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真の成長のための向上心:競争心と菩提心(2016年5月25日 代表勉強会)
(2016年05月25日)

1.努力・向上の動機としての競争心

競争社会の影響もあって、努力する・向上しようとする動機として、多くの場合、他に勝ちたい、人並みでありたいといった欲求がある。すなわち、優越感を求め、劣等感を嫌がる欲求、競争心である。


2.競争心による努力・向上の限界

しかし、これだけでは、本当の努力・向上・成長は実現できない。もう少し正確に言えば、優越感を求め過ぎたり、劣等感を嫌がり過ぎると、以下のような様々な落とし穴にはまって努力が出来なくなるのである。

第一に、勝利・成功の見込みが薄いと、努力しないで早々に諦める、という場合がある。引きこもり・ニートなどの最近の若者に多いとも言われる。勝てないなら努力しないということである。これは、劣等感への嫌悪が強すぎるのである。

心理学においても似た理論がある。劣等感(と優越感)を重視するアドラーの心理学においては、劣等感が強すぎる場合(劣等感を感じることをひどく嫌う場合)、自分が他より劣っていると感じる状況を恐れて、人間関係に極めて消極的になる、という問題があるとする(劣等コンプレックス)。昨今のチャンレンジしない、恋愛しない一部の若者の背景心理と考えられる。
また、劣等感と直接は関係がないが似た心理状態として、愛着理論という心理学理論では、子供の時に親に十分に愛されない体験などをした場合に、自分が愛されるという自信が乏しく、愛されないことを恐れて、深い人間関係を回避する問題が生じるという(愛着回避型の人格)。

第二に、逆に少し成功しただけで、すぐに慢心・自己満足に陥り、努力が緩む場合がある。この背景にも、強い優越感への欲求がある。成功すると、気づかないうちに、全て自分の力だと思いたがるのである。実際には、自分の成功の背景には、他の支えを含めた幸運があるはずである。しかし、こうした謙虚な認識と、それに基づいた他への感謝や継続的な努力ができないのである。

第三に、他人から学ぶ努力を怠ることが多い。優越感を感じたいために、気づかないうちに、他人の問題・失敗を自己の反面教師と見ることができず、自分にはないと思いたがるのである。また、同じように、優越感の欲求が強過ぎると、優れた他者は自分の邪魔にばかり見えてしまい(嫉妬心)、他者から素直に学ぶことができず、それを否定してしまう。

第四に、勝利・成功のために、不正を行うことが多い。例えば、自分の力を実際以上に見せたり、他人を事実に反して貶める嘘などである。最近は、激化する競争のためか、企業・政治・スポーツなど、あらゆる分野での不正が、度々報道されている。こうした不正は、当然、本当の努力と向上を妨げて、その人を堕落させる。最後は不正が発覚し、破滅する。

これについても、心理学にも似た理論がある。アドラーの心理学では、自分の劣等感を紛らわすために、他者との関係で不当な行動をとる心理状態があるとする(優越コンプレックス)。例えば、いたずらに他人を貶める、責任転嫁・無理な言い訳、ありがた迷惑など。また、愛着理論でも、愛されていない不安が強いために、他に対して不適切な行動をとることが多い人がいるという(愛着不安型)。


3.競争心だけでは、着実な成長が阻まれる

こうして、単に競争心で努力する場合は、人は、1.すぐ諦めたり、2.努力を緩めたり、3.他から学ぶことが乏しく、4.不正をなすといった問題がある。言い換えれば、不正を避け、簡単に諦めず、他からも学び、継続的に努力していくことができないのである。

その結果、少し努力して良くなっても、慢心に陥って努力が緩み、気づいて見ると、逆戻りしているという場合も多い。気づいて見れば、同じ間違いを繰り返し、なかなか進歩・成長していない場合も多い。「歴史は繰り返す」とか、「歴史から学ばぬものは歴史を繰り返す」と言うが、人類は、徐々に進歩していると思われるが、同じ間違いを繰り返している面も多いだろう。

この人間観は、仏教の六道輪廻の思想にも反映されている。これは、生まれ変わりながら、幸福な生と不幸な生を繰り返すという思想である。そのために、輪廻と呼ばれている。


4.仏教の説く向上心:勝利ではなく、純粋な成長を目指す

仏教が説く、人の持つべき向上心とは、他に勝つこと、優越感の充足を目的としない。それは、純粋に自己の(精神的な)成長を目的としたものである。その究極が、悟り・解脱などと言われるものである。

さらに、純粋に自己の成長を目的とすると、それは、他の成長とも一体だと気づく。自分が他に勝つことは、他が勝つことは相いれないが、自分が純粋に成長することは、他も同じように成長することと一体ということである。これについては、後で詳しく述べる。

よって、特に大乗仏教は、自他双方の精神的な成長を目的とした努力を説き、その究極として、全ての人々を悟りに導く道を歩むことを説く。これを菩薩道、菩薩の利他行、大慈悲の実践など言う。そして、この菩薩の心の有り様を「菩提心」と呼ぶ。

なお、少し脱線するが、大乗仏教では、人は皆、仏性、すなわち、未来に仏陀になる可能性があると説く。全ての人に悟りの可能性があると言う思想である。すなわち、人を本質的に成長する存在として見ている。そのため、全ての人々を悟りに導くことを究極の理想とするのである。


