基本用語 ハ行



【ハ行】



 



●バクティ・ヨーガ



一般には、神々に対する信愛のヨーガと言われ、熱烈に神を信じることを言い、インドのヒンドゥー教において説かれている。なお、これから転じて、神々に対する供養や奉仕、神々の意思の実現を行なう、ということも意味する場合がある。





●八正道(はっしょうどう)



釈迦が最初の説法(初転法輪)で説いた、仏教の根本教理である四諦の教えの一部である。「四諦」の中には、苦を止滅する道の教え(道諦)が説かれたが、その具体的な実践項目として説かれたのが、八正道である。



①正見(正しい見解)



②正思(正しい思惟)



③正語(正しい言葉)



④正業(正しい行い)



⑤正命(正しい生活)



⑥正精進(正しい努力)



⑦正念(正しい思念)



⑧正定(正しい精神統一)



この八正道は、欲楽(左道)でもなく、苦行(右道)でもなく、この二つの極端を離れた中道の修行の具体的な実践方法としても、説かれる。



 



●布施(ふせ)



出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物その他を施し与えること。三つの布施(三施)という考え方があり、①金銭や衣食などの物資を与える(財施)、②仏の教えを説き与える(法施)、③他の怖れを取り除く、安心を与える(無畏施〔むいせ〕ないし安心施)である。



なお、大乗仏教では、菩薩が行うべき六つの実践徳目を六波羅蜜と言うが、その一番目のものであり、布施波羅蜜と呼ばれている。また、この財施、法施、無畏施(安心施)の三つは、仏教が説く三つの根本的な煩悩である、貪り(貪欲)、怒り(瞋恚)、無智(愚痴)を取り除くとも考えられる。



 



●仏陀・ブッダ



「悟りを開いた人」「目覚めた人」のことで、固有の存在をさす言葉ではないが、釈迦牟尼のことをさす場合もある。釈迦と同じ意識のレベルに達した者や存在を仏陀と呼ぶ。如来と同義語。阿弥陀如来、大日如来などはよく知られている。



 



●仏性(ぶっしょう)



サンスクリット語ではブッダ・ダーツで、衆生が本来有しているところの、仏陀となる可能性。如来蔵と同じ。あるいは、仏陀の種子、仏陀の性質。慈悲そのものの心性。大乗仏教においては、すべての魂には仏性が宿っているという思想がある。



 



●法界(ほっかい)



サンスクリット語ではダルマ・ダーツ。原意は、意識の対象、考えられるもの、存在するものの意(変化するものも、永久不変のもの双方を含む)だが、さらには、事物の根源、存在の基体という意味を表し、しばしば真理そのものと同じ意味だとされる。



この用語は、宗派によってさまざまな定義があり、日本仏教においては、華厳宗では、真理そのものの現れとして現実の世界を法界といい、真言宗では、全世界・全宇宙のことを法界という。



一方、チベット仏教などでは、法界は、仏陀の三身のうちの法身と結びついて用いられるが、その法身とは、真理そのものとしての仏陀の本体で、色も形もない真実そのものの身体であるとか、一切の思考、一切の現れを越えた、空性の心の状態、平安この上ない状態などと説明される。



 



●法身(ほっしん)



サンスクリット語ではダルマカーヤ。原語の意味は、真理(法)の身体、真理(法)を身体としているもの。



部派仏教の時代など初期には、仏陀の肉体に対して、仏陀の説いた正法や功徳を法身と呼んだとされるが、大乗仏教では絶対的な真理を法身というようになり、法身、報身、応身という仏陀の三身の一つとされ、真理そのものとしての仏陀の本体、色も形もない真実そのものを示し、それは永遠不滅であり、人格性をもたない。



 



●ブラフマン



古代インド哲学において、宇宙の究極的原理、根本原理とされるもので、ヴェーダ聖典に説かれている。



そして、インド哲学が説く解脱とは、この宇宙の根本原理のブラフマン(梵)と、個々の生命体の究極的な原理であるアートマン(我)との合一であり、両者が一体であることを悟ることであるとされる(梵我一如)。



このように、本来は人格神の名前ではなく、男性神でも女性神でもなく、中性の哲学的な原理であったが、その後、男性化されてブラフマー(梵天)となることもあったが、宇宙の根本原理のブラフマンと、神の一種としてのブラフマーは区別して考える必要がある。



 



●プラーナ



生命エネルギー、気。ヨーガ的な人間観では、私たちはこのプラーナによって生きているといわれるが、このプラーナを効率よく体内に取り入れる方法として、プラーナーヤーマ(調気法)という行法がある。



 



●プラーナーヤーマ



ヨーガ技法のひとつ。調気法と訳される。大気中にあるプラーナと呼ばれる気を効率よく取り入れ、整える技法であり、さまざまな種類の技法があるが、一般には、吸って、止めて、吐くという呼吸を一定の秒数で行うもので、わかりやすく呼吸法と呼ばれることもある。多くの種類があり、効果も少しずつ異なっている。



 



●法具(ほうぐ)



仏教の伝統的な宗派において、仏陀の象徴物とされ、儀式や瞑想時に伝統的に法具が用いられてきた。さまざまな種類があり、効果もさまざまであるとされる。



 



●菩薩(ぼさつ)



サンスクリット語でボーディサットヴァ。仏陀・如来には至っていないが、苦しみに迷う生き物すべてを利するために悟りを求め、他を救うことを行いながら如来に至る修行を行っている存在のこと。観音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩などがよく知られている。



 



●発菩提心(ほつぼだいしん)



菩提心(サンスクリット語ではボーディチッタ)は、仏教において、悟りを求める心、悟りを得たいと願う心のことである。特に、一切衆生(すべての生き物)を苦しみから脱却させるために、仏陀の境地(悟り)を得たいと願う心のことである。



菩提心を起こすことを発菩提心(ほつぼだいしん)という。この修行の中においては、覚醒(=仏陀の境地)は、輪廻に迷う生き物すべてを利するために求められる。輪廻に迷うものを救うには、彼らの中で眠っている仏性を目覚めさせる必要があり、このことを知って、自分もすぐれた覚醒を目指そうとするのである。



 



●梵我一如(ぼんがいちにょ)



インド古代哲学の思想の中で、宇宙の根本原理ブラフマン(梵)と、個人存在の本体のアートマン(我)は同じものであるということ、または、同じものであるという悟りのこと。



ただし、仏教においては、通常、ブラフマンやアートマンという概念は用いないし、特に、個人存在の本体としてのアートマンという概念は否定し、個人存在にはどこまでも本体はなく、実体がない(空である)と説く。



 



●煩悩(ぼんのう)



身心を乱し悩ませ、正しい判断を妨げる心の働きをいう。仏教においては、三つの根本的な煩悩として、いわゆる三毒が説かれ、それは、貪(貪欲、貪り)、瞋(瞋恚、怒り)、癡(愚痴、無智)である。



その中の特に、癡(無智)、すなわち物事の正しい道理を知らないこと、物事をありのままに見ることができないことが、もっとも根本的な煩悩であるとされ、十二縁起の中では、それを無明と呼んでいる。



煩悩は、自己中心的な考えと、それに基づく事物への執着をともなうもので、この煩悩を滅尽していくことが、仏教の修行ではひとつの目的である。



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