オウム真理教の清算
オウム真理教時代の清算についてのコーナーです

ひかりの輪がオウムではない事実〈裁判資料から〉

【6】「麻原を王とする」政治目的を有さず、そのための違法行為を否定してきた事実
(2019年2月28日)

前の記事に引き続き、ひかりの輪が観察処分取り消しを求めて裁判所に提出した書類を、以下に掲載します(読みやすさやプライバシー等を考慮して、一部、削除したり伏字にしたりしている箇所があります)。

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【6】「麻原を王とする」政治目的を有さず、そのための違法行為を否定してきた事実


ここでは、これまでに述べた「ひかりの輪」の活動の経緯に基づいて、「ひかりの輪」が、本件観察処分上の政治上の主義を維持しておらず、無差別大量殺人を行う可能性がなく、本件観察処分が全く不要であり、本件被処分団体に含まれないことを述べる。

 

(1)本件の政治上の主義の有無が、被処分団体の危険性の有無の根源・焦点であるにもかかわらず、国は、「ひかりの輪」が政治上の主義を維持しているという証拠を一切示していないこと。

  本法第4条1項が規定する通り、「無差別大量殺人行為とは、破壊活動防止法(以下「破防法」という)4条1項2号へに掲げる暴力主義的破壊活動(注・政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対する目的を持ってする殺人)」であり、政治上の主義の実現等を目的としたものとされる。

それを踏まえ、国は、自らの一審の国準備書面(1)で認めるように、

「両サリン事件は、いずれも松本が独裁者として統治する祭政一致の専制国家を樹立するという政治上の主義を実現するために本団体の活動として敢行された無差別大量殺人行為による事件である」(同準備書面p8)であり、「無差別大量殺人行為が団体が持つ一定の目的達成(=上記の政治上の主義)のために行われている場合には、反復して行われる可能性が高いという特性がある」(同準備書面p8)

とし、本法の主旨・目的とは、

 「過去に無差別大量殺人行為を行った団体が、現在も無差別大量殺人行為に関する危険な要素を保持していると認められる場合に、(中略)公共の安全の確保に寄与するために制定された」と結論した。

これらの国の主張に基づいて、その逆を言うならば、「ひかりの輪」が、無差別大量殺人行為の目的・動機である「松本が独裁者として統治する祭政一致の専制国家を樹立する」という政治上の主義を放棄して離れているならば、無差別大量殺人行為を繰り返す危険性はなく、その危険性を前提にした本件処分は不要であり、違法であるということになる。

しかしながら、極めて重要なことに、一審及び控訴審の国の主張を見ても、「ひかりの輪」が依然として政治上の主義を維持しているという主張と証拠は一切見られないのである。

例えば、一審の国準備書面(1)は、p5以降で、まず、オウム真理教の教義は、タントラ・ヴァジラヤーナ、ポア、マハームドラーの修行、麻原への絶対的な帰依、五仏の法則など、殺人を肯定する教義を有しているとし、p14以降で、「ひかりの輪」が、松本とその教えに帰依をしているなどと主張し、控訴理由書も全く同じ主張・論理構成なのだが、肝心要なこととして、「ひかりの輪」が、単に麻原やその教えをどう思っているかではなくて、本件処分時においても、上記の政治上の主義をオウム真理教の教義と結びつけて維持し、すなわち、依然として「松本が独裁者として統治する祭政一致の専制国家を樹立するために、武力行使=無差別大量殺人を行うという意思・思想を維持している、という点が、一切証明されていないのである。

しかしながら、松本を独裁者ないし王とする祭政一致の専制国家体制を樹立するという政治上の主義という目的・動機がなければ、その実現の手段にすぎない、上記の各危険な教義があったとしても、無差別大量殺人行為が反復されることはなく、その危険性に基づいた観察処分は必要・適法ではない。

