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■団体規約と外部監査制度など

「ひかりの輪」基本理念

                                                                          2007年5月5日制定
                                                                          2007年5月6日公布
                                                                          2007年5月7日施行
                                                                          2007年5月8日改正
                                                                          2013年12月17日改正
                                                                          2015年6月11日改正

   私たち「ひかりの輪」会員は、以下の基本理念に従って行動し、全ての人々、生き物に対して、奉仕していくことを、ここに誓う。

1,思想・哲学の学習・実践を通じて、社会への奉仕に努める

   私たちは、物心両面の幸福のための様々な智恵・思想を学ぶとともに、現代に合ったものを新たに創造・実践し、普及させていく。物の豊かさに限らず、心の幸福・豊かさ・解放・悟り、真の自己実現・人生の目標の達成、さらには21世紀の社会全体の幸福の実現を通じて、社会への奉仕に努めていく。

   そのために、私たちは、仏教などの東洋哲学や心理学をはじめとする東西の思想哲学を学習・実践していく。その対象には、仏教のほか神道、修験道、仙道、ヨーガ、ヒンドゥー、聖書系等の宗教の思想哲学を含んでいるが、私たちは、特定の教祖・神・教義を絶対視して盲信したり、人や自然とは分離された超越的な絶対者を扱ったりすることはないので、宗教または宗教団体ではない。

   また、学びの対象には、宗教思想とともに、心理学、物理学などの自然科学、社会学、人類学、国内外の歴史なども含む。

2,宗教ではなく、「宗教哲学」を探求していく

   一般に宗教とは、「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され忌避された神聖なものに関する信仰・行事」と定義されており(※1)、その実践においては、崇拝対象に対する疑問や理性による考察を許さない絶対的な信仰や、行きすぎた盲信を伴う場合もある。

   しかし、私たちは、次項以降に述べる理由により、特定の存在に対する絶対視や盲信を否定するとともに、人間から分離された超越的絶対者を崇拝することなく、理性を十分に維持して、私たち自身の内側や周辺の現実世界の中に神聖なる存在を見いだして尊重していく実践を行う。

   これを正確に表現するならば、「宗教」ではなく、「宗教一般の本質ないし、あるべき姿を自己の身上に探求し、理性にとって納得のゆくものとして理解しようとする」とされる「宗教哲学」(※2)の実践といえるものである。

   (※1)岩波書店『広辞苑』
   (※2)岩波書店『岩波 哲学・思想事典』

3,自己を絶対視せず、「未完の求道者」の心構えを持つ

   そもそも私たちは、過ちを犯すこともある不完全な人間である。よって、特定の存在について絶対的に正しいと判断する能力などは持ち合わせておらず、特定の教祖・神・教義を絶対視できるはずもない。

   にもかかわらず、特定の存在を絶対視し、その他の存在を蔑視したり排斥したりすることは、自己の判断力を絶対視し、自分自身を絶対視するに等しい傲慢な行為にほかならない。

   私たちは、謙虚に、自らを「未完の求道者」と位置づけ、道を求め続けていく。

4,感謝・尊重・愛の実践で、全ての存在に神性を見いだす

   不完全で無力な私たちが、今こうして生きていられるのは、様々な人々・社会・自然などの天地万物が、物心両面で私たちを支え、育んできてくれたからである。

   このような万物に感謝し、尊重し、愛する実践を通じて、私たちは全ての存在の中に神性を見いだしていく。

   それは、全ての存在を認め、受け入れ、育む、広大無辺な慈悲の精神ということもできる。
   そして、それは、私たち自身、人間ひとりひとりの中に宿っている神聖な性質であり、全ての存在を通じて現れ出すものである。

   私たちは、そのような存在や働きを、いわゆる神仏と位置づけるのであって、決して人間や現実世界から分離された超越したものとは見なさない。

5,過去の反省に基づき、特定の存在を絶対視しない

   万物に神性が宿っており、万物が神仏の現れと見るのであるから、特定の教祖・神・教義だけを絶対視することができないのは当然である。

   オウム真理教をはじめとする従来型の宗教においては、特定の人物を神または神の化身と位置づけて、自教団を唯一絶対視することで、様々な闘争、宗教戦争、宗教テロなどの悲劇を繰り返してきた。

   私たちは、その反省に基づき、いかなる特定の人物についても他者と区別し絶対者と位置づけ盲目的に信仰することはなく、全ての存在に神性を認めることを、重ねて再認識する。

6,善悪二元論の妄想を超えた、叡智・思想に基づく実践を行なう

   オウム真理教をはじめとする従来型の宗教においては、自らの教団を善とし、教団の外を悪と位置付けて二分化する「善悪二元論」の妄想に陥る傾向が強かった。

   私たちは、このことを反省し、全ての存在が相互に依存し合って輪のように繋がっているという一元論的な思想から生まれる、智慧と慈悲の「ひかりの輪」が広がっていくように努める。

   当然、自らの団体と外とを二分化することなく、感謝・尊重・愛の実践を通じて、団体と団体外との融和をはかり、全ての人々、社会に奉仕していく。

7,諸宗教の神仏は、人に内在する神性を引き出す存在として尊重する

   古今東西の宗教における神仏等の崇拝対象や教義は、それを信じる信者にとって、先に述べた自己の内側の神性--広大無辺な慈悲の心を引き出し、増大させる貴重な存在として尊重する。

