2012年11月

  • 【1】ひかりの輪の目的・組織・活動内容など (2012年11月18日)

    ●ひかりの輪の中核の思想とは

    ひかりの輪は、個々人の心の幸福・解放・悟り、心身の健康、自己実現、さらには、経済・環境・エネルギー・安全保障といった問題を抱える社会の中で、国と国、人間と自然、科学と宗教の分裂を乗り越える、調和の思想を普及することを目指しています。

    そのための中核の思想は、「輪の思想」と言います。これを一言で言うならば、万物を(輪のように)平等一体をみる思想・世界観です。
    これは、ひかりの輪に限らず、よく調べれば、「和」とも一体不可分である日本の根本思想であり、人類共通の普遍的な道理だとも考えるものです。これについては後ほど説明します。

     

    ●ひかりの輪の団体構成

    ひかりの輪は、東京を本部教室とし、2013年12月の段階で、名古屋、大阪、福岡、千葉、仙台、長野、横浜など、全国8箇所に教室を設けています(※教室一覧)。また、札幌、岡山などで、定期的な勉強会を設けています。

    団体の本部教室と各支部の教室には、指導員が上祐代表を含めて8名おり、その補佐をする者を含め、皆さんの学習・実践のお手伝いをする専従スタッフが十数名おります。

    一般会員の皆さんは現在150名ほどですが、ひかりの輪は、入会しなくても、その活動の大半に参加し学ぶことができ、講話会などは、非会員の方が、参加者の半数に及ぶ状態になっています。

    入会は、団体の活動を継続的に賛助するという意味があり、同時に一定の特典もありますが、詳しくは各支部教室にお問い合わせ下さい。

    ●ひかりの輪の活動の概要

    ひかりの輪の活動の内容としては、その全国の教室において

    ① 代表を初めとする指導員の講話・質疑応答や個人相談、
    ② ヨーガや気功、仏教的な瞑想といった行法の学習・実践、
    ③ 団体オリジナルなものを含めた各種のヒーリング、
    ④ 年末年始・GW・お盆などの連休にセミナー

    を行ない、それに加えて、

    ⑤ 全国各地の聖地巡り

    を定期的に行っています。

    また、団体の施設ではなく、一般の施設での活動として、

    ① 一般の会議室などで行なう講話会・懇親会
    ② 一般の団体のお招きを受け、上祐代表などのトークショー・講演会

    を行なう場合もあります。

    また、このような学習のための教本・DVD・CDの教材や、仏教法具、各種のヒーリング物品をお分けしたり、占星学の鑑定を行っています。

    ●ネットを智恵の学びの場とする試み

    また、団体は各種のHPを運営しており、団体の思想や教えに関する多くの記事や、講話や身体行法の指導の動画が掲示されています。HPは、団体のメインサイト、上祐代表のサイトなど各種運営されています。

    こうしたネットの教材が、一種の仮想教室を形成しており、それを「ネット教室」などと呼んでいます。団体の活動の予定は、前もって、このHPにも掲示されます。

    ●その他の活動(対外活動)

    ひかりの輪の「広報部」は、報道機関、地域社会、大学等の研究機関の皆さんに対応しており、代表らが、テレビや雑誌の取材に頻繁に応じ、関連サイトを運営しています(※「広報部サイト」、「ひかりの輪から地域社会の皆様へ」ブログ)。

    また、「外部監査委員会」を設けており、団体の活動の監査を戴くとともに、後に述べる内観や修験道の特別研修を実施しています(※「外部監査委員会」、「外部監査委員会のサイト」)。

    さらに、オウム真理教(現アレフ)の問題に関する総括や対策を行っており、「オウムの教訓」サイトや、「アレフ問題の告発と対策」ブログ等を運営し、ご相談窓口を開設しています。

  • 【2】「学び」と「神仏」に関する考え方 (2012年11月18日)

    ●最初から信じる必要はない

    さて、ひかりの輪にも、後に述べる「輪の思想」「輪の教え」「三悟の教え」などの思想・法則・教えと呼ばれるものがあります。

    しかし、皆さんは、これらを信じる必要は全くありません。皆さんが、自分でよく考え、吟味して、納得したならば、それを受け入れればいいだけです。
    最初は疑うくらいによく吟味するとよいでしょう。

