教本と講義
ひかりの輪で使用している教本やテキスト、それを解説した上祐代表の講話などをご紹介しています。

2016年04月

  • 第30回心理学講義 『森田療法』 (2016年04月19日)

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    1.日本で生まれた心理療法

       森田療法は、1919年に森田正馬によって開発された心理療法です。森田療法は、対人恐怖症、強迫神経症、不安神経症(パニック障害、全般性不安障害)などの神経症が主たる治療の対象。また最近では、慢性化するうつ病やガン患者のメンタルケアなど、幅広い分野に有効と言われています。 神経症とまではいかなくても、心配性の人、不安が強い人、完璧主義の人、神経質な人にも効果があります。

       ちょうど同じ頃、やはり神経症を対象とした精神療法がフロイトによって創始された精神分析です。
    精神分析と森田療法の違いは、森田療法では、①無意識ということは言わない、②過去を問わない、という違いがあります。

       森田療法の目指すところを簡単に言いますと、恐怖や不安、心配、緊張などがあってもそれをそのままにして(このことを「あるがまま」と言います)、やるべきことをやる、ということです。

       そのことを順次説明していきます。


    2.神経症とは

       まず、森田療法の治療対象となる神経症とはどういうものかをみていきましょう。

       神経症とは、心理的原因によって生じる心身の機能障害の総称で、器質的な問題によるものではありません。ですから、普通の人が日常体験するような心の働きの延長上にあるものです。

       例えば、外出したとき、玄関の鍵を閉め忘れたのではないか、という不安は普通にも生じることで、そのこと自体、神経症ではありません。そのことが、気になって気になって、何度も家に戻って鍵が閉まっているかどうか、確かめずにはいられないという状態が神経症です。


    3.主な神経症

    (1)恐怖症(社会不安障害)

       人前で話したり、初対面の人と会うときに生じる緊張や不安は誰にでもあることですが、このような緊張や不安が強く、学校、会社に行けず、社会的活動から引きこもってしまう状態です。引きこもらないまでも、人との接触を避けるようになり、生活に支障をきたします。「対人恐怖」「赤面恐怖」「外出恐怖」などがそうです。

       恐怖症は、大きく2つに分けられます。
       一つは、街中の雑踏、電車・バスなどの乗り物などの空間(広場)に対する恐怖症。もう一つ人から変に思われないか、批判されないかなどの対人恐怖症があります。

    (2)強迫神経症

       強迫観念による強迫行為。手を何度も洗わないと気がすまない、電気を消したか何回も確認しないといられないなどです。


    (3)不安神経症(パニック障害、全般性不安障害)

    ①パニック障害
       「このまま死んでしまうのでは」というパニック発作(不安発作)を繰り返します。突然の動悸や呼吸困難、発汗、めまいなどの身体症状とともに、強い不安や恐怖感を伴います。このパニック発作を何度か繰り返すと、また起こるのではないかという不安・恐怖(予期不安)が生じるようになります。そして、過去に発作が起きたような場所や逃げ場がないような場所(乗り物など)、それから、人に見られるのが恥ずかしいので大勢の人のいるところに出かけることを避けるようになります。

    ②全般性不安障害
       「何かの病気になるのではないか」「何か悪いことがおこるのではないか」など、様々な不安が生じ緊張し、震え、筋肉の緊張、発汗、めまい、頭のふらつきなどの身体症状を伴います。夜も眠れなくなり生活に支障をきたします。


    4.神経症は「不安」が基にある

       上記のように、神経症には様々なタイプや症状がありますが、共通しているのが「不安」です。不安と、その不安にとらわれることによって、不安が強まり、様々な症状が固定化したのが神経症です。

       神経症の症状は、普通の人が日常体験するような心の働きの延長上にあるもので、質的な違いはありませんが、その強さや継続時間が際立っています。

       例えば、何時間も手を洗うとか、何度も鍵をかけたか確認する等、日常生活に大きな支障をきたす場合、神経症であると考えられます。

     