   私たちは、全ての人々が従うべき唯一絶対の崇拝対象や教義があるという主張に基づいて特定の信仰を強制することや、そのために争うことは、当然に認めない。

8,「輪の思想」で、全ての調和のために奉仕する

   そして、私たちは、宗教・思想・科学だけでなく、謙虚な心を持って、様々な人々、究極的には大自然を含めた全ての存在から、人の神聖な意識を引き出し、人々の心身を浄化して、癒すための道を学んでいく。

   そこから、万物を輪のように平等一体と見て尊重する「輪の思想」を体得し、「輪」=「和」の世界の実現に努める。

   すなわち、思想・宗教のために人が争って苦しんだり、人間の叡智の進歩が停滞したりすることなく、思想・宗教間の融和や、宗教と科学との融合が進み、さらには、人類社会と大自然・地球がよく調和して、全てが共存する世界の創造に向けて、奉仕していきたいと考える。

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            基本理念付帯文--オウム真理教の総括と反省
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   私たちは、地下鉄サリン事件・松本サリン事件・坂本弁護士事件をはじめとする、80年代末から95年にかけて発生した一連のオウム事件が、当時のオウム真理教教祖・麻原彰晃こと松本智津夫の指示のもと行われた組織的犯罪であったことを、裁判所の判決や私たち自身の経験に基づいて、明確に認めるものである。

   麻原は、幼少時の両親との疎遠・身体障害、学業・事業等の挫折を含めた複雑な生い立ちなどのためか、結果として、心理学で「空想虚言症」「誇大自己症候群」と呼ばれる「精神病理」「人格障害」を抱えるに至った。さらに、その後の仙道・ヨーガ等の修行の影響もあって、自らが世界を統治する宗教的な王・救世主になるという「誇大妄想」と、その実現を妨害するように見えた人々・国家・社会に対する「被害妄想」を抱くようになった。

  こうして、いわゆる「魔境」の心理状態に陥り、一連のオウム事件を引き起こしたのであった。戦後史上最大の凶悪犯罪となった地下鉄サリン事件を含むオウム事件は、数千人に及ぶ死傷者をもたらし、取り返しのつかない多大な被害を多くの無実の人々に及ぼした。

  よって、その首謀者であり人格障害者であった麻原を個人崇拝することや、殺人などの犯罪を肯定したりする麻原・オウム真理教の教義を信じることは、全くの誤りであることをあらためて確認し、今後は決してその実践を繰り返さないことをここに誓う。さらに、その証として、オウム事件の被害者・遺族の方々に賠償を行い、今もまだ麻原に帰依するアレフ信者をオウム信仰から脱却させ、新たにオウム信仰に陥る人々が出てこないように努めることが、オウム真理教に関わった私たちの責務であると信じる。

   私たちは、本来、物質主義・消費主義・金銭主義を超えた精神的な道の探究を通じて人々の苦しみをやわらげ、解決することで世の中に奉仕するという志を抱いて、この道に入ったはずである。この本来の志に立ち返り、事件を引き起こした過去の私たちの宗教的・思想的な過ちを次のように反省し、二度とそのような問題を起こさないことを決意し、新しい道を歩んでいくことに努める。

 

(1)人を神として盲信した過ち

   一人の人間である当時の教祖を「神=キリスト」と見て、絶対化し、絶対善として、弟子たる自分は、それに絶対的に服従すべきものと考えた。

(2)架空の終末予言、善悪二元論の世界観を盲信した過ち

   終末予言に基づいて、当時の教祖や教団を神の軍勢とし、外部社会については教団を弾圧する悪魔の軍勢と位置づけるという、誇大妄想と被害妄想を含んだ、神と悪魔の戦いという善悪二元論的な世界観に陥った。そして、自己が盲信する理想社会のために暴力手段を含めたあらゆる手段をも用いる、極めて傲慢な実践をなし、同時に、自ら起こした事件を隠蔽して、教団が弾圧されているという被害妄想的な主張をも繰り返した。

(3)仏教・密教の誤った解釈・実践をした過ち

   この過程の中で、本来は、仏教・密教の方便・手段にすぎないと解釈すべき法則(グルを絶対と見る法則)を絶対化したり、文字通りに解釈すべきではない法則(五仏の法則)を文字通りに解釈したりするなどし、仏教・密教のバランスのとれた健全な実践を損ねてしまった。

(4)この過ちの宗教的な責任の一端は、私たちにもあること

   この結果、オウム真理教は誤った方向に暴走し、教団は武装化し、一連の重大な犯罪を犯した。
その要因の一つは、当時の教団が教祖を「絶対神の化身」とし、信者を「絶対神の化身の弟子」と位置づけたことにあるが、私たちの多くが当時はそのような教団教義を受け入れていたからである。

(5)一般社会に対して

   オウム事件のご遺族・被害者の方々に対しては、オウム真理教犯罪被害者支援機構を通じて、全力で金銭的賠償に努めるとともに、謝罪の意を伝えていく。
   私たちは、上記のように、かつての過ちに対する反省に基づき、新たな道を歩み出す決意である。しかし、かつての私たち自身の悪行により、一般社会は私たちに対して不安感・不信感を有している。
   そこで私たちは、こうした不安感・不信感を払拭するために、一般社会との対話、交流、施設公開等に努める。

                                                                                       以 上

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  • ■ひかりの輪とは

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  • ■オウムの脱却・払拭――「脱麻原」「反麻原」の改革

  • ■よくある質問や誤解について

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