    そもそも、ひかりの輪の思想・教えは、人が理性によって、論理的・合理的に考えて、納得できるものを中心としています。

    諸宗教の思想の学習・研究に加え、心理学の学習の結果も反映されています。言い替えれば、だからこそ信じてもらう必要がないのです。

    しっかりとよく考えれば、皆が、適切な結論に至ると思うからです。

    ●特定の人物・神を絶対視する必要はない

    そして、後から述べるように、特定の人物や神を合理的な根拠もなく唯一絶対視することはありません。

    上祐代表を初めとするひかりの輪の指導員は、ひかりの輪の思想・実践の先生・教師ではあっても、当然、信仰の対象ではなく不完全な人間の一人です。

    学ぶ時は、対象を絶対視せずに、自分でよく考えて、納得いくところを吸収し、そうでないところは、流してしまえばよいのです。

    また、これと同様に、特定の思想・教えを同じように絶対視することもありません。そうではなく、世界の普遍的な道理・原理を追求しています。

    ●いろいろな学習実践法・ツールも絶対視していない

    なお、ひかりの輪の中にも、論理的・科学的には、理由が解明されていないものの、体験的に広く価値があるとされている学習実践法・ツールを取り入れている部分はあります。

    その中には、ヨーガや気功の身体行法、仏教の瞑想法、瞑想に役立つ心静まる法具の音・音楽、お香、仏画・仏像・法具、聖地巡りや、聖地の名水(ご神水・聖水)、一部の占星学、そして、先達とともに瞑想するヒーリングなどがあります。

    しかし、それらは絶対視する必要はなく、半信半疑でもよいし、「自分には合わない」と思えば、使わなければよいだけです。

    ●「内側の神仏」と「外側の神仏のシンボル」

    ひかりの輪では、神仏とその尊重の仕方について、新しい思想を提唱しています。

    まず、一人一人の中の神聖な意識があり、それを「内側の神仏」と考えます。そして、その神聖な意識を引き出す手段として、外側に「神仏のシンボル」があると考えます。

    この外側のシンボルは、仏教徒なら仏陀、キリスト教徒ならイエス・ヤハウェ、イスラム教ならマホメット・アラーといった、特定の人や神・仏などです。

    要点は、この外側のものは、一人一人の「内側の神仏」を引き出す「シンボル」ではあっても、それ自体は唯一絶対のものではなく、人に応じて、さまざまな「シンボル」があってよく、全くシンボルを持たなくても、また同じようによいということです。

    この思想は、人の中の神聖な意識(「内側の神仏」)を重視し、従来の宗教が崇拝対象とした外側の存在を「絶対視せず」に、しかし「軽視もしない」で、「神仏のシンボル」として「内側の神仏」を引き出す手段と位置づけています。

    そして、両者の合体が、神聖な意識を引き出す=内側の神仏が目覚めるとするのです。

    ●シンボルは人によって違ってよいし、なくてもよい

    そして、外側のシンボルは、人によって違ってよいと考えます。

    自分に縁があると感じる(自分の意識を高めてくる)外側のシンボルは、人によって違ったり、確たるシンボルがない人もいたりするのも自然なことです。

    だからこそ、さまざまな宗教があって、人類が一つの宗教の下には統一されないのです。ある人は、仏陀、ある人は、イエス、ある人はマホメットでよく、ある人は、何かの仏像・仏画、ある人は、何かの大自然でもよく、ある人は、確たるシンボルがなくてもよいのです。

    ●シンボルは、宗教間の対立を越える思想では?

    こうして、ひかりの輪は、何か一つの特定の神仏、ないしは神仏の化身とされる特定の人物を信仰することを義務づける「宗教」というものとは異なります。

    外側の人や物を絶対視するグルイズムや偶像崇拝などの従来の宗教でもありません。

    そして、この考え方が、宗教界に広まるならば、異なるシンボルを持つ宗教間の対立を解消できるのではと考えています。

    独善的・排他的な傾向のある従来の「宗教」ではなく、21世紀の新しい時代に合わせ、多様性を認める智恵の思想ではないでしょうか。

  • 【3】ひかりの輪の「輪の思想」 (2012年11月18日)

    ●輪の思想:万人万物が平等で一体

    ひかりの輪の中核の思想は、「輪の思想」です。

    それは、「輪」という言葉が象徴するように、「万人・万物が、輪のように一体であり、等しく尊い」とする世界観です。万物平等一体の思想です。

    では、この思想の意味合いを説明する準備として、まず、現在の社会の問題・苦しみの分析をしておきましょう。

    ●現代社会:拡大と競争の幸福観の行き詰まり

    現代は、「今より、もっと」、「他人よりも、もっと」と、財物や名誉・地位を求め、幸福になるという考え方が主流です。

    財物や名誉・地位に恵まれることが幸福で、そうでない者は不幸として、自分と他人の区別し、勝ち組・負け組などに、人を二分化することになります。お金と勝利、拡大と競争を重視した経済競争社会です。

    しかし、その現代社会は、行き詰まりの様相を示しています。

    バブル崩壊の後の長い経済停滞、日本に限らず、欧米にも広がる財政赤字・景気低迷、失業者、自殺者、鬱病を含めた精神疾患の増大など。

    多くの人が、果てしない拡大と競争を求める資本主義が、人を本当に幸福にするのかを疑い始めています。

    ●行き詰まりの根本的な原因は何か

    それは、なぜでしょうか。その理由を仏教開祖の釈迦牟尼は予見していました。

    まず、「今より、もっと」、「他人よりも、もっと」と求めても、欲求には際限がないために、満ち足りることはありません。

    例えば、統計的な調査には、日本ぐらいの所得水準に到達すると、所得が増大しても、人が感じる幸福感は必ずしも増えないとするデータもあります。

    もはや日本人は、お金では幸福が買えない状態に達したのかもしれません。

    一方、得られない場合は、苦しみますし、いったん得てしまうと、以前は必要なかったものさえ、それを失うと苦しみが生じます。そして、そのように皆が求め合う中では、当然、他との奪い合いが生じ、恨み・辛み・妬みの苦しみが生じます。