5 仏教思想と競争の関係

なお、仏教の思想は、競争を全て否定するものだとは私は考えていない。

競争には、自分が勝つことばかりを目的としたものもあるが、全体の向上を目的とし、その手段として、互いに切磋琢磨して学び合う仕組みとしての競争というものもある。

現実として、人はそもそも不完全であるから、お互いの悪い所を曖昧にせず指摘し合ったり、お互いの良い所を積極的に(競って)学ぶような状況にない場合、悪い意味で慣れ合ってしまい、全体が堕落、腐敗してしまう場合が少なくない。

よって、自己の勝利のみを目的とした競争ではなく、自他双方、全体の向上の手段としての競争であれば、仏教の思想と矛盾するものではなく、仏陀・菩薩の菩提心・大慈悲・四無量心の一環と考えることができると思う。

6.他者への感謝・尊重・愛を伴う菩提心

さて、菩提心は、他者への感謝・尊重・愛と一体となっている。
まず、他者を悟りに導く菩薩の道に入る前に、他者に対する感謝の瞑想を行う。というのは、菩薩の利他行とは、他者への感謝に基づく恩返しの実践であるからだ。

人は、自分一人で生きて、修行し、悟ることはできない。それは、両親・友人知人に限らず、見知らぬ人の支えがある。教えを学ぶにも、いにしえからの悟りの教えの先達と、それを支えた無数の人たちの支えがある。さらに、生きるためには、人以外の様々な生き物と大自然の支えがあり、突き詰めれば、地球の生命圏・太陽系を含んだ宇宙の万物のおかげである。

よって、菩薩の道に入ろうとする者は、他者・万物に恩があることを気づく修行を行う(憶恩の瞑想)。次に、その恩に報いようとする瞑想を行う(報恩の瞑想)。こうして、菩薩の利他の行は、実は、恩返しの実践として行われるのである。


7.利他の行自体が、更に他者への感謝・尊重・愛を深める

そして、この利他の行は、実は、菩薩自身の成長に繋がる行でもある。というのは、他を利することは自己を利し、他の成長を助けることは、自己の成長を助けるのであるからである。

例えば、(今の自分にはない)他の苦しみを取り除くことは、自分が未来に同じような苦しみを抱えることを予防したり、抱えた際の対処法を事前に理解することになる。

これは、他の苦しみは自分の潜在的な苦しみであり、他の苦しみを取り除くことは、自分の潜在的な苦しみを取り除くことという視点である。これは、先ほど述べた、他者に見る問題・欠点は、自分と無関係ではなく、自分の反面教師であるという発想に通じる。よって、これは、競争心による努力の問題を回避できる。

また、幸福を自分で独占せずに、他に分け与えることも、自分の幸福を保つことになる。というのは、幸福を独占すれば、様々な苦しみに陥るからである(貪りの招く苦しみ)。

さらに、自分の幸福は多くの他者が支えているが、そうした他者に自分の幸福を分け与えることは、恩返しでもあり、他者に自分の幸福を支え続けてもらうことができる結果となる。これは、自分が何か成功した時に、それが自分の力によるものだとばかり思い込んで、慢心に陥らずに、それを支えた他者に感謝し、恩返しをすることに通じる。この意味でも、競争心による努力の問題を回避できる。

今の自分にはない他の才能・幸福を妬まずに、自分の見本として素直に学んだり、その他の才能を(全体の幸福のために)活かそうとすることは、当然、自分や全体の幸福につながる。これは、先ほど述べた、優れた他者を自分の教師として学ぶという発想に通じる。この意味でも、競争心による努力の問題を回避できる。

こうして、利他の行は、利己の行でもある。よって、菩薩は、他者への恩返しとして、利他の行を始めるが、その利他の行自体が、さらに自分を利するので、さらに他者への感謝を深めることになる。よって、感謝と恩返しの利他行の無限の好循環が続く。そのため、菩提心による努力は、途絶えることなく継続し、深まっていくのである。

なお、仏教の根本哲学は縁起の法であるが、これは、万物が相互依存という意味を持つ。自と他も、相互依存で一体であり、自と他の幸福、自と他の成長も、相互依存で一体であると考える。これは、自と他を区別して、優劣の比較ばかりしていると、全く見えなくなってしまう重要な智慧である。


8.人の不幸の根本原因の無智と、それを越える智恵

無智とは仏教が説く根本煩悩である。この説明は単純ではないが、物事が正しく見えていない状態であり、仏教用語を使えば、縁起や空の法則を理解できない状態である。さらに言い換えれば、自分と他人の(幸福の)繋がりや、目先の楽と後の苦しみなどの繋がりが見えていないのである。よって、無智を簡潔に説明すると、「今の自分さえよければいい」、「自分だけ早く楽に幸福になりたい」、といった心の働きである。

そして、この無智が強いと、優越感を求め過ぎたり、劣等感を嫌がり過ぎたりなどして、適切な努力による成長ができなくなる。すぐに慢心、妬み、見下し、卑屈などに陥るからである。

一方、無智が解消された状態を智慧という。これは、自と他の幸福・成長のつながりや、目先の楽の後の苦しみの繋がりを理解できる状態である。よって、自分の真の幸福は、他と共に、地道な努力によって得られるものであるという理解がある。

この智慧は、着実に成長するための努力を支える。そして、全ての人々・生き物を救う菩薩の道を歩むという大慈悲・菩提心を支えるものである。

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