教本と講義
ひかりの輪で使用している教本やテキスト、それを解説した上祐代表の講話などをご紹介しています。

2016年12月

  • 2012年夏期セミナー特別教本『悟りの教えと現代の諸問題 親子問題、鬱病、自殺を考える』 (2016年12月06日)

    第一章 三悟心経の理解を深める


      三(さん)悟(ご)心経(しんぎょう)については、前回と前々回のセミナーの特別教本で、すでに詳しく解説しているが、本稿では、その補充をしておきたいと思う。


    1 三悟心経の源=輪の思想と法則

    1.三悟心経とは

      まず、復習となるが、ひかりの輪が説く三悟心経とは以下のとおりである。

      万物恩恵、万物感謝
      万物仏(ほとけ)、万物尊重
      万物一体、万物愛す

      そして、それぞれの意味合いは以下のとおりである。

      万物を恩恵と見て、万物に感謝する。
      万物を仏と見て、万物を尊重する。
      万物を一体と見て、万物を愛する。


    2.輪の思想:三悟心経の源

      次に、ここで、この三悟心経の源となった根本思想について述べる、それは、「輪の思想」であり、それに基づく「輪の法則」ということができる。
      まず、輪の思想とは、一言では完全には表現しがたいが、「万物は、輪のように(循環し)、一体で、等しく尊い」という世界観である。これは、この世界の根本的な原理であり、万物を一体で平等と見る思想である。
      例えば、この宇宙は、マクロの視点でもミクロの視点でも、輪・循環が、基本的な運動・原理になっている。地球の自転と太陽の周りの公転、太陽の銀河系の周りの公転、そして、原子の中の原子核の周りの電子の回転などである。そして、人間をはじめとする生命も、昼夜の循環、四季の循環、水の天地の循環、食物の連鎖、酸素と二酸化炭素の循環などに支えられている。
      そして、この輪の思想は、日本にとっては、環状集落や環状列石があった縄文時代からの根源的な精神・思想であったと思われる。そして、聖徳太子が説いた日本の根本的な精神である「和の思想」の源となっている。すなわち、輪の思想に基づいた和の思想であり、両者は本質的に一体と考えられる。
      また、この輪というものは、世界の諸宗教・諸文化に共通する神聖なシンボルともされる。仏教の法輪(仏法・仏陀の象徴)、仏陀やイエスの背後に常に描かれる輪状の後光、神道の「三種の神器」の円形の鏡、道教の陰陽の円形の太極図などを見れば、輪・円が神聖なもののシンボルとなっていることがわかる。


    3.輪の法則(一元法則)

      さて、この輪の思想に基づいて、より具体的なものとして、「輪の法則」と呼んでいる法則・教えがある。この輪の法則には、主に三つのものがあって、それは以下のとおりである。
      なお、輪の法則は、「一元法則」と言い換えられる場合がある。一元法則とは、「万物、ないしは二つに分かれているように見えるものが、本質的につながっている、元が一つである」といった意味を持った法則である。

    (1)三悟の法則(三悟の輪の法則、ないし、三悟の一元法則)

      これは、苦と楽、優と劣、自と他といった、一見して別々の対極的なものが、本質的には輪のようにつながっており、一体であることを意味している。三悟とは、万物への感謝、万物への尊重、万物への愛という三つの悟りのことである。

    (2)三縁の法則(三縁の輪の法則、ないし、三縁の一元法則)

      これは、この世界の万物が、関連していて、同根であり、循環しており、一体であると説くものである。

    (3)三性の法則(三性の輪の法則、ないし、三性の一元法則)

      これは、この世界は、男性と女性、天と地、光と闇、陰と陽というように、男性原理と女性原理の二極によって構成されているという哲学があるが、この男性原理と女性原理の二極も、本質的には一体であって、中性原理であるという法則である。ここで、輪という言葉には、車輪の意味もあって、この車輪の形状の輪と軸が、それぞれ男性原理と女性原理を象徴している。