    例えば、自殺は、統計が始まった1890年以来、2000年代の今現在が、最も多くなっています。今は、バブルの崩壊後の問題があるとはいえ、途上国時代や敗戦直後よりも多いのです。年間3万人、未遂を含めると数十万人となっています。

    鬱病は、この10年で倍増し、数百万にのぼります。体の病気は、医療技術の進歩で、先進国は少なくなりましたが、心の病は途上国と違いがないとも言われます。

    物は豊かな社会の中で、心が病んでいます。
    無数の人が、日常生活に強いストレスを感じています。

    こうして、私達は、今までの拡大と競争一辺倒の幸福観の転換、ないしは、少なくとも、幸福観の多様化が必要な状態に来ているのではないでしょうか。

    ●ひかりの輪:「感謝と分かち合い」の幸福観

    そこで、ひかりの輪は、「新しい幸福観」を提唱しています。
    それは、「感謝と分かち合い」による幸福です。

    この感謝と分かち合いが深まると、落ち着いた、大きな、温かい心が生まれ、それによる幸福を感じることができます。
    さらには、心が静まることによって、直感力を含めた智恵が増大してきます。

    感謝と分かち合いによる幸福と比較すると、従来の「今より、もっと、他人より、もっと」とお金や勝利を求める幸福観は、不満と奪い合いに基づく幸福ということができます。

    それは、その裏側に、満ち足りない・求めても得られない・得たものを失う・奪い合うといった苦しみがあることは、前に述べました。

    感謝と分かち合いは、そういった苦しみがなく、落ち着いた満ち足りた状態をもたらすものです。仏教では、仏の慈悲の境地と言われるものです。

    そして、この新しい幸福感を得るための鍵となるのが、今までとは違った世界観=輪の思想なのです。

    ●苦楽・優劣・自他を極端に区別している

    その説明をする前に、従来の「不満と奪い合いの幸福観」は、どういった世界観を持つものでしょうか。

    ① それは、まず、財物や名誉地位といったものを喜びと考え、それが少ないことを苦しみと考えます。
    ② 次に、自分と他人を分け、自分だけに沢山の財物や名誉・地位を求めます。すなわち、自分と他人の幸福は別のもの、奪い合いと考えます。
    ③ そして、人を勝ち組・負け組、優れた者・劣った者を分け、皆が勝ち組を目指して競争します。しかし、実際に皆が勝ち組になれることはあり得ません。

    こうして、幸福と不幸(楽と苦)、優と劣(善と悪)、自と他(の幸福)というものを極端に分けているのです。これを二元論と呼ぶ場合があります。

    ●ひかりの輪の一元論:輪の思想

    これに対して、感謝と分かち合いの幸福感では、一見して別々に見える二つのもの、すなわち、楽と苦、優と劣、自と他といったものが、実際には全く別のものではなく、輪のように繋がっており、表裏一体の側面があるという思想に基づいています。これを一元論という場合があります。

    まず、苦と楽については、先ほども述べたように、楽の裏に苦しみがあります。
    そして、よく考えると、苦しみの裏にも恩恵があります。これが苦楽の輪です。

    また、優と劣については、どんな人にも欠点はあり、どんな人にも長所はあり、さらに言えば、長所の裏には短所、短所の裏には長所があります。

    例えば、勝ち組だと奢れば、慢心で失敗し、負け組の経験を活かせば、他の苦しみを理解する人間になる可能性もあります。これが優劣の輪です。

    さらに、自と他については、人は自分の力だけで生きているのではなく、多くの他者・万物に支えられて生きています。

    また、蜘蛛の糸が説くように、本当の幸福とは、自分だけが幸福になっても得られるものではなく、他の幸福と共に得られるものです。これが自と他の輪です。

    そして、これらの苦楽、優劣、自他の輪を含め、万人・万物・森羅万象についてしっかりと分析すると、「万物が一体であり、等しく尊い」という世界観が出てきます。これを「輪の思想」と呼んでいます。

    ●輪の思想は、日本の根本精神、世界共通のシンボル

    聖徳太子の十七条憲法に説かれた「和の思想」は、日本の精神・文化の中核・根本とされますが、この和の思想は、ひかりの輪の「輪の思想」と一体不可分なものです。

    具体的には、万人を平等一体とみる輪の思想は、縄文時代以来の日本の根本精神です。そして、それに基づいて、聖徳太子の和の思想が出来たと考えられます。

    さらに、心理学者の研究によると、世界の諸宗教・諸文化に共通するシンボルとして、輪・円があります。

    仏教の「法輪」、大乗仏教の曼荼羅、禅の円相、道教の太極図、古代の遺跡物などなどです。これらの詳細は、後に述べるように、このHPに掲示されている特別教本に書かれています。