     

     

  • 第24回心理学講義『人は皆、多重の人格をもつ』 (2016年04月12日)

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     「人は皆、多重の人格をもつ」

    今回は一つの心理学理論を吟味しそこから学んでいくというのではなく、人間というのは「多重の人格を持っている」という理解と人間観を持つことで、自分と他人が全く違った別々の存在であるという認識から、自他の共通性・全く別の違った存在ではないことの理解(ひいてはその実感)、万人を平等に見る、自他に対する寛容と慈悲といったものを培う一助にしていただければと思います。

    そのために、「交流分析」、「影の理論」、「サイコシンセシス」などの心理学理論と「仏教の十界互具」の教えを参考にして話をしたいと思います。


    1.人は誰でも、多重人格

    人は様々な人格を持っています。人格というのは心の要素、性格などと考えてください。

    ・イライラして怒りっぽい自分。
    ・自分が驚いてしまうほどに優しい自分。
    ・引っ込み思案な自分。
    ・すぐに不安になってしまう自分。
    ・嫌なことがあると逃げてしまう自分。
    ・人前が苦手で赤面してしまう自分。
    ・人を助けたいと強く願う自分。
    ・批判的な自分。

    などです。まだまだたくさんあるでしょう。

    このことは、少しよく自分を省みれば、自分にもそういうところはあると思うことはできるでしょう。ところが、日常の生活のなかでは、あたかも自分にはそんな要素はない、と思って、他を批判したりします。

    これは、自分(「私はこういう人間である」)を限定して認識しているからで、その限定の幅・範囲が狭いほど、他人と自分は違うという思いも強くなります。

    これはどういうことかというと、「自分はこういう性格だ」というときの性格(要素)の数が少ないということで、他人と共有する要素が少なくなり、自分と他人の共通点を認識できない=自分と他人は違うということになるのです。

    このような人は、悪いことをしている人を見て、自分にはそういうところはないと思い、他を批判、断罪するようになります。


    2.人間はほぼ同じ心の要素を持っている

    人間というのは皆、ほぼ同じ様々な要素を持っていると思われます。
    ただ、どの要素が表面に表れているか、隠れているかの違いに過ぎないということです。どの要素がより発達しているか、未発達であるか、ということです。

    このことは、ユング心理学の元型という概念から考えると導き出されます。元型とは、人間に共通する心や行動の元パターンと言ったらいいかと思います。この元型は人間全体が共有する無意識の領域にあると言われています。ですから、私たちの心の要素やそこから生じる行動などの元は皆同じものを持っているというのです。

    ユングの元型を持ち出すまでもなく、心の中を落ち着いて理性的・合理的にのぞいて見れば、人間の中にある要素はだいたい同じだということに気づくのではないかと思います。

    そして、この「人間というのは皆、ほぼ同じ様々な要素を持っている、それは善の要素も悪の要素も」という認識(人間観)は、万人を平等に尊重し、寛容の心、慈悲の心を培うことにつながります。

    しかし、人間はなかなか悪の要素、マイナスの要素が自分にあることを認めたがりません。また、あまりにもすばらしい要素についても自分にとてもそんなものはないと思い、その要素があることを否定します。


    それでは、ここで私たちの内面には様々な人格が存在するということをいくつかの心理学理論からみていきましょう。

     

     

     

  • 第29回心理学講義 『子供の発達・人格形成における父親の役割』 (2016年04月02日)

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                         「子どもの発達・人格形成にはたす父親の役割」


      愛着理論でもみてきたように母親と子どもの関係は、子どもの生命維持を土台とした生物的なものである。それにひきかえ父親はどうだろうか。

      ほ乳類で子育てに関わる父親の割合は3%程度であるという。しかも、直接的に子育てに関わるのではなく、母子を外的から守るというような間接的なものである。

      それに比べ人間は家庭を持ち、父親も養育にあたる。このようなことは人間に特有なものと言ってよい。それは、人間社会が高度に組織化、役割分化した社会であることとも関係があると考えられる。