わかりやすく言えば、かつて政治上の主義を動機としたいわゆる過激な宗教集団が、時とともに、その過激思想(政治上の主義)から脱して、穏健派に変わることはよくあることであって、それゆえに本法も時の経過とともに本法の廃止を含めた見直しを求めているにもかかわらず、国は、「ひかりの輪」が依然として政治上の主義を維持しているという証拠を一切示すことができていないのである。

 

(2)関連する一審の判決の認定

 この点に関して、一審の判決は、

①本件期間更新時においては、一連の事件から久しく、麻原も長期間収監中であることなどから、武力を行使して麻原を独裁者ないし王とする祭政一致の専制国家体制を作るという本件の政治上の主義が、オウムの教義と密接不可分とは言えず、仮に結びついていても構成員がその実現のためにどのような手段(無差別大量殺人行為)を取るかは不明であり(P94~95)、さらに.

②A派とM派の対立に見られるように、オウム真理教の教義は、その絶対的帰依という教義の本質的な部分さえ多義的であって、各人により解釈が異なっているから、同教義を共有している者たちであっても共同の行動をとるとは言えず、一つの組織としての意思決定がなければ、(無差別大量殺人行為に向けて)、共同の行動をとる一つの団体ということはできないとし(p94)、その上で、(政治上の主義を維持している可能性がある)アレフ=本件被処分団体と、「ひかりの輪」は同一の団体とはいえないと判断した(P99)。


(3)「ひかりの輪」は、Aleph時代から、政治上の主義と違法行為を強く否定してきたおり、それがA派・Alephから脱会・独立した一つの動機となったこと。

 本件の政治上の主義は、麻原・オウム真理教の予言的な世界観に現されている。具体的には、1988年末ごろより、麻原が新約聖書のヨハネ黙示録などを解釈して、以下の通り形成されたものである。

① 今の世界は、善業多き魂=オウム真理教などの真理の実践者と、悪業多き魂=オウム以外の社会一般や間違った宗教の実践者に二分化されており、悪業多き魂がこの世を支配しており、善業多き魂を弾圧していること。

これを現実の世界に当てはめて、麻原と教団は、1989年から始まった一連のオウム  事件に対する警察による捜査、マスコミによる教団の批判報道、さらには、1990年の選挙の敗北などを選管の投票操作などとして、陰謀的な弾圧と主張した。

② しかしながら、将来はキリストとその弟子・聖徒である善業多き魂が、力=武力=タントラ・ヴァジラヤーナの実践によって、悪業多き魂を滅ぼして(ポアして)、真理の世界を作ること。

これを現実の世界で実現するために、麻原と教団は、まず1989年に教団に反対する坂本弁護士を殺害し、1990年前後から、教団武装化の研究・実験、いわゆるヴァジラヤーナ活動を始めた。

1992年末前後から、教祖麻原が闇の国家権力から毒ガス攻撃を受けていると主張しながら、1993年頃から教団武装化の研究・実験を本格化し、麻原が1997年までに武力行使して政権を奪取し、麻原が日本の王となる専制国家が樹立することを宣言した。

1994年には松本サリン事件を発生させて、疑似的な戦争状態と認識して、ついには地下鉄サリン事件を発生させるに至った。単なる政権奪取の武力革命ならば政権中枢を狙うはずだが、そうではなく松本や地下鉄の一般大衆を対象としたのは、今の大衆は、麻原が言う真理の実践をしない者がほとんどであるから、予言に従って大量にポアして、善業多き魂の世界を作るという予言の解釈によると思われる。なお、麻原は「97年真理元年」というヴィジョンを見て、1997年までに麻原が政権奪取して年号を真理元年に変更するべきという趣旨の主張・指示を弟子たちにした。

