2008年提言:21世紀の宗教のあり方―宗教革命へ

ひかりの輪の虹の教え
(2008年02月10日)

   ひかりの輪の象徴である虹について、旧暦のお正月となる2月7日、一つの発見をしました。

   ご存じの通り、ひかりの輪のシンボルマークは、虹色の法輪です。法輪は、釈迦・仏法の象徴ですが、虹については、どのような意味合いがあるか。これについては、別項で、ある  程度、書きました。

   例えば、虹は、旧約聖書で、神の契約の印とされていたり、仏教で解脱の象徴などとされており、神聖なものの象徴です。また、私などのひかりの輪の指導員が、聖地において、よく虹を体験することがあり、そういった聖地体験が、オウム・アーレフを脱会し、ひかりの輪を設立する流れの中にはありました。こういったことは以前にも書きました。

   しかし、今回理解したことは、これらよりもずっと深い意味合いであり、それについて、以下にお話ししたいと思いますが、先に結論を言うならば、虹は一元論的な思想の非常に優れた象徴であるということになります。


●虹の色は七色ではなく無限である

   では、まず、虹の色について考えるところから始めさせていただきます。

    一般には、虹は七色であると考えられています。しかし、よく考えてみれば当たり前のことですが、虹は正確に言えば七色の帯ではありません。

   例えば、赤と黄の色の境界などはありません。よって、実際には無限の色が含まれているものです。

   光をプリズムに通すと、虹色のスペクトルが現れますが、この分析の始祖であるニュートン自身が、「オリジナルの基本色は、赤・黄・緑・青・菫(すみれ)それに橙・藍があり、その中間に無限の変化がある」と語っています。

   そして、この事実は、シンボル・象徴物としての虹を考えるときに、非常に深い意味を持っているのです。


●多様性の中の統一、平和の象徴としての虹

    その良い例として、平和の旗というものがあります。これは虹色の旗ですが、それが平和の象徴として、世界各地で使われているのです。

   あるHPのデータによると、以下の通りです。

   「戦争に反対し、平和を求める意思を表示する旗。特定の組織や団体を代表したり帰属を示したりする旗ではない。1960年代にイタリアで考案され、2003年のイラク戦争開始に前後して世界各地で使われるようになった」

   そして、重要なことは、次の部分です。

   「虹はさまざまな色を含むが、そのすべてが太陽の白色光から分かれたものであり、各色の間に明確な境界を引くこともできない。この性質から、虹色の旗は「多様性」「共存」  の象徴として用いられている。」

   「虹は可視光の全てのスペクトルを含むため、混色によって白色になる。このため、「多様性の下の統一」を意味するとされる(また白は平和を象徴する色でもある)。旧約聖書の洪水神話で、神が地上の平和を約束するあかしとして空に虹を置いたとの挿話にもちなむとされる。」(以上、ウキペディアより引用)

   こうして、無限の色を含みつつ、その全てが太陽光から別れたもので、各色の間に境界を引くことが出来ないという虹の性質から、虹が多様性の元の統一、多様なものの共存=平和の象徴とされているのです。

   こうしてみると、聖書のノアの洪水神話の後で、神が二度と洪水で人類を滅ぼさないと約束した際に、虹をその契約の印としたことは、非常に適切な象徴・印だったのではないか  と思います。

   虹が何故神が破壊を終了し、平和を約束する印だったのかは、聖書には書いてはありませんが、しかし、これまでの人類の歴史を振り返れば、滅びの危機は、多様な文明・文化の間での共存が出来ないときに、紛争・戦争という形をとってやってくることは明白です。

   昨今、人類を脅かしているテロ戦争も、異なる宗教・文明の衝突であり、オウム真理教の社会との対立も同様です。また、地球環境の問題も、人類と自然の共存の問題であり、その解決が遅れているのも、各国が、自国の経済成長を優先させようとするために、十分な協力ができず、共存の原理より競争の原理が強いことが原因です。

 

●一元思想の象徴としての虹

   次に、虹と仏教思想について考えてみたいと思います。

   多様性の中の統一・統合という虹の性質は、まさに、釈迦の縁起の法が説く世界のありさまそのものです。

   縁起の法が説くところは、人は、虹を七色と錯覚するように、自分と他人、人間と世界といった、この世の中のさまざまな事物を別の物と錯覚しているが、真実は、虹の色も各色の間に境界を引けないように、この世の中の全ての事物は、他から独立して存在しているものはなく(不二)、全ては相互に依存し合って存在しており(縁起)、永久不変の実体のあるものはない(空)、ということです。

   世界の中には、無限に多様なものが存在している(ように見える)が、本質的には、それらは全ては一体であるということであり、それはまさに虹の色のあり方と同じなのです。

   さて、この全ての存在が、本質的に一体であるというのは、存在論的な一元性といいます。次に、全てのものが一つの根源から発生したという、発生論的な一元性について考えてみましょう。

   虹の発生・創造は、宇宙の発生・創造ともよく似ています。

   虹は、無限の色を含みますが、その全ては、太陽の白色光から別れ出たものです。太陽光がプリズムを通ると、無数の色の虹にスペクトル展開します。

   一方、この宇宙の中には、無限なほどのさまざまなものが存在しますが、その全ては、ビッグ・バンという一つの出来事から、産み出されて別れ出たものです。

   こうして虹も宇宙も双方とも、その源は一つ、元は一つであるということができます。


●ゾクチェンの虹の教え

   さらに、この二つの話し、仏教の教えと虹の性質の類似性と、宇宙の発生と虹の発生の類似性という二つの話しが、一つになるのが、チベット密教のゾクチェンの思想ではないか  と思います。

