基本用語 サ行



【サ行】



 



●サマディ



瞑想などにより煩悩を止滅していくと、サマディと呼ばれる超越的な瞑想状態に入るという。



サマディには段階や種類があるが、その中には仮死状態に近く、肉体の機能が停止するものがあり、呼吸は停止し心臓の鼓動もほとんど止まるといわれる。



精神的には生命愛著も超えた状態であるとされ、呼吸や心臓の鼓動といった普段は無意識に行っており制御できない行為も、深い部分の意識・煩悩に起因しているという証明ともされる。



サマディの中で無分別サマディと呼ばれるものは「見るもの」と「見られるもの」、つまり主体と客体の区別はなくなり、主客未分の直感的な意識状態になるものもあるという。





●三グナ



ヨーガで説かれる心を構成する三つの要素であり、ラジャス・タマス・サットヴァという。ラジャスは、情熱、活動、動性を表し、タマスは不活発、鈍さ、暗性を表し、サットヴァは純粋、光、喜び、善性を表す。心の3つの性質であり、常に誰にでも存在しているという。



この3つの要素のどれが一番強く現われるかによって、その人の心の傾向が決まる面があり、心の発する波動は3つのグナから発生し、三グナのバランスが重要であるとされる。



[ラジャス]ラジャスは、情熱、活動、動性を表す。このラジャスの要素が多くなると、落ち



着きの無さ、イライラ、せっかち、焦り、怒りっぽさ、せかせかする傾向が強くなるという。なお、ピンガラ気道(右気道)に、エネルギーが優位になると、ラジャス傾向になるという。



[タマス]タマスは、不活発、鈍さ、暗性を表す。このタマスの要素が増えると、物事を遅ら



せる、怠惰、曖昧、愚鈍、遅い、鈍い、うつ状態などになるという。また、イダー気道(左気道)にエネルギーが優位な時は、タマス優位になるという。



[サットヴァ]サットヴァは、純粋、光、喜び、善性を現わす。サットヴァの心は、常に静寂



で確固としており、喜びは内面にある。また、人が、サットヴァ優位なときは、その行動の特質として、はっきりしており、すみやかで勤勉であり、落ち着きがあり、動作が機敏というものがあげられるという。中央気道であるスシュムナー気道にエネルギーが入るとサットヴァになるとされる。



 



 



●三苦(さんく)



苦苦(くく)、壊苦(えく)、行苦(ぎょうく)をさす。



苦苦は、直接的な苦しみであり、肉体的な苦(身苦)と精神的な苦しみ(心苦、憂)に分けられることもある。



壊苦は、直接的な苦(苦苦)ではなく、楽が壊れるときの苦であり、行苦は、一切の存在が無常であり、生滅変化を免れないことによる苦である(行の原語のサンスカーラには移り変わること、という意味がある)。



三苦はすべては苦である(一切皆苦)ことを示している。直接的な苦だけが苦なのではなく、楽であるものも必ず壊れて苦になり、また不苦不楽(苦でも楽でもない)の状態も、無常に移り変わるので苦しみに帰結する。



本質的には、苦苦も壊苦も、無常を根本として起こる苦であるから、行苦を根本として起こってくるといえるし、また行苦とは、人間生存が無常であるという事実の中に感ずる苦であるから、生存苦、すなわち生きること自身が苦であることを示したものということもできる。



 



●三身(さんじん)



大乗仏教で説かれる、仏陀の三つの身体で、法身〔ほっしん〕・報身〔ほうじん〕・応身〔おうじん〕のこと。



この身体の解釈には,さまざまなものがあるが、一般に法身はサンスクリットの原語はダルマカーヤであり、永遠不変の真理、絶対的真理そのものを意味し、永遠不滅であり、人格性をもたないものとされる。詳しくは法身の項を参照のこと。



また、応身は、原語はニルマナカーヤであり、さまざまな衆生の救済のために、それらに応じて、この世に現われる仏陀の身体であり、人格性を持つが、同時に無常なものである。応身は別に変化身と呼ばれる場合もある。