    ●「輪の思想」は多面的な内容を含む

    なお、詳しく言えば、ひかりの輪では、「輪の思想」には、具体的には、三つの側面があるとしています。

    今お話ししたのは、その中で一番重要なものであり、三つの悟りのための教えとして、「三悟の輪の法則」ないし、「三悟の一元法則」と言います。

    これに加え、「三縁の輪の法則(三縁の一元法則)」、「三性の輪の法則(三性の一元法則」といった教えがありますが、ここでは説明を省略します。

    また、先ほど行った「三悟の輪の法則」の説明もごく概略的なもので、実際には、もっと深み、広がりのある法則です。これらの法則の詳細に、ご関心があれば、このHPの「思想と教え」のコーナーに掲示されている「特別教本」をぜひご参照ください。

  • 【4】「感謝・尊重・愛の教え(三悟の教え)」とは (2012年11月18日)

    ●感謝と尊重と愛の重要性

    前に述べた通り、輪の思想に基づいて、ひかりの輪では、感謝・尊重・愛の三つの心を深める実践が、心の幸福にとって、非常に重要だと考えています。

    先ほどは、「感謝と分かち合いによる幸福」と言いましたが、それを完全に表現すると、「感謝と尊重と愛」の三つです。

    この教えは深いのですが、その一端を説明すると、まず、「感謝」の重要性は、果てしなく欲求すると、さまざまな苦しみが生じるので、努めて、今ある恵みなどに気づいて「感謝」することが、心を幸福・豊かにする上で非常に重要です。

    次に、「尊重」ですが、人と人を優劣で二分化すると、慢心や卑屈・妬みといった問題・苦しみが生じるので、自と他の万人・万物を平等に尊重することが重要です。

    最後に、「愛」については、ここでの「愛」には、多少特別な意味があります。

    それは、自と他(の幸福)が別々のものだと考えると、自己中心的になって不幸になるので、自と他が繋がっている、一体であると気づいて、万人・万物を愛することです。

    すなわち、他者と自分が一体だと見て愛する、自と他を一体として愛することです。

    ●三つ悟りのための教え

    ひかりの輪では、この感謝・尊重・愛の三つの教えを「三つの悟りのための教え(三悟の教え)」と呼んでいます。
    そして、この感謝・尊重・愛の教えを突き詰めて考えていくと、最終的に、「万物に感謝する」、「万物を尊重する」、「万物を愛する」という考え方が、真の幸福をもたらすことがわかります。

    これは、直ちにはわかりにくいと思いますが、それはわかりにくくて当然ですから、心配しないでください。

    というのは、これは、心の完成者である仏陀の境地の状態を表しているからです。しかし、よく考えていくと、この考え方・教えの正しさと重要性がわかります。

    しかし。その詳細は、ここでは書ききれませんから、ご関心があれば、HPに掲示している特別教本をご覧ください。ないしは、ひかりの輪の各支部教室の指導員にお尋ねください。

    そして、前にも述べましたが、最初からこれらを信じる必要は全くありません。

    いえ、最初から信じてはいけません。

    皆さんが、自分でよく考えて、むしろ疑問を持って、よく考え、納得したならば、受け入れればいいだけです。

    ●三悟心経

    そして、この考え方をスムーズに身につけるために、ひかりの輪では、一つの工夫をしました。

    それは、この考え方をわかりやすい言葉で現したごく短いお経を作って、それを唱えることで、身につけやすくしたのです。

    それを「三悟心経(さんごしんぎょう)」と呼んでいます。

    この三悟心経とは、「三つの悟りのための心の教え」といった意味です。この名前は、仏教の有名な経典である般若心経(般若経の中心の教えという意味)に習ったものです。それは、ごく簡単なお経で、次の通りです。

    「万物恩恵、万物感謝
    万物仏、万物尊重
    万物一体、万物愛す」

    その意味も読んで字の如くで、

    「万物を恩恵と見て、万物に感謝する
    万物を仏の現れと見て、万物を尊重する
    万物を一体と見て、万物を愛する」

    そして、この三悟心経の詳しい意味合い、そして、唱えるときのやり方、さらには、
    唱えながら行なう瞑想の学習・実践の仕方などについては、やはり特別教本を見てください。

    ●ひかりの輪は、仏教信仰を義務づけていない

    なお、ここで、「三悟」とか、「三悟心経」、「般若心経」といった仏教の用語が出てきましたが、ひかりの輪は、仏教的な思想を取り入れてはいますが、仏陀を信じないといけない団体ではありません。

    単に日本が仏教国であり、仏教文化が浸透しているので、教えのネーミングに、仏教的な表現を用いている場合が少なくないだけです。

    ひかりの輪の教え自体は、貴方に、仏陀・仏教への信仰があろうとなかろうと、その効果に全く違いはありません。

    理性によって合理的に考えて、教えが正しいと納得できたら、それを日常の生活に活かしたり、修習したりすることで体得していただければよいのです。

     