   ゾクチェンには、虹の身体と呼ばれる高度な瞑想体験があります。その修行者は、虹は、自然現象として、人の外側にだけ見られるものではなく、人の内部、すなわち人の心にも存在していると考えています。

   その修行の体験者は、「現象の世界を突き破って、本然の心の輝き(リクパ)が、見開かれた修行者の眼前に、立ち上る虹、とびかう光滴、鮮やかな光のマンダラとしてたちあらわれる」と、その体験を書いています。

   さらに、ゾクチェンの修行者は、この世界の創造において、すなわち科学的に言えばビッグ・バンにおいて、この虹の光が現れていると考えているようです。

   上記の体験者は、「法身クンツサンポ......そこは全ての現われの滅した世界である......法身は微動だにせず......それは光の輝きとなって報身の浄土に輝き出る」と語っています。

   ともかく、この世界の創造においても、虹色の光があって、この世界は、虹の光と共に創造され、今現在、虹の色が無限の如く無限の要素を含みつつも、本質的には虹の色の如く、それらは別々ではなく一体であるということでしょうか。

   なお、チベット以外でも、仏教文化圏では、虹を神聖な象徴とする文化があります。釈迦が、天上界から降りてきた際も、虹が関係したという信仰がありますし、仏教国のブータンでは、虹と聖者を結びつけて考えています。

   こうして虹の色は、多様なものが共存する平和の象徴であると共に、仏教的な一元的な思想・世界観の象徴としても優れていると思います。


●ひかりの輪の虹の体験との一致

  
   私は、別項でご紹介したように、聖地巡礼などの時に、よく虹を見ることがあります。それは、自分の中で、オウム・アーレフの教義・思想からの脱却が徐々に始まった、2002年くらいから、頻繁に起こりました。


















   よって私は、雨男ならぬ虹男ではないかと思っています。なお、これは蛇足になりますが(といっても、重要かも知れませんが)、私のこの傾向は、ある意味で子供の時からあったのかもしれません。

   というのは、知る人は知るレインボーマンという特撮番組が好きだったのです。それは、ヨーガの修行をした男性が、レインボーマンに変身して、悪い者をやっつけるという番組でしたが。

   しかし、虹をよく見るようになったのは、先ほど書いたように、2002年からでした。そして、それが、すぐにではありませんが、徐々にオウム・アーレフの教義からの脱却に繋がっていったのです。

   それは何故かというと、オウム・アーレフの教義思想は、教団と社会、絶対的なグルとそれ以外の存在を強く区別する善悪二元論の性格がありますが、私が虹を見る時は、その多くの場合において、全てが繋がっているという一元論的な思索・瞑想をした時だったからです。

   例えば、2002年に、草津で、珍しいことに7重もの虹を体験したことがありましたが、その時も、瞑想をしていて、一元的な意識が高まった直後でした。















   ですから、最近になって、虹の実際のあり様が、多様性の中の統一・平和や、仏教的な一元思想の優れた象徴であると気づいたことは、私にとっては、非常に興味深いことでした。

     というのは、それは自分が聖地などで、一元の思想について思索・瞑想した時に、それにちょうどシンクロした形で、外界にも一元の象徴である虹が現れているということになるからです。

   これは、ユング心理学で言う、シンクロニシティ(=意味のある偶然の一致)の体験ではないか、と思います。それは、自分の内側の意識と、自分の外側の体験が偶然にも一致し、非常に重要な意味を持つということです。

   一方、仏教では、これを偶然の一致と見るのではなく、世の中の諸現象は全て人の心の現れと説く、唯識派の教えがあります。少し難しく言えば、阿羅耶識と言われる深層心理が現象化したものが、この世界であるということです。なお、ユング心理学と唯識派の思想は非常に似ているとも言われています。

 

●ひかりの輪のシンボルマークとしての虹

    そして、ひかりの輪の掲げている、理念や思想を考えると、ひかりの輪のシンボルマークが、虹色の法輪であることは、今から考えると非常にぴったりだったと思いました。

   ひかりの輪は、去年発足の際に、教団と社会を区別する善悪二元論を超え、更には、宗教・宗派の対立や戦争、人類と自然の対立という地球環境の問題を超える、21世の新しい宗教・思想を創造するという目標を掲げました。そして、これは、まさに虹が象徴する、多様性の中での共存を意味しています。

   また、思想として、ひかりの輪が重視しているのが、先ほども出てきた、釈迦が説いた縁起の法を始めとする、一元的な思想・世界観ですが、これも上記の通り、虹が象徴  するにふさわしいものです。

    なお、シンボルマークの形となっている法輪は、伝統的に、仏法=釈迦の法を象徴するものですが、それだけではなく、「輪」というもの自体が、虹と同じ様に、全てが繋がっているという一元の思想を象徴しています。

   そして、より積極的に言えば、地球の全てを一つの輪に繋げていく、という融和・共存・平和の思想を現わしており、この輪と虹の双方が、ひかりの輪の思想をよく象徴しています。

 

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