    4.三悟心経と三悟の法則

      上記の三つの法則の中で、一番目の三悟の法則に主に基づくのが、三つの悟りの心の教え(三悟心経)である。すなわち、三悟心経とは、三悟の法則のエッセンスを短い言葉=経文で表したものである。この短い言葉の中に、仏陀の智慧のエッセンスが凝縮されている。
      そして、一見すればわかるように、この三悟心経は、伝統的な経典である般(はん)若(にゃ)心(しん)経(ぎょう)などと違って、現代人にも、その意味がよくわかる現代版の経典であり、それを繰り返し唱えると、規則的なリズムによって、一定の心地よさが生じる効果もある。

     

    2 三悟心経の追加講義① 三つの教えは一体であること

      先ほども述べたが、すでに三つの悟りの心の教え(三悟心経)については繰り返し解説してきたが、それをさらに深めるために、今まで述べていなかった視点について、以下に述べることにする。その要点は、三悟心経の三つの教えは、ばらばらではなく、一体性を持っているということである。

    1.「万物恩恵・万物感謝」と「万物仏・万物尊重」のつながり

      まず、万物恩恵・万物感謝の教えのエッセンスから確認しておこう。この教えは、真の幸福は、不満と奪い合いではなく、感謝と分かち合いによるものであると説く。
      すなわち、多くの人が、自己と他の幸福を分け、自分のためにだけ「今よりもっと」、「他人よりももっと」と求めるが、それは際限がなく、永久に満ち足りることがなく、にもかかわらず、得られない苦しみ、得たものを失う苦しみ、奪い合いなどのさまざまな苦しみを招く。
      そうではなく、今すでに与えられている膨大な恵みに気づいて感謝したり、苦しみの裏側にも智慧や慈悲を鍛えるという貴重な恩恵があることに気づいて感謝したり、自分の貪りの裏にある無慈悲な心を反省し、他と苦楽を分かち合ったりすることによってこそ、心が安定し、大きく温かくなり、現実生活も安定したものになって、真に幸福になる。
      なお、この教えは、全体の幸福のための手段として切磋琢磨する意味での競争を否定するものではなく、自分だけが幸福になる、生き残ることを目的とする闘争は否定するものであるので注意されたい。
      さて、この教えのポイントの一つは、本当の幸福は、奪い合いではなく、分かち合いによるということである。言い換えれば、本当の幸福は、万人が一体として得られるものであって、自分と他人は共に幸福になるか、共に不幸になるものであって、自分が幸福になって他が不幸になったり、他が幸福になって自分が不幸になったりすることはないということだ。
      例えば、現代社会で流行っている、勝って幸福になる者と負けて不幸になる者がいるという考え方は、ごく一面的・短期的な視点に基づいた錯覚であり、本質的には間違いである。例えば、他を押しのけて勝った者は、勝利の快感はあっても、同時に慈悲という心の宝を失っているのである。
      この教えのもう一つのポイントは、苦しみの裏側に楽があり、楽の裏側に苦しみがあるということである。
      これを人の間の優劣に関して考えると、例えば、何かに優れている人は、劣った人の気持ちを理解し、それを取り除く手伝いをすることは難しい一面がある。逆に何かに劣っている人の方が、同じように劣っている人の気持ちを理解し、それを和らげることができる一面がある。
      仏教にも、「煩悩(ぼんのう)即(そく)菩提(ぼだい)」という言葉がある。これは、凡夫(普通の人)の煩悩と、仏陀の慈悲の心(菩提心)は別のものではないという意味だ。煩悩に苦しんだ者こそ、同じく煩悩に苦しむ人への慈悲も生じる。そして、大煩悩大解脱という言葉もある。煩悩が強かった者が解脱を果たすと、大きな解脱になるというものである。
      また、自分が何かに優れている場合は、物事を自分の力で行う立場になりやすく、自分より優れた他の力を認めて喜び、それを活かして全体が幸福になる方向には行きにくい。例えば、有名な松下幸之助は、自分の体力・学力・財力が乏しかったために、健康な他に頼む術を学び、学力のある他から謙虚に学ぶ姿勢を身につけ、お金持ちの下に丁稚奉公に行って商人の才を身につけたという。こうして、他人の長所を活かそうとすれば、自分の欠点が、一転して自分の新たな長所の源になる。
