ)

「例えば、弟子が何をしたら破防法違反になるのか。仏教→他の宗派にもある。教団の分解→名称や教えを別にしても脱法行為となるか?(別紙1・35ページにも記載)

チベット仏教とオウムは同じではない。チベット仏教-北伝。オウム-南伝も含む、研究中心、経典収集中だった

だれが対策メンバーに入っているのかが大切。村岡も杉浦もヨーガについて知らない。村岡、杉浦-一方が南伝、他方が北伝。結局、杉浦ぐらいしか全体像をつかめるのがいないのでは。変な形で残ってほしくない--妥協した宗教は必要ない。仏教の一部を仏教と呼ぶのは冒涜、片輪のようなもの」

こうして、麻原は、北伝と南伝の双方を含まない仏教団体になることは、仏教の冒涜として否定したが、「ひかりの輪」は、そもそも仏教哲学の学習教室ではあっても、宗教団体ではなく、さらには、北伝と南伝のいずれの仏教の信仰も含まないために、麻原が否定した形態の団体にほかならない。

 
⑤ 「ひかりの輪」が、麻原・オウム(Aleph)の教義と活動を内外で徹底的・広範に批判し、脱会支援などAlephに対する反対運動を行っていることも、麻原の指示に違反している。

  麻原の指示では、麻原は合意に基づく団体の分割の可能性は認めても、新しくできた団体が、麻原への批判や、両団体の相互批判は許可していない。麻原の教義では、グル=麻原を誹謗・中傷することは、無限地獄に落ちる大悪業とされる(一審のひかりの輪準備書面(1)のp247、証拠〈94/3/12麻原説法〉、証拠〈94/3/13麻原説法〉、証拠)。

また、「ひかりの輪」は、Alephの麻原信者の脱会を支援し、入信の未然防止もしているが、麻原は、自分を信じる信者を減らすことを全く許可していない。さらに、Alephの著作権侵害等の違法行為を摘発する協力をしているが、自分の信者を増やすAlephの摘発・解体への協力は決して許可していない。こうして、様々な点において、明らかに麻原の指示に違反している。

 

(6)さらに、上祐らは、麻原が麻原に準ずる存在とした、麻原の家族への帰依に反しており、麻原の家族らの怒りと、上祐らの批判・教団活動からの排除に繋がったこと。


 ① オウム真理教の位階制度は、麻原と麻原の子供たちを頂点としていること

  国も証拠として採用・提出している団体規制法の実務書『オウム真理教の実態と「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の解説』の43ページにある通り、教団の位階制度は、麻原(松本智津夫)を開祖とし、麻原の子供を「皇子(こうし)」と呼んで、全ての出家信者(サマナ)の上に置き、その次に(皇子)ではない正大師(石井久子・松本知子・上祐史浩・故村井秀夫)、そして、正悟師(野田成人・村岡達子・杉浦×・杉浦×・二ノ宮耕一)という順列になっている。以下に、これを証明する各事実を述べる。


② まず、1995年3月17日の「尊師通達」において、「皇子(麻原の子女)を全てのサマナより上のステージに置く」とされた(以下、証拠の野田成人のブログより)

そもそも家族とは言っても、三女と麻原妻は、そのステージの差は歴然としている。麻原妻は教団内では正大師の地位にあったが、それでも三女のみならず次女や長女よりもステージ的には下とされた。

この順列は麻原が強制捜査直前に出した通達によるものである。

「皇子を全てのサマナより上のステージに置く」

このような趣旨の「尊師通達」が出されたのは、地下鉄サリン事件直前の1995年3月17日のことであった。サリン事件の実行犯含めた十数名が正悟師に昇格となった。この中には、小生も二ノ宮君も含まれる。

次に、野田成人が述べるように、これは、A派とM派の分裂の際も、強く機能していた(以下、証拠の野田成人のブログより)。

03年6月15日、私は松本家の三女に呼び出されました。(中略)信者には常に高圧的です。「マイトレーヤ正大師(上祐氏の宗教名)のやっていることがおかしいの。彼の言うことを聞かないで、陰で私に協力して」

