基本用語 タ行・ナ行



【タ行】



 



●大乗仏教(だいじょうぶっきょう)



大乗仏教とは、仏教史の研究においては、西暦紀元前後からインドに興った仏教の革新運動と位置づけられる。



ゴータマ・ブッダ(釈尊)の入滅後まもなく、出家教団は、多くの学派に分れたため、部派仏教の時代と呼ばれているが、出家の仏教者たちは、遍歴をやめ、僧院に定住し、王族や豪商たちの経済的援助のもとに学問と瞑想に専心し、僧院に住む声聞(しょうもん、仏弟子の意)と、1人で山野に修行する独覚(縁覚ともいう)があったが、ともに阿羅漢という聖者になることを最高の理想としていた。



これに対し、仏教の革新運動の信者たちは、仏陀となることを理想とし、自らを菩薩(ボーディサットヴァ=仏陀のさとりを求める有情〔うじょう〕)と呼んた。そして、紀元後1世紀に成立した八千頌般若経の中で、みずからを大乗と称し、従来の部派仏教を小乗とおとしめて呼んだ。



小乗仏教と大乗仏教の違いは、小乗が自利にのみ走り一般の在家信者を顧みない傾向が強かったのに対し、大乗仏教の菩薩たちは、みずからが仏陀となることとともに、あるいはそれ以上に、あらゆる人々を悟らせ救済しようとする慈悲を強調したことで、そのために大乗という。



また、小乗教徒は、遠い未来に弥勒が成仏するまでの間は仏陀は存在しないと考えていたが、大乗教徒は、現在にも十方の世界に無数の仏陀が存在することを信じ、様々な仏陀の信仰を生み出したことも、教義の大きな違いになった。また、ヒンドゥー教やゾロアスター教の有神論の影響をも受け、他教の神々を自らの教義の中に取り込んだ。



さらに、独創的な空の思想をも展開し、紀元後1世紀以降に、般若経・維摩経・法華経・華厳経・無量寿経等といった大乗経典が編集された(第1期ないし初期大乗経典)。



3世紀には、ナーガールジュナが、『中論』等を著して、空の思想体系化に努め、4世紀には、勝鬘経・涅槃経など、如来蔵を説いた経典、および解深密教・大乗阿毘達磨経の阿頼耶識〔あらやしき〕を説いた経典が編集された(第2期ないし中期大乗経典)。



5世紀には無着・世親によって瑜伽行派が生まれ、中観派と対立したが、経典としては、如来蔵と阿頼耶識との統合をはかった楞伽経や大乗密厳経が編集された(第3期ないし後期大乗経典)。



6世紀ごろからは、密教化が進んだ。7世紀には、大日経・金剛頂経などが作られ、金剛乗が成立したが、金剛乗は、自らを大乗と区別する意識をも持っていたので、小乗、大乗、金剛乗と三つの仏教を分けて呼ぶ傾向もある。



一部繰り返しになるが、大乗仏教の教理は、仏教の中で、自身の悟りを求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物を救いたいという心(菩提心)を発こすことを条件とし、この利他行の精神として、仏になる修行=菩薩行を実践することを最重視する考えに基づいた教えであり、自分一人だけでなく、多くの人を乗せて彼岸(悟り)に渡る船という意味で大乗と称する。



また、一切のものは、常に変化し、相互依存して、固定的実体がない(他からの影響なくそれ単独で存在するものはない)という空の思想が、大乗仏教の中心思想であり、これについては、ナーガールジュナが理論的に大成したといわれる。





●智慧(ちえ)



サンスクリット語の原語は定まらないが、その一つはプラジュニャーであり、これは、仏教の真理を洞察する強靱な認識の力を意味する。事物・現象の真理・実態をありのままに正しく認識する力であるから、例えば、縁起、空、無常、無我といった教えを理解し、体得していることと言いかえることもできるだろう。



大乗仏教の六つの実践徳目である六波羅蜜においては、その最後、6番目に数えられ、その前の5つの実践は全て、この智慧の完成のためであるともされる。



通常人は、無智に覆われ、智慧が完成していないことから、事物・現象をありのままに見ることができない。そのため、万物は変化し、固定した実体を持たず、相互に依存し合い、独立した実体はないところ、そのように見ることができず、苦しんでいるが、智慧の完成によって、この苦しみを越えることができる。



 