 これらは、麻原の裁判での判決、国の主張・証拠、逮捕前の麻原・教団の予言関係の書籍・説法から確認することができる(たとえば、証拠)。

 さらに、国の証拠の麻原の獄中メッセージ(証拠)の中にも、①99年に真理の弟子が集まるという予言を信じるべきであること(1996年6月14日の「KAMI 37」の1ページ)②97年がやはり真理元年であること(「KAMI 51」の下から3行目~)、③国の生活保護に依存することは宗教的敗北になること(証拠)、④陽神(神のような自在な身体)を得るから安心すべき(証拠の「破防法について」、証拠、証拠の「マノーサンカンタムッタの質問に答えて」、証拠の「村岡さんへ」、証拠の「伝言」)という主旨のものがある。こうして、獄中からも麻原が信者に、予言を信じるべきであり、自分は刑死せず、復活することを期待させるメッセージを出した。

また、麻原の説法では、

1.繰り返し、警察・マスコミは悪魔の手先であるとしており(証拠)、

2.教団を批判するマスコミや外部の情報を遮断すべきこと(証拠)、

3.教団・出家に反対する親は悪業多き魂として関係を断っても出家すべきこと(証拠〈88/7/31麻原説法〉)、また、一審のひかりの輪準備書面(1)第5(p250)で述べた通り、親(の介護など)を出家よりも優先すべきでないこと(証拠〈88/9/21麻原説法〉)、

4.他の宗教、日本の宗教を外道として、従うべきではないとし、弘法大師・真言宗を否定し、日蓮宗・創価学会を(法華経地獄に落ちる者などとして)否定し、聖徳太子さえも見下している(証拠)。

 

(4)上祐らは、獄中とアレフ時代から、麻原の政治上の主義と違法行為を否定してきたこと。

前記第6の1で示した通り、上祐は、その獄中ノートで、麻原の予言は絶対視できないこと、麻原を唯一絶対としないことを記載している(証拠)。

そして、前記の通り、上祐は教団に復帰した初年である2000年においても、実際に重要な以下の行動に出る

1.2月に、公に麻原の事件関与を認め、祭壇からその写真をおろし、瞑想家に格下げ。
2.3月に、麻原の奪還を図ったシガチョフを国内外の警察に通報・協力して摘発。
3.7月に、麻原の事件関与を認めた上での被害者賠償契約を締結。

さらに、前記第6の1で述べた通り、上祐は、外部向け・表向きではなく、教団内部に裏表なく真実として、麻原の事件関与=無罪釈放の否定を明言し、事件は肯定できず反省すべきだとし、麻原の予言・復活を否定し、刑死の見通しを説法するなどして主張した。時系列的に言えば以下の通りである

1.2000年:出家者には、予言・復活を教団復帰の当初から否定した。
2.2002年:在家信者に麻原の死を前提としたヴィヴェーカーナンダの話を説法。
3.2003年1月頃:国の証拠(証拠:平成15年1月26日の横浜道場での説法)のように、在家信者に対して、麻原が復活せず刑死することを初めて明確に話す。
4.2003年:埼玉県草加の団体施設での全出家者と在家信者多数を集めた総会にて、

全信者に麻原の事件関与を明言して陰謀説を否定、事件は反省すべき悪業とした。
5.2004年末以降:上祐派の会合・ブログで、麻原らの事件関与を直視・反省した。

これらの事実は、第6の1に示した上祐、「ひかりの輪」の指導員ら専従会員の陳述書、当時のM派の会合資料・ブログの記載などで明らかである。

 

(5)これらの上祐の活動は、表向きではなく、真実の麻原の相対化だったこと

これらの上祐の言動は、決して外部社会向けの表向きのものではなく、教団内部のものであって、真剣なものであった。よって、麻原を絶対とする麻原家族ら=A派は、グル隠しではなく、グル外し・グル否定であるとして、必死に批判・攻撃・排除することに至った(証拠)。

 こうして、本件観察処分の政治上の主義にあたる麻原の予言や復活の否定は、麻原の絶対性の重要な否定であって、麻原の相対化にほかならず、国のグル隠しという評価は根本的な誤りである。