要は上祐路線の批判でした。麻原をないがしろにして上祐氏が教祖になろうとしている--教祖であり、父でもある尊師の否定は想像以上に苦痛なのでしょう。(中略)ためらう私に三女はこう言い放ちました。

「あんた"重い"わねぇ~。男性の正悟師はやっぱりカルマ(業)が"重い"のかしら。村岡(達子)正悟師なんてすぐハッと気が付いたわよ。目が覚めましたって」

絶対服従。イエスマンになれ。それが「帰依」なのです。

かつて教団内の上下関係は、すべて教祖が決めていました。自分の子供は皇子と呼ばせ、すべての出家者の上のステージに置く。2番手が上祐氏らの正大師、3番手が私たち正悟師と続くわけですが、どんなに頑張っても血筋に勝てない。上には唯々諾々と従う。それが帰依の証なのです。

 ③ さらに、麻原は、その獄中メッセージで、麻原の長男を中心とした麻原の子供たち=麻原であると位置付けている。

国の証拠(証拠)に存在する麻原の一連の獄中メッセージをみれば、1995年12月21日の獄中メッセージ(KAMI01)で、破防法適用申請があった際に教祖・代表を辞した麻原は、以下のように述べている。

鏡暉を中心とした子供たちをわたしと観想してください、それによって、わたしがどこにいようとも、あなた方の霊的な道筋は確保されるでしょう。

こうして、麻原の長男を中心とした麻原の子供たち=麻原である、と位置付けられている。さらに、麻原の息子を教団の中心とすることを指示している。

○1995年10月14日の獄中メッセージ(kami001・1ページ)

教団の運営について(中略) 次男(ギョッコウ)、アキテル、×××を教団の中心として全面に出し、三女麗華、村岡、山本が取り巻く形でやれば教団に力が出るだろう。(注:アキテル、ギョッコウ、×××:麻原の3名の息子の名)

○1995年10月16日の獄中メッセージ(kami001・2ページ)

出来るだけ3人で登場(アキテル、ギョッコウ、×××)

運営 - アーチャリー、××、××と山本、村岡、野田

(注:アーチャリー、××、××:三女、長女、二女のこと)

○1995年11月26日の獄中メッセージ(kami001・3ページ)

(息子3人を)「教団の全面に出せるように」協議して決定すること

 

④ A派は、上記の麻原の指示を教団に浸透させたこと

  A派幹部の信者の教化資料である「マイトレーヤ正大師の非公式な活動に対する疑問の声」(証拠)においても、上記の麻原の獄中メッセージの通達・指示が、以下のように強調されており、教団内に浸透していることがわかる。

【3】本来のあるべき教団運営

(1) 霊的な道筋を大切にする

上祐派の方々は、教団を残すことを強調しているが、後継者の方々を尊重せずにして、どういう教団を残そうとされているのだろうか?

目指すべきは、しっかりとした霊的な道筋を受け継いだ教団作りではなかろうか?

◎94年通達

「すべてのステージの上に皇子を置く」

◎96年尊師メッセージ

「鏡暉を中心とした子供たちを私と観想してください。それによって、あなた方の道筋は確保されるでしょう」

尊師の王権継承者(二代目)は、お子様方であるとしっかりとお言葉に残されている。今の状況下では教団に戻って来れないが、いずれは戻ってこれるような教団作りをこれから私達が努力していくべきではなかろうか?

