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ヨーガ行法の心理学

5.知足と縁起と感謝
(2015年12月17日)

                                          山口雅彦

2.<勧戒>

禁戒というのは、「~してはいけないよ」、というもので、勧戒は「~しなさいよ」というものです。

禁戒を守らないことで、卑屈さが増すという話をしました。それとは逆に勧戒を実践することは、自己評価を高めます。悪いことをすれば、自己評価が下がり卑屈になり、心は不安定になります。善いことをすれば、自己評価は上がり卑屈さは減り、心は安定します。

 

もう少し卑屈さと心の不安定さについて考えてみましょう。

卑屈さが強い人は、自分を保つためにプライドも高くなります。「私は偉いんだ」という思いと同時に他を見下す心も生じます。プライドが傷つけられると怒りが生じます。そして、甚だしくプライドが傷つけられると、卑屈になってしまいます。

このように、卑屈・プライドのラインは心を不安定にするものです。


①清浄
心身の浄化です。特にハタ・ヨーガによって強調されているように、それは呼吸器、内臓器官、体液、神経などの内部組織の浄化をも意味しています。そのことによって感覚的な能力と霊性的能力が開発されるのです。

事実、ヨーガを行じていくと、感覚がきわだって鋭敏になって、自分の生命にとって何が自然であり、不自然であるかというがわかってきます。

タバコが自然に止められたという例は多くあります。ヨーガを行うことによって浄化されてくるので、タバコを吸ったとき、体に悪いものであることが体で認識できるようになるのです。食べ物でも同様のことが言えます。

 

②知足(満足)
足るを知る。与えられたもの(今、自分が得ているもの)で満足するということです。
今の状況に甘んじるという消極的なことと混同しないように注意する必要があります。

通常私たちは、足るを知るということがありません。それは、「ない」物に意識の焦点を当てているからです。「ないもの」に焦点を当てていれば当然、不満が生じます。そして、もっともっとという欲求は増大します。足るを知るということは、与えられているもの、「ある」物に焦点を合わせるということです。自分が得ているものに焦点を合わせれば、不満は生じません。

現代は、消費社会の時代です。庶民の消費を煽るために、宣伝によって持っていないものに意識を向かわせて欲求を刺激します。そうした刺激によって、私たちはもっともっとという限りない欲求によって苦しんでいます。

満足度というのは、「得たもの」/「欲求」×100=満足度という式で表すことができます。分母である「欲求」が増えるほど満足度は減るということになります。でも、分子の「得るもの」が増えれば満足度も増すではないか、と言うかもしれませんが、私たちが「得るもの」には限りがあります。それにくらべ、「欲求」は限度を知りません。ですから「欲求」が肥大すれば、満足は得られないのです。

ここに、欲求を増大させない知足の素晴らしさがあります。満足した状態というのは心が安定しています。 欲求が心を動揺させ、不安定にさせるのです。

さらに、得ているものに焦点を合わせると何が生じるかといいますと、「感謝」が生じます。普段はすでに与えられているものを当たり前と考えて、感謝の気持ちはなかなか生じませんが、あらためて得ているものに焦点を合わせると、「当たり前」でなく「有難い」ということに気づきます。

  多くのものを多くの人や自然の恩恵によって与えられていることに気づきます。そのことに気づくと自然に感謝の気持ちが生じてきます。食べ物も家も服も水も空気も・・・自分が生きていくうえで必要なものはすべて与えられています。

なんと「有難い」ことでしょう。字のごとくそれは奇跡です。「当たり前」ではないのです。このことに気づけば、不平・不満など生じる隙はありません。

多くの人の恩恵を受け、自然の恩恵を受け生きている。その事実にしみじみと気づいたら、今度は自分には何が出来るのだろうか?と考え始める。他のために自分にできることって何だろう?と。何を他に与えられるだろうか?という心が生じてきます。

どうでしょう? こんなに豊かな心はないのではないでしょうか。ここまでくれば、「知足」は消極的どころか「超」積極的なものだとおわかりでしょう。

人間社会、そしてそれを包む自然、さらにそれを包む宇宙は相互に支え支えられるという相互依存の関係によって成り立っています。「知足」はここまで私たちの意識を拡げてくれます。

 

③苦行
ヨーガの実践を行うこと。苦行という言葉の意味および、イメージから苦しい激しいものを思い浮かべるかもしれませんが、そうではありません。

実際インドにおいては昔も今もある意味無意味とも思われる苦行を実践している行者はいます。しかし、本来ヨーガというのは、緊張と弛緩のバランスを整えることですから、緊張だけを強いるものではありません。コンスタントに日々、持続して行うということの重要性を言っていると理解してください。

 

④読誦
聖典を読む、ヨーガ思想を学ぶ、真言を唱えるということです。物事をどう捉えるかによって、心の主人になってコントロールできるか、あるいは心の従者になって翻弄されるかが決まります。そのためには、経典(教え)を学ぶことは必要なことです。

 

⑤自在神への祈念
自在神(イーシュバラ)にヨーガの実践の成功を祈ることです。自分よりも高い存在への信によって、傲慢さをとりのぞき、謙虚さを身につけることになります。


「禁戒」と「勧戒」を習得してしまうまでは、体位法、調気法、そしてそれに続く瞑想法などの次に続く部門の実践はできないのか? また、試みても無駄であるのかという疑問が生じるかもしれませんが、そうではありません。

 「禁戒」や「勧戒」は、ヨーガの実践においてまず心得ねばならない心身の構えです。そしてまた、ヨーガの実践の究極の目的でもあります。このような精神的な構えをふまえながら、その後の部門を順次修習していくことによって、「禁戒」そして「勧戒」は外から守るべきスローガンではなく、内から自ずと現われてくる人間の能力として具現してくるということを説こうとしているのです。

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