●チベット仏教



仏教がインドからチベットに伝わる中で生まれた仏教の教えで、さまざまな宗派がある。その最大宗派であるゲールク派の長は、ダライ・ラマ法王と称し、同時に政治的にもチベット民族の最高指導者である。



チベット仏教は、インドでは事実上滅びた仏教について、とりわけその後期の大乗仏教を最も純粋に継承するという主張もあるが、法王サイドの見解においても、チベット仏教はチベットのオリジナル仏教とも言うことができるような独特の教義体系を形成している面もある。



さまざまな宗派・修行体系があるので一概には説明できないが、大乗仏教的な精神に則って、菩提心(他者を利するために悟りを求める心)と智慧(空性を理解する智慧)を獲得することを重要な柱としていると言うことはできると思われる。



その中では、さまざまな経典の教えを整理して、仏教全体の教えを順を追って説いた「道次第(ラムリム)」の教えや、菩薩としての生を説く「心の修行(ロジョン)」なども説かれている。また、基本的には、その教義は、ナーガールジュナの中観を中心にしている、という解釈もある。宗派は、ゲールク派に加えて、カギュ派、ニンマ派、サキャ派などがある。



 



●チャクラ



サンスクリット語の原意は、車輪を意味する。それから転じて、ヨーガにおいて、ナーディの寄り集まったエネルギー・センターのことを意味する。蓮の花のような花弁で象徴的に表されることもある。



主要なチャクラは以下の通り7つあって、人体の各神経叢やホルモン分泌器官と関係しており、チャクラに働きかければ、ホルモン活動のバランスが保たれるという。さらに、チャクラが浄化され、開くと、さまざまな能力が開発されるともいう。



 



1.サハスラーラ・チャクラ



頭頂に位置するチャクラ。色は紫色で解脱の門といわれる。



 



2.アージュニャー・チャクラ



眉間に位置するチャクラで、色は藍色、脳の下部にある脳下垂体につながっており、脳下垂体は多くの体内ホルモンの活動に指示を与えるとされる。このチャクラを開発するとインスピレーションが働くようになり、現実世界での成功が得られるともされる。なお、チャクラについては、別項を参照のこと。



 



3.ヴィシュッダ・チャクラ



位置はのど、色は青色。言葉・声・音と関係し、ホルモンでは甲状腺に関係しているとされる。また、権力・地位と関連しているとされる。



 



4.アナハタ・チャクラ



胸の中央に位置するチャクラで、色は緑色で、呼吸と関連し、胸腺とつながっているとされ、胸腺は免疫系の機能に不可欠な細胞を作り出すとされる。名誉、高貴さ、プライドと関連しているとされる。チャクラについては別項を参照。



 



5.マニプーラ・チャクラ



位置はほぼヘソのあたりで、太陽神経叢に関係し、色は黄色とされる。また、浄化することで、学問などの才能が開花するという。



 



6.スワディスターナ・チャクラ



位置は性器の付け根あたり。色はオレンジ。水の元素で体液と関連し、性ホルモンを分泌する卵巣・精巣とつながっており、情緒・詩情と関係しているとされる。また、このチャクラを浄化することによって、禁欲修行をするのに大きな助けとなり、性欲を超えられるともされる。



 



7.ムーラダーラ・チャクラ



人体の一番下部にあるチャクラで、尾?骨の位置にある。色は赤。地の元素で、筋肉・骨などと関係があり、副腎とつながっていているとされる。このチャクラを強化すれば、疲労回復および健康体を得ることができるともいう。



 



 



●中観派(ちゅうがんは)



ナーガールジュナが説いた空の思想を基とする大乗仏教の一学派である。すべてのものは、原因と条件によって生起しており(縁起)、何の因も縁もなくそれ独自で生じることはなく(無自性)、固定した実体はない(空)と説く。



 



●中道(ちゅうどう)



釈迦牟尼は出家前は、王子として豪奢で安楽な生活をし、出家後は厳しい苦行の生活を送ったが、悟りは得られず、苦と楽の両極端を捨て、心身を整え、禅定によって悟りを開いたとされる。中道とは、このように、両極端に偏らない、中庸を得た道のことを言い、中道の修行の指針として、八正道がある。さらに、これから転じて、修行における中道だけではなく、物事の捉え方、見方を含めて、さまざまな分野において使われるようになった。



 






【ナ行】



 