また、国の証拠(証拠・41~44ページ)にA派幹部・××××作成のA派信者教化のための資料「グルと弟子・系譜の方々と弟子のイメージ図」があるが、これは、2004年11月27日付けのA派幹部・××××作成の信者教化の資料「系譜の方々と弟子の違いに関する補足として」(証拠)の添付資料である。

そこには以下の通り、上記の麻原の獄中メッセージが強調されており、教団内部に浸透していることがわかる。

グルのお言葉

・鏡暉を中心とした子供たちを私と観想してください、それによって、私がどこにいようとも、あなた方の霊的な道筋は確保されるでしょう。」

「信仰の基に自分がいるが、言葉は通じない(拘留されている)。2代目に帰依する--実際の教えを受ける、肌で触れる。」

(中略)今回の問題は単なる(A派とM派の)権力闘争ではなく、この問題の本質は、グルへの帰依、信仰のあり方そのもの。

 
⑤ 麻原は、獄中メッセージで、麻原の6人の子供を麻原と同列の最終解脱者と位置付けた(証拠)。

 麻原は、1996年6月14日の獄中メッセージで(kami37・1ページ)、「◎六人の最終解脱者・アキテル、ギョッコウ、×××、××××、×××」として、この麻原の6人の子供たちが、麻原と同列である最終解脱者と位置付けた。

また、「◎アーチャリー 正報師まであと一歩 ◎××(四女) もともと正報師 ◎×××、×× いずれ正報師に至るでしょう ◎教団はケイマを正報師に上げて下さい」とする一方で、上祐に関しては、「◎上祐 マイトレーヤの場合、神の創造の瞑想が余り行われていないのではないでしょうか。」などとして、正大師の中でも低い評価を受けている。

 

⑥ 麻原は、獄中メッセージで、長男次男を教祖とし、三女を座長とする「長老部」を指示した。


○1996年6月5日の獄中メッセージ(KAMI33・1ページ)

・教祖--長男=鏡暉・リンポチェ猊下 次男=璽暉・リンポチェ猊下

・教団運営 ドゥルガーから始まる子供達、正大師・正悟師をミックスして長老  部を設ける

  全員が参加して教団運営に当たる

・長老部から排斥する場合

・本人の意思による場合

・派閥争いを避けるため一人でも反対したら不可

だれかをやめさせる場合は全員一致で決定

・座長--アーチャリー正大師


⑦ この一方で、麻原は、獄中から、逮捕後の上祐の教団運営の権限・権威を否定・剥奪していること(証拠)。


○1995年10月13日の獄中メッセージ(kami001・1ページ)

「上祐の権限は消滅した。」

 
○1995年10月14日の獄中メッセージ(kami001・1ページ)

「M正大師(上祐)に対するコメント:教団の運営のことは全く考えるな。現在教団に残っている人が責任を持って運営を考えれば足りる。上祐の考え方や対処の仕方は政治的すぎるし、現世的すぎる(外界に右往左往しているという印象だと思う)。渡辺正次郎は切れ!(麻原から発言があった)」

「(上祐が提案した)自主解散はやらない。もう一度考え直せ!」

○1995年10月16日の獄中メッセージ(kami001・2ページ)

「ジョウユウの方針はいかん。もっと強い態度で教団の運営管理にあたるべきである。上九から引き上げるようなことは絶対にいけない。ソフト路線などは一切してはいけない。 崩壊に追い込むために益々追い打ちをかけて攻撃してくる。自主解散はずっと後のオプションとしては考えてもよいが、すぐ発表すべきではない、とジョウユウに伝えていたはず。警察や公安への陳情など何の効果もない。

教団からジョウユウの色を消すように」

 

⑧ 以上の麻原の指示がありながら、別に詳しく述べた通り、上祐らは、これらの麻原の指示に反して活動してきた。

  すなわち、上祐は、①麻原の家族らの合意を得ずに、独自の教団改革をなし、麻原の家族を初めとするA派(現Aleph)から「グル否定」「大魔境」「地獄に落ちる」と批判されて幽閉されたが、②その後も家族の指示に反して、独自の活動を再開して教団を分裂させ、③Alephを脱会・独立するとともに、麻原と共に家族らAlephを公に批判し、Alephの脱会支援などの反対運動を行っているのである。