それゆえのA派の激しい反発は、第7の2で詳しく立証したとおりである。麻原家族を教団内で代弁する荒木や××によるお話会や信者教化資料の見解では、上祐らの言動は、グル隠しではなく、グル外し・グル否定であると明言されている。こうして、麻原隠しではなく、真の麻原の相対化であることが事の真相である。

 この点にかんして、改めて具体的に要点を説明するならば、上祐は、麻原が事件への関与を否定し、獄中でも予言・復活の説法を継続し、麻原の家族を麻原に準じる教団の最高位に置いたにもかかわらず、それに反して、

1.麻原の事件への関与を認め、
2.その事件を悪業として反省すべきと主張し、
3.麻原が許可していない麻原の事件関与を認めた上での被害者賠償契約を締結し、
4.麻原の家族が称賛した、麻原を奪還を図った信者を「悪魔の手先」であるはずの警察と協力して摘発し、
5.麻原の予言・復活を否定して、刑死を前提とした活動を主張し、
6.違法行為であれば麻原の家族のそれさえも批判している。

こうして、上祐らの言動は、麻原が予言に従って復活し、王となるという政治上の主義を完全に否定するものであり、それは「麻原の相対化」にほかならない。よって、麻原を絶対とするA派が、グル外し・グル否定と解釈したのは当然である。

そして、国が、上祐の行為が単に麻原への絶対的帰依を内心に隠している(グル隠し)と評価することは明らかに間違いであって、これは、上祐が三女へのメールで、グルを隠すことはしないと述べていることからも分かる。これは、教団の極めて内部におけるやり取りだから信用性が高い(証拠)。

そして、この経緯の本質をまとめるならば、教団復帰初期の上祐は、麻原への帰依を説法などで表明はしていても、同時に、政治上の主義を否定している。この点においては、麻原の絶対性を否定しているから、麻原を相対化しているということである。


(6)政治上の主義の否定の重要性

 前に述べた通り、麻原の政治上の主義への帰依がなく、その意味で麻原が相対化されていれば、その政治上の主義が根源である無差別大量殺人行為の危険性は消滅しており、観察処分は不要と判断されるべきである。

この点が、政治上の主義の存否は不明、教義の本質も多義的・解釈多様であり、麻原隠しか否かは、「ひかりの輪」と(政治上の主義を維持している可能性がある)Aleph・被処分団体との同一性の根拠とならないとした一審の判決の趣旨でもある。

また、国のいうオウム真理教の教義とは、政治上の主義と結びついたものであり、上祐による政治上の主義を否定した相対化された麻原とその教えは、本件被処分団体についていわれるオウム真理教の教義とはいうことはできない。いわば偽オウム真理教の教義であって、上祐らが改訂した教義であり、「ひかりの輪」は、「麻原が教祖・創始者」とも言えず、「オウム真理教の教義を広め、これを実現することを目的とし、麻原とその教義に従う者」ということもできない。


(7)上祐らの行動は、現実的・合理的・合法的な団体形成のためには、唯一の現実的な手法・行動だったこと

 上祐らは、初期段階において、政治上の主義・予言復活を否定しつつも、麻原やその言葉を肯定して、麻原を全面否定せずに、相対化しながら、段階を追って麻原から脱却してきた。

この理由は、
①麻原の予言・政治上の主義は否定し、その意味では麻原を相対化していても、過去の帰依の習慣から、即座に麻原を完全・全面的に脱却することは困難であったことと、
②麻原を絶対とするA派の多数派信者の強い批判・圧力に抗して、教団を合理的・合法的な路線に導くために、唯一の現実的な手段・道程であった。

その中では、信者に(最も)効果の高い麻原の言葉で、政治上の主義・違法行為を否定したこともある。

しかしながら、
①上祐らの行動は、前記の通り、度々麻原や麻原の家族への帰依よりも、   政治上の主義と違法行為の否定を優先させるという内実を有していたこと、
②そもそも麻原の性格からして、妄想的・非合法的な教え・指示が現実的・合法的な指示よりも多かったなどもあって、麻原の一部の現実的・合法的な教え・指示を用いる手法も、全体としては無理な面もあった。