●ナーディ



ヨーガにおいて、体全体に張り巡らされているエネルギー(気)の通り道(管)のことを言う。中国・仙道が説く経絡と同じものと考えてよいと思われる。



さまざまな解釈があるが、ナーディ(管)の中でも代表的なものは、3つあり、具体的には、



①動的で男性的な性質のピンガラー管、②静的で女性的性質のイダー管、③身体の中央を貫いており、調和をもたらすスシュムナー管の三つである。



この三管は、三グナに対応していると思われ、具体的には、ピンガラーがラジャス、イダーがタマス、スシュムナーがサットヴァに対応する。



通常、ナーディは、煩悩的な心の働きによって詰まりが生じており、エネルギーの流れが滞っている。しかし、修行によって、その詰まりを取り除いて、エネルギーの通りをよくすると、心身は軽快になる。そして、最終的には、中央の管をエネルギーが上昇して、頭頂まで抜けることによって、解脱に至るとされる。



 



●二元論(にげんろん)



世界の諸現象を二つの原理から把握しようとするもの。一方、ただ一つの原理から把握しようというものを一元論と言い、また、二元論を含めて、複数の原理から想定するものを多元論と言う。



二元論にはさまざまな種類があり、存在論的二元論としては、精神と物質を別のものと区別するもの、価値論的な二元論は、善と悪を区別するもの、また、認識論的二元論としては、主観と客観を区別するものなどがある。



現代社会に広がる近代哲学思想・科学思想は、精神と物質、人間と世界を別のものだと区別する傾向が強いが、仏教では、その相互に関連性がある(縁起の法)とする一元論的な立場を取る。



ただし、仏教の中でも、小乗仏教と大乗仏教では、大乗仏教の方が一元論的な傾向が強く、その中では、小乗仏教が区別している、煩悩と菩提心、仏陀と凡夫、輪廻の世界と仏陀の浄土が、本質的には一体である(不二である)という教えまで展開された(煩悩即菩提、凡夫即仏など)。



また、バラモン教、ヒンドゥー教に関連するインド哲学においては、サーンキャ二元論と呼ばれる哲学があり、それは、全ての現象は、精神的原理の真我(プルシャ)と、物質的原理のプラクリティ(自性=三グナの源)の二つから生じていると説く(サーンキャ二元論)。しかし、インドの主流の哲学思想は、ヴェーダーンタの一元論であり、それは、全ては宇宙の根本原理であるブラフマンの展開したものとされる。



ヴェーダーンタの哲学は、この宇宙の全ては大日如来の現れであると説く一部の大乗・密教の思想とよく似ている面がある。



二元論的な世界観において、主要な区別の対象となるものは、自分と他人、精神と物質、人間と世界、主体(観察者)と客体(観察される対象)、善と悪、聖と邪(仏と凡夫、神と悪魔)、楽と苦などである。



 



●如来(にょらい)



サンスクリット原語はタターガタで、修行を完成した者の名称。仏教だけの用語ではなく、諸宗教で用いられたが、後にもっぱら釈迦牟尼の尊称となり、大乗仏教では諸仏の呼称ともなった。



なお、原語の意味は確定しておらず、おそらく仏教者の作った言葉ではなく、同時期の他宗派(ジャイナ教)の経典にも出てきてqいる。初期の仏典では、その言葉の意味が解説されていないが、タターが「如実に」、アーガタが「来た」という意味なので、如来と漢訳するようになった。



 



●如来蔵(にょらいぞう)



すべての衆生に具わっているとされる悟りの可能性。仏性に同じ。サンスクリット語は如来(=仏)と胎との複合語で、「一切の衆生は如来を胎に宿している」と経典にある。



 



●ニルヴァーナ



煩悩の火が吹き消された状態の安らぎ、悟りの境地をいう。三毒を止滅した状態。「すべての束縛から解脱することを涅槃という」と経典にある。涅槃と漢訳される。



 



●忍辱(にんにく)



六波羅蜜(別項)の第3項目である忍辱波羅蜜のことで、耐え忍ぶこと。菩薩の修行徳目である六波羅蜜の3つ目である。特に、他から誹謗・中傷、あらゆる侮辱や迫害に耐え忍んで怒りの心を起こさないこととされる。また、物質的な不足に耐える、誹謗中傷に耐える、仏教の法が説く驚くべき真実に耐えることとも解釈される



 



●涅槃(ねはん)→ ニルヴァーナの項参照



 






 



 



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