  • 【5】「心を変える四つの学習と実践」 (2012年11月18日)

    どのような心の持ち方が望ましいかはわかっても、心は、自分の意志で自由に変えることができないのが問題です。

    仏教やヨーガは、その発祥以来、この問題に取り組んできました。

    そもそも、「ヨーガ」という言葉の元の意味が、体操ではなく、(否定的な)心の働きを止滅することを意味するくらいです。最近では、心理学の心理療法もそうかもしれません。

    そこで、ひかりの輪では、心をよい方向に変えていくために、四つの学習・実践があるとしています。

    それは、心を直接的に変えることができなくても、心が連動しているものを変えることで、結果として心を変えるのです。

    ●ものの考え方・思想を学ぶ(教学)

    第一に、ものの考え方です。

    考え方は絶えず、心の状態と連動しています。
    前向きな考え方をすれば、心は明るくなり、後ろ向きな考え方をすれば、暗くなります。

    よって、どのような考え方が、心を明るくするのかを学び、それをなるべく訓練=修習することが重要です。

    宗教的な言葉を使えば、これは「教学」ということになります。

    なお、この際も、主体性・自立心を持って学ぶことが大切です。

    どんな考え方、教えに関しても、自分でよく吟味し、納得した上で、実践してください。

    「誰かが言っているから、やろう」というのではなく、自分で納得する必要があります。

    教学には、

    ① 単に学んだだけの知識の段階、
    ② 論理的に十分に理解できた段階(推理智)
    ③ 教えを体得・体感した状態(直感智)の段階

    があります。

    ③の体得の前には、十分な理解が必要です。

    ●日常の言動の改善(善行・功徳)

    第二に、日常の言動です。

    日常の言動も、心の状態と連動しています。

    ですから、考え方が正しくなっても、言動が正されなければ、心は十分には変わりません。

    よって、例えば、「感謝・尊重・愛」といった三悟の教えを学んだならば、日常生活において、それに基づいた言動をするように、自分なりに努めることが重要です。

    また、各宗教が説く戒律の中には、心が悪い方向に向かわず、良い方向に向くように、日々の言動の基本を規定したものがあります。

    各宗教で戒律は異なり、解釈も人によって異なりますが、共通する戒律には、人の心・体・人間関係・環境を良い方向に導くものが少なくなく、ひかりの輪では、不要な殺生をしない、盗みをしない、邪淫をしないといった、仏教の十戒などを参考にしています。

    こうした戒律を全て、盲信する必要はありませんが、自分なりに、その意味合い・重要性が理解できたならば、なるべく実践した方がよいでしょう。

    なお、こうして、日々の生活で、良い心や言動を積み重ねることを、仏教で「功徳」を積むと言います。

    ●身体を整える(行法)

    第三に、人の身体は、心と密接に連動しています。

    正確に言えば、体には目に見えないエネルギーの流れ=「気」があり、それが「気持ち」と連動しています。

    「気」は、肉体とも連動し、「気」に問題がある場所が、「病気」になるとされます。

    こうして、心と気と体に繋がりがあるので、逆に、体を整えて、気の流れ、心を整えることができます。

    これを実践するのが、「行法」と呼ばれているものです。

    例えば、ヨーガの体操や呼吸法や仙道の気功は、体の側面から、心を整えます。

    さまざまなものがありますが、ひかりの輪では、研究の結果として、「数種類のタイプのヨーガ行法」と、「流体循環気功」を提供しており、詳細がHPの「ヨーガ・気功」の部分に、掲示されています。

    行法は多種多様で、他にも、

    ① 心身に良い影響がある座法を組む、
    ② 心身を浄化する言葉を唱える、
    ③ 心身に良いイメージ・観想をする(例えば神仏の姿形など)

    といったものがあり、これらを組み合わせた瞑想行法があります。

    また、瞑想状態をさらに改善するために、五感から良い刺激を取り入れることが有効です。

    そのためには、

    ① 仏像・仏画・自然などの視覚的なシンボル、
    ② 仏教法具などが奏でる神聖な音(聖音)、
    ③ 瞑想用の特別なお香、
    ③ 瞑想に良い特別な飲み物(ハーブティー)、
    ⑤ 身につける仏教の法具などのさまざまな「ヒーリングツール」を活用しています。

    ●環境を整える(聖地巡りなど)

    最後に、心と体に大きな影響を与えるのが、それを取り巻く環境です。良い環境は、良い心の状態を作る大きな手助けとなります。

    ひかりの輪では、

    ①自宅・自室をよく掃除して(精神的な側面や気の流れといったものも)浄化すること、
    ②団体の教室に通うこと、
    ③自然の聖地を巡ること

    などを説明しています。

    この中の聖地巡りについては、HPの「聖地巡り」の部分をご覧下さい。

    また、このひかりの輪の四つの学習・実践(思想の学習・日常の言動の改善・身体行法や瞑想法・環境の改善)については、より詳しい説明が、代表の講話にありますので、それをご覧ください。

  • 【6】感謝の心を深める「内観」 (2012年11月18日)

    ●内観とは?