結果として、前記第6の1や第7の2に示した通り、麻原の家族・A派の強い反発と上祐の排除=幽閉を招いた。また、前記第6の1に示した通り、「悪魔の手先」である警察と協力したこともあって、公安のスパイという噂がA派の中でささやかれるに至り(証拠)、上祐に毒を盛る話も出たほどである(証拠)。

しかし、前記第6の1で述べたとおり、上祐は、幽閉された後も、麻原の子女に逆らって、違法行為の否定と防止は続け(ケロヨン事件)、やはり自分が合法的な団体運営を進めるべきだということを動機の一つとして幽閉から自力で脱出し、その後は、麻原の家族の違法行為の疑惑をも批判し、本来麻原に準じて従うべき麻原の子女に逆らい続けた。

 

(8)新団体の設立自体が、政治上の主義と違法行為の否定が目的だったこと

そして、前記第6の1で述べたように、M派立ち上げの後も、麻原の家族には、合理的・合法的な団体運営を行う様子がなく、さらに、2006年春には、麻原の控訴が東京高裁で棄却され、さらには、家族が自ら違法行為の疑惑を作り続けた(訴訟詐欺疑惑)。

よって、上祐らは、このままでは、将来的に家族らA派の盲信・狂信と違法行為・集団自殺などに巻き込まれていく恐れが高まったと感じ、もはやA派と同じアレフ教団では、合理的・合法的な活動はできないとして、教団内での改革を諦めて、脱会・独立した新団体の構想の検討を開始したのであるが、この事情は、前記第6の1で示した通り、国自身が証拠提出した、上祐の小諸道場での説法の証拠(証拠)でも明らかである。
よって、この新団体構想の主眼は、観察処分逃れの麻原隠しの団体を作ることではなく、A派の麻原の盲信と違法行為から逃れて、合理的・合法的な活動をする団体を形成することであり、観察処分の脱却は、その自然な結果以上のものではない。

 

(9)「ひかりの輪」の発足後も、政治上の主義と違法行為の否定に努めたこと

  そして、「ひかりの輪」の発足以降も、一審のひかりの輪準備書面(1)第3・第4や、前記第6の2・3などで述べた通り、「ひかりの輪」は、以下の通り、政治上の主義と違法行為の否定に努めてきた。

① 発足以来、今日まで、基本理念や団体規約で、麻原とその危険な教えと事件を否定し、違法行為を禁じ、これを浸透させる努力を継続してきたこと。なお、発足初期には、麻原の事件を肯定するなどした会員(現在既に死亡)1名が自主退会したことがある。

② 発足以来、今日まで、多くの説法・メッセージ・教本・書籍・トークイベントで、繰り返し、麻原とその事件、その原因となった予言思想(政治上の主義)や危険な教えを否定してきたこと(証拠)。

③ 発足以来、今日まで、麻原の教えでは「悪魔の手先」とされた警察関係者、報道関係者、オウムに反対した親・他の宗教を含めた外部者と交流をしてきたこと。

具体的には、一審のひかりの輪準備書面(1)の第3(脱麻原の改革)や第4(反麻原アレフの活動)や、前記第6の1~3などで示した通り、
1.警察・公安調査庁への情報提供をし、
2.かつて敵対した報道関係者とも協力して、オウムの反省・総括する情報発信(有田氏・江川氏)や、アレフの諸問題を告発し、
3.内観を導入して、親に対する感謝をふかめ、親との交流を再開して、さらには、専従会員の親の介護に協力し、団体活動よりも優先させ、
4.麻原・オウムが外道として否定した日本各地の宗教・宗派の聖地を巡礼し、様々な宗教家と交流し、それから学んだこと。
5.外部監査委員の出羽山研修も受け、外部の宗教学者の調査を受け入れ、
6.非会員・一般人に開かれた団体を作り、
7、その他一般の識者・その他と交流してきた。