 

(7)国は、控訴理由書のp35~36において、麻原の指示が破防法対策のものであって「ひかりの輪」の発足には当てはまらないというのは非常に短絡的な評価であると反論して、上祐らの言辞を出しているが、これは失当である。

  国のこの反論は、この指示が破防法対策のものであって「ひかりの輪」を想定したものではないことを一つの理由として一審の判決が本件更新処分のうち「ひかりの輪」に対する部分を取り消したことを意識した反論だと思われる。

しかしながら、第一に、一審の判決も、「ひかりの輪」の主張も、単に破防法対策にすぎないから「ひかりの輪」の発足に当てはまらないと主張しているのではない。
麻原が指示・許可したことは、麻原の家族を含めた上層部の話し合い・合意に基づいた分割であって、「ひかりの輪」のように、麻原が全ての信者の上に置いて自分に準ずると位置付けた麻原の家族に従わずに、それと対立して分裂・離脱することは許していない。

一方、教団分裂は、麻原の教義においては、無間地獄に落ちる大悪業されていることは、一審のひかりの輪準備書面(1)第5において当初から立証している通りであって、麻原の明確な許可がなければ、麻原への帰依がある者は決してできることではない。

この点については、国提出の証拠(証拠の荒木浩陳述書)において、麻原に帰依するA派幹部の荒木が、A派とM派(上祐派)の対立の初期において、M派ではなく、万一、自分達A派が教団を出るようなことになれば、麻原に準じる家族の指示とはいっても、麻原が禁じる教団分裂の罪を犯すことになる可能性をひどく恐れたという(p38-39)ことからも明らかである。

こうした点を踏まえて、一審の判決は、以下のように認定したのであって、それは全く妥当であるというべきである。

原告が設立されるに至った背景には(中略)、上祐派(M派)と反上祐派(A派)が対立するに至るという経緯が存在した(中略)原告(ひかりの輪)の設立に際して、原告に参画する者とそれ以外の者との間で、観察処分を免れるためにAlephを意図的に分派又は分裂させることを合意したなどと認めるに足りる証拠はなく、むしろ、当時、Alephの集団指導体制を構成していた村岡、野田成人、杉浦×及び杉浦×は、上祐の考えに理解を示したものの、中堅幹部構成員らに反発され、その後、脱会や役員の辞任を余儀なくされており、(中略)上祐が説いた(中略)考えが、Alephに残る者の間で広く共有されているというわけではない。(中略)

上祐は、平成17年頃には、Alephとは別団体を設立する考えを表明し、それが松本の意思にも沿うように説明しているのであるが、引き合いに出された松本の発言は、松本の逮捕前のものや、破防法に基づく解散指定請求に際してのものであり、松本がAlephと原告の分派を念頭に置いて発言したものではないことは明らかである。

以上の通りであって、原告(ひかりの輪)の設立は、別団体を組織して、別団体との間で役割分担しながら活動することを求めていた松本の意思に従ってされたものであるとまでは認めることができない」(一審の判決 p93~94)

こうして一審の判決は、オウム真理教の教義・麻原への絶対的な帰依が「言葉通りの実践」であるという原則などもよく把握したうえで、適切な認定をしているということができる。

加えて、対立分裂であるという点だけでなく、前記の通り、「ひかりの輪」の発足とその後の活動は、麻原の破防法対策の獄中メッセージなどに照らせば、他の様々な点においても、その指示に違反しており、単に違反しているばかりではなく、全く逆行したものとなっている。

第三に、国が主張する通り、麻原の破防法対策時の指示を上祐が別の状況に適用しているとすれば、そのこと自体が、麻原の言葉通りに実行するという絶対的な帰依の原則に対する違反が上祐に生じていることの証左であって、上祐が麻原の指示を利用して自分の望む団体を構想している証左である。そして、実際に、当時のアレフは、上祐らの言動が麻原への絶対的帰依に反していると激しく批判したことからも、そういうことができる。