    ひかりの輪では、「内観」という感謝の心を培う自己内省法を取り入れています。

    内観とは、浄土真宗の一派に伝わる「身調べ」という修行法から派生し、その後、宗教的な要素を取り除いて、誰もができる自己反省法として確立されたものです。学会もあって、海外にも広がっています。

    その方法は、至って簡単で、内観専門家の指導のもと、自分がこれまでの生涯で、両親・親族・友人知人に、

    ① 他人から、していただいたこと
    ② 他人に、して返したこと
    ③ 他人に、迷惑をかけたこと

    を1つ1つ思い出していくという作業のみを、丸1日~1週間ほど集中して行なうというものです。

    なお、親がいない人は、親代わりに育てくれた人を親と見て行います。

    ●内観の効能、現代人に重要な感謝の心

    内観の良さは、感謝の心=愛が深まり、幸福感が増し、心が安定することです。

    また、感謝の心が深まれば、人間関係も改善します。

    そして、その延長上には、仏教が説く悟り、心の解放、慈悲の体得の土台にもなります。

    逆に、心理学では、子供時代に親の愛を認識できず、感謝の心が乏しい場合は、自分の価値がわからなくなり、それを感じようと、自己中心的な傾向が生じるとも言います。

    そうした人は、傲慢に見えますが、自分の価値がわからないのですから、卑屈でもあります。

    そのため、逆に、他と壁を作り、内向的になり、疎外感を感じる場合もあるようです。

    しかし、現代の日本では、親を尊敬する子供は、半数に満たないという意識調査もあります。

    敗戦による父権の喪失もあるでしょうが、経済成長重視の競争社会で、「もっと、もっと」という欲求が深まり、感謝よりも不満の心が生じやすくなっています。

    こうした状況の中で、感謝の心を深める内観は、非常に重要です。

    親などの愛を認識し、感謝が深まれば、健全な形で自分の価値=自尊心を形成できます。

    すなわち、自己と他者の双方に対する愛を育むことができるのです。

    さらに、内観が深める感謝の心は、仏陀の智恵が説いた真の幸福の道、すなわち、足るを知って、他と分かち合う道とよく合致します。

    さらに、慈悲の心を持つ菩薩になる修行の道として、全ての生き物に対する感謝の心を培う教えがあります。

    こうして、悟りを求める人にも、感謝・内観は重要です。

    ●ひかりの輪の内観セミナー

    実際には、講義を含めて「数時間」のものから、祝日などを利用して丸1日行なう「1日内観」、さらには、2~3日のもの、1週間合宿して行なうものなどがあります。

    ひかりの輪では、祝日などを利用し、内観の国際的な権威の大学教授の方の指導の下で行なう「内観セミナー」が、各教室で定期的に行われています(基本的に一日内観)。

    この貴重な機会を是非ご活用下さい。

    より詳しく内観についてお知りになりたい方は、HPの「自己反省法・内観」のコーナーをご参照ください。

  • 【7】ひかりの輪の聖地巡り (2012年11月18日)

    ●聖地巡りの恩恵

    ひかりの輪では、団体の発祥の経緯が、上祐代表らの聖地・自然での体験であったこともあり、聖地巡りを重要な活動の一つだと位置づけています。

    2002年以来、聖地・自然の中でのさまざまな瞑想体験や自然との交感・不思議な体験が、団体の思想を徐々に育んできました。

    聖地巡りの良さは、

    ① 聖地や純粋な自然によって、心身が浄化できること、
    ② 聖地の自然・歴史・文化から様々なことを学ぶことができること
    ③ 聖地・自然と一体となる悟りの境地に近づくことができること

    などがあります。

    また、内観のところで、親などに対する感謝の重要性をお話ししましたが、私たち人間をはぐくんでいるのは、究極的には大自然全体であり、親の親とも言うべきものです。

    その大自然に親しみ、感謝・尊重・愛を培うことは、感謝の心を極めていくことであり、万物と一体となる悟り・慈悲の体得にも非常に重要だと思います。

    ●ひかりの輪の聖地巡り

    ひかりの輪では、単純に聖地やその神社仏閣を巡り、参拝するだけでなく、団体がまとめた資料に基づいて、その聖地に関する歴史・文化の学習をしたり、現地の自然の中で、瞑想を行なったりするなどして、その効果を高めています。

    これまでよく巡った聖地としては、長野の諏訪・戸隠・善光寺・上高地・乗鞍・小諸、京都のさまざまな神社仏閣や比叡山、奈良の東大寺等の神社仏閣、三輪山・大神神社、飛鳥・斑鳩、天川・吉野、さらには、高野山、伊勢神宮、そして、富士山と周辺の神社仏閣・日光・鹿島神宮・大洗磯前神社、千葉の鋸山日本寺、東北の出羽三山などです。

