基本用語 ア行・カ行

 

【ア行】

●アーサナ

アーサナはヨーガの中の身体技法。柔軟体操と似ているが、大きく違う点は呼吸と動作を合わせて行う点である。弛緩と緊張のバランスをとり、動作と呼吸をコントロールすることで、神経・ホルモン分泌・免疫系の働きが正常化し、身体の調和を取り戻し、各機能が整えられ、健康・美容にも良いとされる。

 



●アートマン



インド哲学においては、真実の自己をアートマンと言い、これは、永久不変の存在とされる。このアートマンは個人の本体であり、宇宙の根本原理であるブラフマンと究極的には一体であると説かれる。一方、仏教では永久不変のアートマンという存在は認めておらず、それを無我という。



 



●一元論(いちげんろん)



世界の諸現象をただ一つの原理から把握しようというもの。それに対して、2つないし複数の原理で把握しようというものを二元論・多元論という。



 



●宇宙意識(うちゅういしき)



一部のヨーガ修行者が用いる言葉で、意識が宇宙大に拡大した状態であるとされる。私たちの心は、通常は、肉体などの自我にとらわれているが、その本質は、広大で無辺である。煩悩を静め、慈愛の実践をし、ヨーガ修行で肉体から離脱するサマディに入ることで、宇宙意識を体験することができるという。仏教においても、似たような高次元の意識状態を規定している。



 



●縁起(えんぎ)



「因縁生起」(いんねんしょうき)の略。縁起は「縁って起こる」こと。因縁については、双方を区別せず、原因・条件を意味する時代もあったが、後に「因」は直接原因、「縁」は間接原因・条件を意味するようになった。



よって、縁起ないし因縁生起とは、一切の事物・現象は、直接ないし間接の原因条件によって生じているにすぎないという意味となる。すなわち、何ものも、それ自体で他と独立して生じ、存在することはなく、他と関わりあって生じ滅しているということである。



そのもの自体で独立して存在しておらず、さまざまな原因・条件によっているため、その原因・条件が生じる前は存在せず、その原因・条件が滅すれば、また滅することになり、一切の現象は無常であるという結論が導きだされる。



言い換えれば、縁起の意味は、すべての現象は、他との関係の中で生起しているということであり、仏典の言葉では、「此(これ)があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す」と説かれる。「此」と「彼」とが、お互いに相互依存しているのであり、それぞれ、それ単独で個別に存在するものではないことを説いているのである。



特に大乗仏教では、縁起と連動して無自性、そして空という概念が強調され、すべての事物・現象は縁起しており、無自性であり空であると説く。



無自性とは自性がないという意味で、自性とは、縁起とは逆に、そのものだけで独立・孤立して存在する実体である。すなわち、無自性とは、そのものだけで独立して存在する実体がないという意味になる。空とは、サンスクリット語でシューニヤで、仏教用語としては、固定した実体がない、実体性を欠いていることを意味する。



この大乗仏教における、縁起の法に基づく空の思想は、ナーガールジュナなどによって確立されたといわれる。



さて、縁起の法には、チベット仏教ゲールク派などによれば、三つのレベルがある。まず、第一のレベルは十二縁起の法と呼ばれるものである。これは人間が苦しみの生存にいたる原因・条件について、十二の段階に分けて分析したものである。



第二のレベルの縁起の法は、全体と部分という概念について、全体が部分に、部分が全体に依存して(互いを条件として)存在しているという教えである。第三のレベルの縁起の法は、すべての認識の対象となる事物が、言葉による概念化に依存して(条件として)生じているというものである。



 



 



【カ行】



 



●神



  神という場合は、ヒンドゥー教が説くような絶対神・最高神といった神と、仏教が説くように、それより低位だが、人間より上位の存在としての神がある。後者の方には、人々に害をもたらす悪神、魔神も含まれる。



日本では、神道と仏教が融合する神仏習合の文化の中で、仏と神が一体化していき、いわゆる神仏という言葉が生まれるにいたった。大乗仏教においては、ヒンドゥー教の神々を取り入れて、仏の下に位置づけたり、仏と一体と位置づけた。チベット仏教の守護神なども、この一例ということができる。



 



●カルマ、カルマの法則(=因果の法則)



「カルマ」は、「業」と訳される。原語のサンスクリット語は、カルマンで、その基本的な意味は、なすこと、なすもの、なす力などで、作用、行為、祭祀を表す言葉としてインド思想一般で広く用いられた。



その中で、輪廻転生の思想と結びついて、輪廻転生をもたらす一種の力として、ある行為の結果として生じて働く、潜在的な行為の余力を示す言葉になった。なお、釈迦牟尼は輪廻を絶対視しなかったと言われるが、その後にできた大乗仏教は、ヒンドゥー教の思想も影響も受けて、輪廻が中心教義の一つとなった。業は身体にかかわる行為を身業、言葉に関わる業を口業、意識に関わる業を意業といって、これを三業という。



より具体的に説明すると、私たちは生きているかぎり、心を動かし、言葉を話し、身においてさまざまな動きをしているが、これらの心の行為・口の行為・身の行為はそれが為されたら終わりではなくて、私たちの深い意識にその残存、形跡(痕跡)を残す。



そして、その形跡はある条件が成立すると現象として現われる潜在的な形成力を有している。この形跡を種(「原因」)と考えると、種が発芽するためには、土や水、光という「条件」が必要であるが、そういった条件が整ったときに芽(「現象」)が生じる。