そして報身は仏陀となるための因としての行を積み、その報いとしての完全な功徳を備えた仏陀の身体とされる。一説では法身と応身の両者を統合した身体とも位置づけられる。



チベット仏教などでは、法身は人の心が完全に浄化されたものであり、報身は、言葉が浄化されたものであり、応身は身体が完全に浄化されたものなどと説かれている。



 



●三世(さんぜ)



過去・現在・未来のこと。



 



●三宝(さんぼう)



三宝とはサンスクリット原語ではブッダ・ダルマ・サンガであり、仏、法、僧と訳される。



ブッダ(仏陀)の原意は、目覚めた人であり、古くは、優れた修行者や聖者に対する呼称であったが、仏教で多く用いられ、釈迦を尊んで呼ぶ言葉となった。その後、大乗仏教において、釈迦に加えて多くのブッダを規定するが、さらには華厳経などのように、大宇宙そのものを仏の現われと見るといった教義も展開された。



ダルマ(法)は、仏陀の説いた教えであり、それを一言でいうことは不可能であるが、釈迦の説いた中核の教えとしては縁起の法などがあり、さらに仏教の教えの特徴を表すものとして三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)などがある。



サンガ(僧、僧伽)は、原意は集い、群れ、団体、組織などであり、仏教においては、仏教の教団(仏陀の教えを奉じる集団)のことを意味する。僧が滅すれば、この世においては仏教も滅びるのであり、その意味で極めて重要である。



サンガは狭義には出家僧のことであるが、大乗の教団では、在家・出家の区別が不明瞭となる。悟った聖者の集団を聖者僧といい、これが三宝における僧であるという見解もある。一方、一般の僧を世俗僧・凡夫僧ともいう。



なお、大乗仏教においては、三宝はすべて真如から生じた一体のものとの見方があり、それを一体三宝という。チベット仏教においては、仏陀=心、ダルマ=言葉、僧=出家教団=身体と見る考えもある。住持三宝と呼ばれるのは仏像、経典、出家の僧のことである。



 



●三法印(さんぼういん)



仏教の教えの特徴をあらわす三つのしるし。「諸行無常(しょぎょうむじょう)」「諸法無我(しょほうむが)」「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」の三つ。



まず「諸行無常」とは、すべての物事は常に変化しつづけているという事実を表している。



次に「諸法無我」とは、すべての事物は永久不変の本質を有しないという意味である。逆にいえば、すべてのものはそのもの自体で独立して存在するのではなく、直接的・間接的にさまざまな原因(=因縁)が働くことによって生じているにすぎず(これを縁起の法という)、それらの原因が失われれば直ちに滅し無常であり、そこには何ら実体的なものはない(これを諸行無常ともいう)。



なお、ここにおける法とは教えという意味ではなく、事物とか認識の対象といった意味であり、これは原語のダルマが多義語であり、主に教えという意味と事物という二つの意味があるからであるが、注意を要する。また、ここにおける我の原語はアートマンであり、これはインド哲学思想において、常住=永久不変の本質といった意味を持つ。



最後に「涅槃寂静」とは、迷妄の消えた悟りの境地は静かな安らぎの状態であるということ。



これに「一切皆苦(いっさいかいく)」を加えて四法印とすることもある。



 



●持戒(じかい)



仏教に帰依する者が守るべき戒を保持して守ること。一般に、戒律の保持(持戒)は仏教修行の基礎とされ、仏教の基本的な修行の項目である戒・定・慧(三学)の第一に数えられ、また大乗仏教における六つの実践課題である六波羅蜜の修行では、その第二が持戒波羅蜜(持戒の完成)である。戒にはさまざまな種類があるが、大乗仏教の主たる戒律としては、十善戒というものがあり、具体的には、



①不殺生(生き物を殺さない)



②不偸盗(盗みをしない)



③不邪淫(邪淫をしない)



④不妄語(嘘をつかない)



⑤不綺語(必要のないおしゃべりをしない)