    他にも、熊野三山、出雲大社、三徳山、福岡の宗像大社、熊本の阿蘇山や阿蘇神社等、宮崎の高千穂神社、十和田神社とその周辺、平泉、京都の天橋立・籠神社等、大阪の四天王寺等、四国の剣山等、都内の神社仏閣、鎌倉の神社仏閣も巡りしました。

    ●修験道の特別研修も

    また、東北の出羽三山の聖地巡りでは、修験道の先達の方の特別な指導を受けて、本格的な修験道の特別研修を毎年行っています。

    修験道は、山の思想とも言われ、山を仏の母胎とみて、山に入って、心身を浄化し、人ではなくて山・大自然から学び、自己を見つめ直し、生まれ変わった気持ちで、世俗に戻るという思想があります。

    ざっと述べましたが、ひかりの輪の聖地巡りは実に多岐にわたる内容・体験を含んでいますので、その詳細に関しては、HPの「聖地巡り」のところをご覧下さい。

  • 【8】ひかりの輪の聖地での体験 (2012年11月18日)

    ●ひかりの輪は、聖地巡りの体験から生まれてきた

    ここでは、ひかりの輪の団体の発祥に関係する、聖地でのさまざまな体験についてざっと述べたいと思います。

    その中には、いわゆる不思議な御縁を感じるものが多数あったのです。

    まず、「輪の思想」も、聖地・自然との交感で生まれてきました。
    2002年の6月10日、上祐代表は、この思想の一部について瞑想したところ、大きく気づくところがありました。そして、その直後に天空に太陽の周りの虹の光の輪が現れており、合計で七つもの虹が出ていたのです。

    これは、上祐代表らに大きな影響を与えました。

    ひかりの輪の団体名も、この体験に由来します。

    ●聖徳太子縁の聖地で不思議な体験が続く

    その後、上祐代表らは、繰り返し虹の体験をしていきます。

    その中でも特に印象的だったのが、2002年11月の富士山の麓における天に立ち上るような鮮明な虹でした。その直ぐ近くに、偶然にも、聖徳寺というお寺があり、その祭壇に虹の写真がありました。

    その理由は、かつて聖徳太子が、この場所で虹を見て、聖地だとされたからでした。

    この頃から、巡っていた聖地が、不思議にも、太子ゆかりのものが多かったことに気づき、太子縁の聖地に関心を持って、その一つとして、京都の広隆寺を参拝し、名高い弥勒菩薩半跏思惟像を拝観しました。

    その時、上祐代表らは、その仏像の中で、素晴らしい瞑想体験をしました。

    それは広大無辺の慈悲の心・慈悲の空間のように感じられました。

    そして、これがきっかけとなって、私たちは、それまで所属していたオウム真理教の後継団体である宗教団体アレフを脱会し、「ひかりの輪」として独立するに至りました。

    また、日本有数の山岳景勝地である上高地に滞在したときは、毎日ように虹を見て、合計で7回も見ましたが、そこでも、上祐代表らは、いろいろな気づきや精神的な体験をしました。

    代表によると、自然は貪らず、あるがままに生きる教師のように感じられ、そう感じたときに、自分が周辺の自然が一体化し、大きく温かい心が一杯に広がったように感じたと言います。

    そして、「私」よりも、「大自然」の方に、本当の自分の中心があり、自分は大自然の一部のように感じたと言います。

    こうした体験から、感謝と分かち合いや、自と他の一体性を重視する、ひかりの輪の一元論的な思想が温められていきました。

    その後、ひかりの輪の教室も、太子と縁があることがわかりました。

    長野の小諸市の教室近くには、観音菩薩を祀る真楽寺がありますが、この寺には、太子が立ち寄られたと伝承があります(他に長野で、こうした伝承を持つお寺は見つかっていません)。その境内の気の流れが非常に良いため、よく参拝していたお寺でした。

    以前の大阪の教室は、偶然にも、太子が仏教導入をかけた物部氏との闘いの前に勝利する神意を得た場所に立った神社に非常に近く、その神社の分社は、教室のビルの目の前にありました。

    その本社にあたる太子信仰のメッカとして名高い四天王寺にもごく近くにあり、その四天王寺を参拝した時も、太陽の周りの虹が何時間も出ていました。

    ●太子の「十七条憲法」と、ひかりの輪の思想の合致に気づく

    その体験をする前後、改めて太子の十七条憲法の思想を研究すると、偶然にも、その中に、ひかりの輪の思想、特に優劣の輪の教えとしたものと、全く同じ内容が、しかも、「輪」という同じ喩えを使って説かれていたことに気づきました。
    それは、

    「自分はかならず聖人で、
    相手がかならず愚かだというわけではない。
    ...おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。
    それは鐶(耳輪)には端がないようなものだ」

    というものです(十七条憲法第十条)。

    こうして、ひかりの輪の聖地巡りでは、このような不思議な虹の体験や偶然の一致が連続し、最後には、それが、聖地巡りとは全く別のところで温めていた輪の思想と合致するに至ったのです。