第四に、国が引用した上祐の言辞(証拠と、証拠)に関して反論しておく。このいずれの言辞も、①現状に破防法対策時の別団体の麻原の指示の言葉が正確に当てはまると言っているのでもなければ、②麻原が合意の分割ではなく分裂を認めているとか、さらには、麻原・Alephに対する批判・脱会支援などの反対活動を認めていると主張しているものではない。こうして、上祐らが、麻原の指示の言葉通りに、すなわち、麻原に対する絶対的な帰依の実践をしていないことは明らかである。

 

(8)さらに、上記以外の点においても、「ひかりの輪」は、麻原に無許可で、麻原・オウム真理教の教義では大悪業になる行為を数多く行っている。

 
すでに一審のひかりの輪準備書面(1)や前記第6の1などで述べたが、その中には、オウム真理教で問題になった、親族を含めた外部社会との断絶を解消するものがある。あらためてその具体的な事例を要約して述べておく。

① 麻原の許可なく、麻原が認めていない一連のオウム事件への関与を認め、それを罪として謝罪し、麻原とその教えを内外で否定・批判し、被害者と賠償契約を締結したこと。

② 麻原の説いた予言や復活の思想を否定し、麻原が刑死すると考えるだけでなく、麻原の死刑執行に賛成して、その必要性を公に語っていること。

③ 麻原が、麻原同様の最終解脱者とした麻原の長男・次男や、全ての信者の上に置くとした麻原の他の家族らに従わずに、内外で批判し、その違法行為を告発していること。

④ 麻原や麻原の家族の指示・許可なく、勝手に教団を分裂させて独立したこと。

⑤ Alephが勧誘した麻原の信者に対して脱会相談などの支援をして、麻原信仰から抜ける手 伝いをしていること。

⑥ 他の宗教家・他の宗教の神社仏閣・外部者から学んでいること(他宗教・他宗派の神社仏閣・聖地を訪問し、その宗教家から学んでいること、また、外部監査委員会を設置し、外部監査委員である修験道の指導者など、外部の精神的指導者の指導を受けていること)。

⑦ 麻原の説いた出家・出家制度をやめ、親族・外部と交流を再開して深め(元オウムの出家者の)専従会員には個人資産を認め、その親の介護を出家よりも優先していること(専従会員多数が、親の介護のために実家に滞在している)。

⑧ 麻原が「悪魔の手先」として戦うべきとした警察・国家権力に対して、麻原・Alephの信者たちの犯罪・違法行為を防止するために、通報・告発・協同監視などの捜査協力を行なったこと。

⑨ 麻原・オウムが否定した国民年金に参加するなどして、麻原がハルマゲドンによって滅びるとした現在の国家と共に歩んでいること。

 

以上の重要な事実について、国が反論したことは一切ない。


最後に、麻原は、何でもやってよいという白紙委任状的な許可をしたことはないということも、重要な事実である。国の主張は、麻原があたかも観察処分を免れるためならば、脱麻原・反麻原の如何なる行動をも許可したという実在しない前提に基づいている。

しかし、そんな証拠は一切ない。その理由としては、そのような白紙委任状的な許可を出すことは、麻原の教義からすれば、麻原と同等のステージであると認めることになるため、ありえないからである。

さらに、仮に白紙委任状的な許可があったならば、「ひかりの輪」が発足した10年前の時点から、麻原への帰依として、観察処分を逃れるために、いち早く「脱麻原・反麻原」を行っていたはずである。

しかし、実際には、大きな団体改革である哲学教室の改編は2013年(平成25年)から、アレフ信者の脱会支援や著作権問題の摘発協力を本格化させたのは、被害者団体の弁護士の助言を受けた2012年(平成24年)から、上祐が麻原・アレフを批判する書籍を発刊し始めたのは、2012年(平成24年)からであるという一連の事実の説明が全くつかなくなる。

 