こうして、自分に起きる現象というものは、自分がかつて為した行為の残存物が現象化したものだということになる。そして、善き残存は善きこと、幸福・喜びを産みだし、悪しき残存は悪しきこと、不幸・苦しみを生みだす。



これが、「カルマの法則」といわれるもので、これに従えば、自分が過去に為した行為の結果が、現在から未来において自分に返ってくるということになる。自分が為したことはすべて、将来において何らかの結果を生み出す原因となるということである。そして、この業は、輪廻転生の要因にもなり、業に応じて転生する世界が決まるとされる。



なお、カルマの法則は、因果(いんが)の法則ともいわれる。因果とは原因と結果のことで、結果を生みだすものを因といい、その因によって生じたものが果である。よってすべての現象は原因があって結果があるというのが因果の法則である。



特に善い行為(善因)には善い結果としての報い(善果)、悪い行為(悪因)には悪い結果としての報い(悪果)が、因果の法則によって生じることを因果応報といい、そのため、自分が過去になした行為の業の結果を自分自身が未来に経験することを自業自得という。



なお、この思想は仏教独自のものではなく、仏教以前に紀元前8世紀ごろ、既にインドに定着しており、それを仏教が取り入れたものである。



 



●カルマ・ヨーガ



すべての人を神の現れと見て奉仕するヨーガにおける実践。



 



●観音菩薩(かんのんぼさつ)



慈悲や智慧を象徴し、衆生済度を志す菩薩とされ、古くから日本でも広く信仰されてきた。「阿弥陀如来」の化身・弟子として知られるとともに「観音菩薩」独自でも広く信仰されている。観音菩薩は「観世音菩薩」、ないし「観自在菩薩」などともいわれる。



いろいろな姿形があり、33の化身を持ち、さまざまな姿・方法で救済を行うといわれている。仏像などで有名である、十一面観音、千手観音などは、多くの顔や手を持つことで、多くの人をもれなく救おうという意思を現わしているとされる。最もオーソドックスな原型は、聖観音菩薩像とされる。また、如意輪観音、不空羂索観音など、他にもさまざまな形の観音菩薩の仏像がある。釈迦が悟る前の王子時代を象徴するものともいわれ、そのため、釈迦と一体と解釈する場合もある。



●帰依(きえ)



仏教用語としての帰依は、三宝とされる仏・法・僧に対して信奉することをいう。



 



●空(くう)中観派の項を参照



 



●功徳(くどく)



善を実践することによってその人に備わった徳性のこと。具体的に何が善であるかを一言で表現するのは難しいが、仏教においては、悟りを妨げる根本的な三つの煩悩として、貪欲(貪り)、瞋恚(怒り)、愚痴(無智)を規定し、それを三毒と呼び、三不善(根)と規定しており、それを滅することを三善(根)という。



大乗仏教では、六波羅蜜といわれる修行体系において、布施、持戒、忍辱、精進といった功徳を積むプロセスがある。また一般に仏陀、菩薩、神々などに対する供養も功徳になるとされる。



功徳は、それを積むことによって解脱へ進むと考えられており、すなわち悟り・解脱にいたるための条件である。そして、仏は無量の功徳を備えているとされる。また、幸福・幸運も、仏教的には偶然ではなく、その人の功徳によって必然的に生じたものだと解釈される。



 



●供養(くよう)



サンスクリット語の原語はプジャで、尊敬を持ってねんごろにもてなすことが原意で、宗教的偉人などに敬意を持って供儀や供物を捧げることをいう。



仏教では、仏・法・僧の三宝に対する供養がよく説かれ、父母・師長・亡者に対する供養もある。捧げるものは多種多様であるが、香、華、灯明、飲食物、資財などがある。



 



●クンダリニー



ヨーガが説く霊的なエネルギーのこと。通常は人の尾?骨付近のチャクラに眠っているが、ヨーガ等の実践で活性化し、身体の中を上昇し、最終的には頭頂に至るとされる。ヨーガでは、クンダリニーの上昇にともない、チャクラが開かれるとされる。また、性エネルギーを昇華させたものがクンダリニーのエネルギーとなるため、梵行(性的な事柄を避ける)修行が必要とされる。



このクンダリニーヨーガを実践する場合は、適切な指導を受けずに、不適切なやり方をすると、心身を痛めたる可能性がある。また、これによって、神秘体験をしたり、超能力が身についたかのような体験をすることがあるが、そのために慢心を抱くと、魔境、誇大妄想に陥り、真の悟りへの道を逸脱するとされる。



 



●原始仏教(げんしぶっきょう)



釈迦が生きていた時代を含み、釈迦の死後およそ100年から200年までの間の最初期の仏教をいう。最近は初期仏教とも言われる。主な教えは一番初めに説かれた四諦・八正道や縁起、五蘊の無常・苦・無我(非我)の説など。



 



●五蘊(ごうん)



蘊は、サンスクリットの原語はスカンダで、集まりが原意。五蘊とは人間の肉体や精神を五つの集まりに分けて示したものであり、色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)という5つである。



仏教では、この五蘊が仮に集合されたものが人間であるとして、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)と説く。これによって人間という存在に実体がないこと(=無我)を現わした。



五蘊のうち「色蘊」は、初めは人間の肉体を意味したが、後には、すべての物質も含んでいわれるようになった。受以降は、すべて精神的な要素であるが、受は、感受作用、想は、表象作用(いわゆるイメージ)、行は、意思作用、識は、認識作用などと説明される。ただし、特に行・識にはさまざまな解釈があるので注意されたい。



 



 


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