      子どもの発達・人格形成にはたす父親の役割というものを考えるにあたって、このあたりのことがポイントとなると思われる。


    1.父親の役割

      人間は単に体が成長するだけでは、大人になったとはいえない。社会のなかで社会の一員としてある一定の役割を果たし、自立して生きていけるようになって大人と言える。

      高度に組織化した人間社会では、そこで生きて行くにあたってのルールや規則・規制がある。このような社会で生きるうえで必要な社会的・文化的ルール・行動様式を身につけていくためには、子どもの身体的成長に気を遣う母親的要素だけでは足りない。そこで父親の役割が出てくる。

      このあと講義のなかで何回か言及していくことになるが、まずは、父親の役割というものを列挙してみることにする。

    ・強く頼もしい庇護者 →子どもは安心感を得ることができる。
    ・怖い父親 →禁止・抑止→子どもは欲望のコントロールを学ぶ。
    →また、社会でのルール・規範を学ぶ。社会性を身につける。
    ・厳しさ → 近寄りがたさ、距離をとる →自立、主体性
    → 現実、社会の厳しさを教える。
    ・興味や活動の刺激 →子どもの関心を外界へ向け、行動的にする。
    ・成長のモデル(自我理想) →自立、行動のモデル、生きる見本、生きる力


    2.発達段階的にみた父親の役割

    【言葉の説明】エディプス・コンプレックス:
    〔オイディプス王が父を殺して母を妻としたギリシャ神話にちなむ〕
    精神分析の用語。子供が無意識のうちに,異性の親に愛着をもち,同性の親に敵意や罰せられることへの不安を感じる傾向。フロイトにより提唱され,多くは男子と母親の場合をさす。 → エレクトラ-コンプレックス(Weblio辞書より引用)


      4歳頃、精神分析でいうエディプス期に入ると、父親は母親の関心・愛情をめぐるライバルとなる。しかし、父親は万能に見え、適わない存在。自分を抑え込む強い力をもつものとして恐怖の対象にもなる。ここで子どもは父親に対する愛着と恐怖・闘争の間で葛藤する。

      そしてその後、子どもは、父親には適わないことを認識し、母親を独占しようという幼い願望を諦めるようになる。

      次の段階で、父親を理想像として同一化しようとする。強い適わない存在に自分もそのようになろうとする。そうすることで、父親への愛着と恐怖・闘争の葛藤を乗り越えることができる。

    (以上は、4歳くらいから12,3歳までの間に漸次起き、個人差があるので、明確な年齢はしめせない)

      やがて思春期(13~18歳くらい)になると、父親にずっと同一化し続けることも越えなければならない。父親とは違う自分の人生を歩いて行くためには、次の段階に進む必要がある。父親から距離を取り、父親に反発するようになる。いわゆる反抗期である。

      この時期は母親との関係も変化する。それまで甘える対象であった母親を、何かとうるさいと感じるようになり、反発するようになる。これも自立の現れである。母性の受容する力=飲み込む力から脱却して自立しようとしているのである。

      このとき、父親の役割がある。子どもを手放せない(子離れできない)母親を支える役割である。親離れしていく寂しさを共有し、子どもの成長を喜ぶことを、ともに行うことによって、母親の子離れを促進させる。そいう形で父親は子ども成長の手助けをする。

     

     3.父親の不在(役割の欠如)の影響

      父親の不在という場合、死別や別居・離婚、長期出張などによって物理的に父親がいないということだけでなく、一緒に暮らしていても存在感がなく、父親としての役割をはたしていないというような、機能不全の状態(機能的不在)もその影響は同じであるという。もちろん、子どもがいくつくらいに不在状態になったかで、与える影響は違ってくる。

      現代は父親の存在が希薄になっている時代である。普通の家庭でも機能的な父親不在の状態は珍しいことではないのかもしれない。

      では、父親の不在がどのような影響があるかをみていく。