(9)以上のことから、「ひかりの輪」発足以前のアレフ時代から、上祐らの言動の本質は、麻原への(絶対的な帰依)ではなく、上祐ら自身の意思(自分達の望む団体のあり方)を実現するために、麻原の言葉の一部を用いた(利用した)ものにすぎない。

 
実際に、一審の判決は、

「上祐は、平成17年頃には、Alephとは別団体を設立する考えを表明し、それが松本の意思にも沿うように説明しているのであるが、引き合いに出された松本の発言は、松本の逮捕前のものや、破防法に基づく解散指定請求に際してのものであり、松本がAlephと原告の分派を念頭に置いて発言したものではないことは明らかである。(中略)以上の通りであって、原告(ひかりの輪)の設立は、別団体を組織して、別団体との間で役割分担しながら活動することを求めていた松本の意思に従ってされたものであるとまでは認めることができない」(判決p93~94)

と述べて、

「(上祐らの意思だけでなく)松本の意思に"も"かなう」とか、「引き合いに出された」

などと表現して、上祐らの意思が最初にある主たる要因であって、それに付随して利用されたのが麻原の指示であるといった、主従関係にあることがわかる表現をしている。

また、上祐らは、麻原に帰依したのではなく、自分達の意思に合うような、麻原のそれと似た指示を引用したということである。さらに、当時の状況を描写した麻原三女・松本麗華の書籍(証拠)にも、上祐らが麻原に帰依しているのではなく、自分達の意思・欲求のために麻原を利用しているというニュアンスがわかる内容がある。

・母の元部下から、上祐さんは本のコピーだけでなく、自分に都合がよくなるような、父の説法の改変もしているということも伝わってきました。(中略)上祐さんに訪ねると、「説法の改変などしていない。社会融和のため、危険だと言われるところをカットしているだけだ」と言われました。(中略)上祐さんの言葉と行動の違いは、わたしを大いに混乱させました。上祐さんは、「尊師のためだ。尊師の教えを広めたくないのか」と言いながら父の存在自体を抹消しようとした。

・なぜ彼は自分の経験したことを説かず、父の名を使って「グルの意思だ」と言いながら、父の書いたもの、父が経験したことを、自分の都合がいいように変えるのだろう。権力、名声を得たいの? なぜ動揺もなく戒律で禁じられた嘘がつけるのだろう。もしかして上祐さんには、信仰がないのだろうか。もしそうなら、なぜ自分で一から新しい宗教を作ろうとしないのだろう。悩んだ末、わたしは彼の言葉ではなく、行動を見ることにしました。

・「さよなら上祐さん」「もう上祐さんの味方ではいられない...」わたしの考えが変わった2003年春(中略)。母(知子)は、オウムは自分が父と一緒に築きあげてきた教団だと思っており、上祐さんが、オウムの後継団体アレフを自分のものにしてしまおうとする姿を見て、自分が関与しなければ教団が変わってしまうという危機感を持ったようです。

最後に加えるならば、国が示した上祐らの如何なる講話・当時のM派の如何なる主張を見ても、上祐らが「M派の社会融和的方針(こそ)が麻原への絶対的な帰依である」と主張しているものは一切ないし、また、麻原の指示・意思にもかなうといった表現はしていても、「麻原の指示通りである」などと表現しているものは一切ないことからも、麻原への帰依ではなく、利用であったと理解することができる。

 

(10)以上のことから、国が主張するオウム真理教の危険性である、麻原の言葉通りの実践である絶対的な帰依・タントラヴァジラヤーナ・五仏の法則によって殺人を犯すという問題は、上祐らにおいては、「ひかりの輪」の発足以前のアレフ時代に、すでに消失していることがわかる。

   それは同時に、上祐らの危険性も消失しており、観察処分の必要性がないことを示すとともに、「ひかりの輪」の発足は、麻原への絶対的な帰依による麻原の意思の実現ではなく、麻原がその創始者ではないことがわかる。
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