    さらに、一部の識者の見解として、以下のような意味もあります。

    ① 太子は、万人が平等という「輪」の人間観に基づいて、
    「和をもって尊しとなす」と訓戒したこと。

    ② 輪の思想は、縄文時代にまで遡る日本の根本思想であること
    (縄文時代は、住居を輪のように配置した環状集落やがあり、
    上下身分の区別・差別のない共同体だった)。

    ●親鸞・法然・最澄・空海ゆかりの聖地

    他に、私たちが気に入って、毎年のように巡った聖地の中には、不思議と、長野の善光寺・戸隠・鹿島神宮など、後から気づいたのですが、親鸞上人ゆかりの聖地でした。

    浄土真宗開祖の親鸞上人は、阿弥陀如来の慈悲は平等であり、悪人も救われる機会があると説いた人でした。これは、私たちには、大きな励みになった教えでした。

    その教えを、自己を悪人と自覚することで、正しい教えに巡り会う機会があると解釈すれば、宗教者が慢心を戒め、謙虚さを保つことの重要性を説くものとして、非常に重要だと思います。

    また、親鸞上人は、聖徳太子の夢のお告げを得て、その後に師となる法然上人に出会いました。

    その法然上人は、別名を「円光大師」といい、名前からして、ひかりの輪とご縁があるように感じています。

    名高い伝教大師最澄にもご縁を感じました。

    伝教大師は、全ての人に平等に仏性(未来に仏陀になる可能性)があるという思想を広めた人で、ひかりの輪の思想の中核、特に万人を平等に仏の現れと尊重する教えと合致しています。

    伝教大師も、自分を聖徳太子の弟子と考え、深く崇敬しています。

    その最大の聖地である比叡山の根本中堂は、宇宙の全ての生き物の苦しみを悲しむかのような広く深い慈悲の波動を感じました。

    また、ひかりの輪は、仏教の法具を瞑想やヒーリングに多用していますが、仏教の法具を日本で最初に本格的に導入したのは、弘法大師空海です。

    その高野山の弘法大師の御廟は、非常に明るく神聖に感じられる空間でした。

    そして、そこで、上祐代表が手の平の上に、弘法大師ゆかりの法具を置いて瞑想していた時に、何かのエネルギーが法具から腕を通して入って来て、その後、法具がひとりでに震動を始めたように感じる体験をするということがありました。錯覚かもしれませんが、こうした体験が、日本人が広く弘法大師を信仰する歴史が出来た原因かもしれません。

    なお、ひかりの輪は、太子を初めとする過去の聖人も絶対化・神格はしませんので、その点つけ加えておきます。

    太子も、「人を神として崇めてはならない」としています(その意味では仏教開祖釈迦牟尼も。同様に戒めています)。

    太子が説くように、人は皆平等に尊いという思想を重視しています。

    最後に、ひかりの輪の聖地巡りでのさまざまな体験については、詳しくは、このHPの聖地巡りのところをご参照ください。

  • 【9】日本・世界の思想・宗教の今後 (2012年11月18日)

    今は、大きな時代の変化の時が始まりつつあるように思います。
    政治も、新興勢力が現れて再編される様相ですが、宗教界も同様ではないでしょうか。

    昨年あたりから、20世紀後半に、注目を集めた宗教のカリスマが他界したりと、大きな変化を迎えているように思います。

    サイババ、ウサマ・ビンラディン、文鮮明が過去の人となりました。

    まもなく、麻原彰晃が続くでしょうし、他の20世紀の新宗教の中心人物も、人生の終末を迎えつつある人が少なくありません。

    それともない、少なからぬ宗教団体が、大きな岐路・変化を迎えていると思います。

    アレフ(旧オウム真理教)は法的責任を追及されて解体に向かい、オウムと同じように選挙に出て惨敗し、教祖が妻との離婚を始めとする訴訟問題を抱え込んだK教団も大きな岐路にあるようです。教祖が高齢となった巨大教団Sもそうではないでしょうか。

    こうした20世紀の宗教は、特定の人物を神の化身として絶対視する傾向が強いものでした。

    それは、外部社会の客観的な視点から見れば、盲信とか、カルトに映るでしょう。

    科学合理的な精神からは、受け入れることができませんし、度々反社会的になります。

    しかし、その一方で、経済的な拡大と競争の勝利ばかりを重視する価値観は、多くの人にとって心身が安らぐものではなくなっています。

    特に日本では、長期の経済的な低迷や市場原理主義の導入もあって、ストレス、鬱、自殺、いじめなどの問題が、相当に増大しています。

    物質的に豊かな社会の中で、心の苦しみは、かつてなく蔓延しているようにも思います。

    その問題の緩和のためには、現状への不満と奪い合い、拡大と勝利ではなく、感謝と分かち合いの精神、そして、万人の尊重と一体感の重視が、今後重要になると思います。

    そして、その実現のためには、「宗教」というものを抜本的に超えた、「新しい精神的な智恵の学びの場」が必要であると思います。

    ひかりの輪は、オウム真理教の手痛い教訓を活かし、過去の贖罪としても、21世紀の社会のためにも、それを創造していきたいと思います。