⑥不悪口(悪口をいわない)



⑦不両舌(人を仲たがいさせることを言わない)



⑧無貪〈または不慳貪〉(貪らない)



⑨無瞋〈または不瞋恚〉(怒らない)



⑩無痴〈または不邪見〉(痴=無智を持たない)



となっている。



なお不邪淫は出家と在家において異なり、出家者に対しては原則として、いかなる性行為も禁止される一方で、在家においては他人の夫や妻と交わるなど、邪な性行為が否定される。



なお戒律は、身・口・意の三つの側面から分類され、上記の①から③までを身体の戒律、④から⑦までを言葉・口の戒律、⑧~⑩が意識の戒律ということになる。



 



●自我執着(じがしゅうちゃく)



自分に対する執着。仏教的な教義においては、人は本来は実体のない自己に対して強くとらわれるがゆえに苦しんでいると説き、この自我に対する執着を超えることが重要な修行になる。



 



●色界(しきかい)



色は、サンスクリット原語は、ルーパであり、色〔いろ〕・形のあるもののことで、物質的存在の総称をも意味する。



そして、色界とは、欲望は超越したが、色、すなわち物質的な条件にとらわれた生物が住んでいるとされる世界のことであり、より詳しくは、精妙な物質でできた、色・形のある世界であり、色界に住む天人は、食欲と性欲を断じ、男女の区別がなく、光明を食するともいう。



 



●四苦八苦(しくはっく)



根本的な苦しみを生(生まれること)・老(老いること)・病(病むこと)・死(死ぬこと)の四苦とする。



この四苦に加え、怨憎会苦(おんぞうえく、憎んでいる対象に出会う苦しみ)、愛別離苦(あいべつりく、愛するものと別れなければならない苦しみ)求不得苦(ぐふとくく、欲しいものが得られない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく、とらわれの五つの集まりを持つことは苦しみ)の四つを加えて八苦という。



なお、四苦で、生まれることを苦とするのは、人生が苦しみであるといった意味だけでなく、出産の際の胎児の苦しみそのものを意味すると考えることができる。



 



●四諦(したい)



四諦とは、[苦諦]・[集諦]・[滅諦]・[道諦]という四つの真理のことである。釈迦が悟りをひらいた後、最初の説法(初転法輪)において説いたとされる仏教の根本教説であり、初期仏教の中心的教えのひとつである。



[苦諦]とは、この迷いの生存は苦であるという真理である。具体的な苦の内容としては、生



老病死をはじめとする、いわゆる四苦八苦などが挙げられる。



[集諦]とは、苦が生起する原因についての真理で、それは、欲望、執着、渇愛に苦の因があ



ると説くものである。



[滅諦]とは、苦の止滅についての真理で、それは、欲望のなくなった状態が、苦が滅した理



想の境地であると説くものである。



[道諦]とは、苦の止滅に至る道(方法)についての真理であり、それは、八つの正しい修行



方法(八正道)であると説くものである。



 



 



●四念処(しねんじょ)



①身体、②感覚、③心、④諸々の事物の四つについて、正しく観察し、それらに対する執着を滅する瞑想修行である。



①身体が、清浄(浄)であり、②感覚(受)は楽をもたらし、③心は常(不変)であり、④諸々の事物に永久不変の本質(我)がある、という四つの間違った考え(四顛倒)を打破するためのもので、それぞれ、身念処、受念処、心念処、法念処と言う。



具体的には、



①身念処



観身不浄:身体の不浄性を観察する、



②受念処



観受是苦:受=感覚が苦しみであることを観察する、



③心念処



観心無常:心が無常であること観察する、



④法念処



観法無我:全ての事物には、永久不変の本質(我)はなく、そのものだけでは独立して存在してはおらず、様々な原因・条件によって生じているにすぎないことを観察する。



 



●四無量心(しむりょうしん)