① 2008年に、個人と団体の総括で、オウムの政治上の主義と違法行為を否定・反省・総括して、その後(2017年)も再総括を行なった

② 2009年には、被害者団体と賠償契約を再締結し、以降今日に至るまで、その義務を履行し続け、2011年の末に、団体の活動を監査するための外部監査委員会を発足させ、サリン事件被害者遺族である河野義行氏や犯罪更生を専門とする大学教授に監査委員に就任していただいた。

③ 脱会した後も、アレフの違法性に対して告発・解決の努力を続け、1.アレフの危険性・違法性に関 する情報発信をマスメディアを含めた様々な媒体で行い、2.激化したアレフの詐欺的な新しい信者の教 化活動に対しては、脱会支援活動を継続してきたこと(特に2012年から本格化したこと)、2012年からは、 アレフの著作権侵害の疑惑に対して、被害者団体に協力を行った。

(10)その結果として、発足以来、合法的な団体運営を実現したこと

「ひかりの輪」は、発足以来10年の間、専従会員は逮捕・起訴されたことがなく、団体の活動に関しては、一般会員(非専従会員)も逮捕・起訴されたことがなく、その他の民事訴訟の被告にもなっておらず、いわゆる公安捜査のための強制捜査はあったが、不起訴であった。

さらに、「ひかりの輪」は、公安調査庁の違法行為さえも正す努力をしてきている。一審のひかりの輪準備書面(1)の第2で示した通り、公安調査官(風間寛之)が、立入検査の情報を漏らすという国家公務員法(守秘義務)違反を犯し、なおかつその証拠隠滅に「ひかりの輪」の会員を巻き込もうとした際も、同会員が団体の活動を見て改心し(改心した当時は既に脱会)、「ひかりの輪」に告白した。

それを受けた「ひかりの輪」が同調査官を東京地方検察庁に告発して、公安調査庁の違法な調査を正して、法令順守を促すなど、逆の立場にさえなった努力をしている(証拠)。

また、これに関連して、公安調査庁から違法なまでの謝礼金を受け取ることについて、外部監査委員会とも相談して、それを取りやめた努力もしている。

一方のAlephは、「ひかりの輪」の発足以来、被害者団体との賠償契約の不履行と著作権に関する民事上の問題が発生し、被害者団体が調停を提起したが、長年の争いの結果、合意を拒否して、昨年末に決裂するに至っている(証拠)。

また、Alephの出家者は、昨年2017年の検査忌避事件(罰金処分)など、団体活動に関連して有罪が確定した刑事事件があり、在家信者も、団体の活動=布教に関連して、有罪が確定した事件(証拠)がある。

 

(11)政治上の主義と違法行為の一貫した否定は、国の証拠にも明らかである

  第一に、国が引用した(上祐の新団体に関する)多くの説法は、よく見れば、麻原の刑死をその前提にした話である(ヴィヴェーカーナンダに関する各説法、2003年1月26日の横浜道場説法〈証拠〉、2006年4月15日小諸道場説法〈証拠〉など)。

なお、ヴィヴェーカーナンダが、自分の師を出さずに欧米で布教した話は、上祐が麻原隠しを構想した証拠には全くならないが、政治上の主義を否定する点では、「ひかりの輪」側の主張の証拠となる。

ヴィヴェーカーナンダは、師を前面に出さなかっただけで、師を意図して隠してはいない(証拠)。またヴィヴェーカーナンダが接する人は、その師のことは知らなかったが、上祐の場合は、麻原との関係は、自分自身でも、そして社会全体が明らかにしているから、それを知らずに「ひかりの輪」に参加する人はおらず、上祐が後から麻原の名前を出して再評価を求める意味・現実性は全くなく、逆に、上祐の反省を信じてきた「ひかりの輪」の参加者に、失望を招くだけである。