      さらに、自分が一面で劣っており、他に支えられる立場の人のほうが、人の支えのありがたさや感謝の心を身につける場合がある。例えば、ある身体障害者の方は、当初は、そのように自分を生んだ親を恨んでいたが、いろいろな経験を経る中で、身体障害者であるがゆえに、人の支えのありがたさを理解し、感謝の心を得たと気づき、逆に親に感謝するようになったという。
      そして、これによって、そのご両親は罪の意識から救われただけでなく、子供から自分たちが忘れていたとても重要なことを教えられたと思ったのではないかと私は思う。というのは、実際、身体障害者であろうと健常者であろうと、人間は自分だけの力では、一日一秒たりとも生きることができない無力な存在であり、その意味で、感謝や謙虚さは非常に貴重な宝である。
      しかし、先ほど述べたように、「今よりもっと、他人よりももっと」という心の働きが強い現在の競争社会では、自分と他人への不満が多くなりがちで、感謝や謙虚さは忘れてしまう。よって、この一点だけで見ても、身体障害者は、健常者より劣っている、不幸になる、ということはできないだろう。場合によっては、逆転さえするのである。
      また、これと似た例としては、健康だった人が、病気になって初めて、人の支えのありがたさに気づき、感謝の心が深まって、人間として一皮むけて、復帰後にいっそうの活躍をしたという話を聞くことが多い。
      また、私は、名古屋に住むある身体障害者の方と知り合いだが、彼の心からの感謝の言葉が、彼を介護する健常者の女性の心を救っていると感じた。現代人は、物は豊かでも、競争社会の中で、負け組などといわれて、自分が生きる意味・価値・動機を失っている人が多いと思う。そういった社会の中で、身体障害者の彼は、深い感謝の心で、健常者の彼女の心を支え、救っているのだ。
      以上の話のポイントは、自分と他人が共に幸福になるものだと考えるならば、人の間に優劣などはないということである。
      すなわち、競争社会の中で洗脳されて、他人よりも多くのお金や地位・名誉・権力を得ることだけが幸福の基準であると錯覚すると、幸福は奪い合うものであって、自分が幸福になると他人が不幸になり、他人が幸福になると自分が不幸になるという錯覚が生じる。すると同時に、人と人の間に絶対的な優劣があるように錯覚する。
      しかし、真の幸福は、奪い合いではなく、感謝と(苦楽の)分かち合いによるものであり、安定した大きな温かい心を得ることだと気づけば、自分と他人は共に幸福になるものであることがわかる。すると、人の間に絶対的な優劣などはないことがわかる。
      すなわち、人の短所と長所は裏表であり、例えば、自分の欠点・苦しみは、同じ苦しみを持つ他人を理解し助ける力の源となり、また、自分にない他人の長所は、それを活かすことで、自分が他の能力を使える人間となったり、感謝に目覚めた人間となったりするなどして、新たな自分の長所の源となることがわかる。
      こうして、人は、一般に不遇とされる条件に生まれ育とうとも、自分と他人は共に幸福になるという視点に目覚めれば、その条件を自分なりの個性として活かして徐々に成長し、幸福になる道があると思う。すなわち、一人一人に、一つの幸福、一つの個性的な幸福があるのである。その意味で、人と人の間に本質的な優劣はないのである。
      そして、その幸福への道の性質は、感謝と分かち合いの道であり、仏陀の言葉では、慈悲や四無量心の実践の道ということになるだろう。この四無量心とは、慈・悲・喜・捨の四つの心であり、①慈は、他に楽を与える、②悲は、他の苦しみを悲しみ取り除く、③喜は、他の幸福・功徳・才能を喜ぶ、④捨は、万人万物を分け隔てなく平等に愛するというものである。
      そして、この人間観は、大乗仏教の人間観・世界観と共通する。大乗仏教では、人の間には優劣を設けず、この世界の万人・万物は、皆平等な仏の現れであって不必要なものは一切ないと説く。そして、すべての生き物は、輪廻転生を繰り返す中で、釈迦牟尼と同じように、未来に仏になる可能性があると説く。ここから、次の三悟心経の教え、すなわち、「万物仏・万物尊重」が出てくるのである。

     

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