[慈]・[悲]・[喜]・[捨]という四つの広大無辺な(利他の)心のこと。



[慈]とは、生けるものに楽を与える心。他の幸福を望む心。



[悲]とは、苦を取り除くこと。 他の苦しみを悲しみ、苦しみから抜け出すことを望む心。



[喜]とは、他をねたまないこと。他の幸福を(ともに)喜び賞賛する心。



[捨]とは、好き嫌いによって差別しないこと。自我のとらわれを捨て、他を平等に見る心。



 



●釈迦牟尼仏・シャカムニ



仏教の開祖、ゴータマ・シッダルータのこと。インドで悟りを開いて、その教えを布教した。釈迦牟尼とは、シャーキャ族出身の聖者という意味で、釈迦牟尼仏とは、釈迦族出身の聖者たる仏陀という意味である(牟尼とは聖者という意味)。なお、釈迦は、ゴータマ・シッダルータが属していた種族の名前で、サンスクリット語やパーリ語の原語は、シャカというより、サキャに近い。



インドとネパールの国境付近のカピラヴァストゥという小国の王子として生まれ、生病老死の四苦を感じて、(一説によれば)29歳のときに出家したとされ、悟りを開いた後に、80歳で入滅するまで、インド各地(ガンジス河中流域中心)を布教して歩いたとされる。



なお、釈尊は、日本・中国における釈迦牟尼仏の尊称であるが、おそらくは釈迦牟尼世尊の語を略したものであると思われる。



 



●精進(しょうじん)



精魂を込めて、ひたすら勤め励むこと。六波羅蜜の4つ目であり、出家した者がひたすら宗教生活を一途に生きることである。その後、肉食をしない生活をする意味も持つようになった(精進料理)。



 



●十二縁起(じゅうにえんぎ)



人間の苦しみの原因・条件を順に分析したもので、12に分類して系列化したもの。仏教の基本的な教えの一つ。漢訳された仏教用語で表現すると、①無明、②行、③識、④名色、⑤六処、⑥触、⑦受、⑧愛、⑨取、⑩有、⑪生、⑫老死 の十二となる。



 



●修験道(しゅげんどう)



山を神として敬う古来日本の山岳信仰と神道、仏教、道教、陰陽道などが習合して確立した日本独特の宗教である。奈良時代に成立したとされる。開祖は役行者〔えんのぎょうじゃ/役小角 えんのおずぬ〕とされる。平安時代ごろから盛んに信仰されるようになった。



 



●衆生(しゅじょう)



すべての生きとし生けるもの、一切の生き物。



 



●ジュニアーナ・ヨーガ



哲学的なヨーガ、思索のヨーガといわれる。



 



●神仏習合



日本本来の神信仰(神道)が、新たに伝来した仏教と接触することによって生じた、思想・儀礼・習俗面などでの融合現象のこと。神社に付設して寺が建てられたり、仏像をご神体にしたりした。中でも、神とは、仏・菩薩が仮の姿をとって、この世に出現したものであるとする本地垂迹説(ほんじすいじゃく)という教えがあり、たとえば、天照大神(あまてらすおおみかみ)の本地仏は、十一面観音あるいは大日如来などとされた。



 



●神仏分離



明治新政府がとった、神道と仏教を分離する政策。神道の国教化と神孫としての天皇の権威確立のため1868年に下された。それによって、神社に付属する寺の僧が還俗させられたり、仏像をご神体とすることの禁止などが行われた。



この神仏分離令は、廃仏毀釈(仏教・釈迦を廃する)の嵐を巻き起こし、多数の文化財が破壊され、膨大な廃寺が生じた。神仏分離の結果として、神道と仏教とは異なる宗教であるという観念が定着することになった。



 



●禅定(ぜんじょう)



サンスクリット語のディアーナの音写である「禅」と、サマディの漢訳語「定」の複合語であり、心静かに心を統一して瞑想し、真理を観察すること。またそれによって心身ともに動揺することがなくなり、安定した状態。大乗仏教で菩薩が修習すべき実践徳目である六波羅蜜の第五に配される(禅定波羅蜜)。



 



 



 



 



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