また、そもそも、仮に多少の再評価がなされたとしても、獄中の麻原が、日本の王になることなどはありえず、さらに麻原が刑死すれば、いうまでもなくそうである。そして、現在は麻原の刑死が間近となり、「ひかりの輪」の参加者は全て、上祐らの反省を信じている者たちであるから、この説法がなされた15年ほど前の状況に比較してもいっそう、麻原を日本の王とする政治上の主義とは無関係であることは明白である。

よって、この話は、信者が麻原の刑死の見通しに失望せずに、ポスト麻原の時代を前向きに受け入れて、上祐らの現実的・合理的・合法的な路線に導く一種の方便であると解釈すべきで、だからこそ、A派は、麻原の死を前提としたヴィヴェーカーナンダの話で、上祐は麻原を外したいだけだと考えたのである(麻原外し)。よって、麻原隠しの根拠とするのは、公安調査庁のみの誤解である。

第二に、国が提出した荒木浩陳述書(証拠)には、上祐が三女に対して違法行為の防止の徹底を主張し、三女の違法行為を批判したメールを出していることがわかるものがある。また、A派の××××のメールには、上祐らが麻原の信者の違法行為の摘発のために公安との協力を行ったことを批判している事実が分かるもの(証拠)がある。 

 

(12)国が主張する麻原隠しは、政治上の主義とは全く結びつかず、「ひかりの輪」の政治上の主義の否定は明白であって、観察処分は棄却されるべきであること。

  仮に国が主張するとおり、「ひかりの輪」が麻原隠しの団体であったとしても、前記の通り、国の証拠からさえも、「ひかりの輪」の政治上の主義と違法行為の否定は、明らかとなる。

というのは、前記の通り、麻原隠しの団体は、麻原を日本の王にする政治上の主義とは、明らかに何の関係もなく、その政治上の主義の実現の準備・助け・手段には全くならず、そのための活動とは認められないからである。

そして、本件観察処分の被処分団体における「オウム真理教の教義」や、「オウム真理教の教義を広めて、これを実現すること」という本件の「特定の共同目的」は、本法の無差別大量殺人行為の定義の関係上、本件の政治上の主義に結びついたものでなければならないから、上祐らのアレフ時代の初期段階に行ったこと、すなわち政治上の主義を否定して、麻原を相対化した後に残ったオウム真理教の教義の実践とは、いわば「偽(ニセ)オウム真理教の教義」であって、本件被処分団体のオウム真理教の教義ではない。

 さらに、発足後の「ひかりの輪」は、前記の通り、政治上の主義・麻原の予言に関して、明確な論理をもって総括して否定し、政治上の主義=予言の社会観に逆行した行動を多数取っており、さらには、麻原の死刑執行に賛意を示し、一般人が知らない、その必要性を情報発信している(証拠)。

そして、一審の判決の認定の基本となるものも、この「ひかりの輪」の主張と同じ趣旨のものと解釈することができる。

すなわち、一審の判決は、

1.今の時点では、政治上の主義がオウムの教義と密接不可分ではなく、
2.A派とM派の対立のように、絶対的帰依というオウム真理教の教義の本質的な部分さえ多義的であり、個々人の解釈・行動は異なり、
3.「ひかりの輪」の発足は、麻原の意思とは認められず、また長期収監中の麻原がその代表者・主宰者とも認められる状況にはなく、
4.国の主張する、麻原隠し、オウムと類似した教義や麻原に帰依する構成員などは、「ひかりの輪」が、(政治上の主義を維持しているかもしれない)Aleph・被処分団体と同一の団体であるとの根拠にならないと判断している。

なお、「ひかりの輪」が麻原隠しか否かについては、その判断基準が不明確であり、内心の自由を侵害し、公安調査庁の組織的性格と相まって、正しい判断ができないことなどを理由として、観察処分の適用更新の理由となるべきではないことは、前記第4の2においても述べたとおりである。

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