基本用語 マ行・ヤ行・ラ行



【マ行】



 



●曼荼羅・マンダラ



仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字などを用いて視覚的・象徴的に表わしたもの。古代インドに起源をもち、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝わった。



mandalaの意味については、多くの場合、次のように説明されている。mandaは「本質、真髄、エッセンス」などの意味を表わし、laは「もつ」の意であって、mandalaとは「本質をもつもの」の意だとする



また、mandalaには形容詞で「丸い」という意味があり、円は完全・円満などの意味がある。



「マンダラ」という語は、英語ではヒンドゥー教やその他の宗教のコスモロジー(宇宙観)も含め、かなり広義に解釈されているが、日本語では通常、仏教の世界観を表現した絵画等のことを指す。



 





●マントラ



日本語では「真言」と訳され、比較的短いフレーズの言葉で仏陀・菩薩・神々などを称える内容などによって成り立っている。なお、よく聞く「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」などもマントラであり、マントラの種類は何種類もある。



●密教(みっきょう)



一般の大乗仏教(顕教)が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くのに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を師資相承によって伝える点に特徴がある。



初期密教は、呪術的な要素が仏教に取り入れられた段階であり、各仏尊の真言(マントラ)を唱えることで現世利益を心願成就するものであった。やがて、密教が普及してくると仏教としての理論体系化が試みられた。



実在した釈迦牟尼にかわって、新たに密教の教主である大日如来を中心とした五仏を主軸に、曼荼羅に示される多様な仏尊の階層化・体系化が実施された。後期密教では仏性の原理の追求が図られた。法身普賢や金剛薩?といった本初仏が尊崇された。また、ヒンドゥー教やイスラム教の隆盛に対抗するため、憤怒相の護法尊が数多く登場した。



 



●弥勒菩薩(みろくぼさつ)



弥勒とは、サンスクリット語でマイトレーヤで、慈愛の師という意味である。釈迦牟尼が入滅してから56億7千万年後の未来に姿をあらわすという未来仏の名前であり、現在は、兜率天で修行しているとされる。また、唯識瑜伽行派〔ゆいしきゆがぎょうは〕といわれる唯識の教えをアサンガに降ろしたといわれている。



 



●貪り(むさぼり)



仏教では「貪り」「怒り」「無智」が私たちの苦しみの元である根本煩悩であり、「三毒」という言い方をする。好ましいと感じる対象に対する強い執着、激しい欲求のこと。



 



●無色界(むしきかい)



三界(欲界・色界・無色界)の最上層で、欲望も物質的な条件も超越した精神的な条件のみを有する生物の世界。住人は、四無色定という四つの禅定の境地にある。



 



●無常(むじょう)



すべての物、現象は変化してやまない、一時も留まることなく転変するということ。生じたものは必ず滅するということ。仏教では、諸行無常(全ての現象は無常である)などと説いて、一切のものは変化し移り変わるという事実をその教えの根幹においている。



 



●無智(むち)



仏教の教え、ものの真実のありよう(縁起、無常、無我)を理解せず、現象は不変で実体があると思い込み、それにとらわれる状態。



 



 



【ヤ行】



 



●唯識瑜伽行派(ゆいしきゆがぎょうは)〔または、瑜伽行唯識派、唯識派、瑜伽行派など〕



唯識とは、あらゆる存在は、ただ識、すなわち心にすぎないとする見解であり、唯識派とは、外界の事物はみな空であり、あらゆる存在は心(識)の現れにすぎないと見る教えを説く学派のことをいう。



般若経の空の思想を受け継ぎながら、しかも少なくともまず識は存在するという立場に立って、自己の心のあり方をヨーガの実践を通して変革することによって悟りに到達しようとする教えである。こうして、ヨーガの実践を通して唯識を観ずるところから、瑜伽行唯識学派〔ゆがぎょうゆいしきがくは〕、あるいは瑜伽行派〔ゆがぎょうは〕(瑜伽とはヨーガのこと)と呼ばれる。



唯識の原語には、知らしめるという意味が含まれているが、これは、唯識が、自己と自己を取り巻く自然界の全存在は、自己の根底の心である阿頼耶識〔あらやしき〕が知らしめたもの、変現したものという意味である。ただし、西洋における唯心論との違いは、心の存在もまた幻の如き存在(空である)として、究極的にはその存在性も否定される。



唯識思想の特徴として、ヨーガの実践に加えて、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六つのほかに、末那識〔まなしき〕、阿頼耶識という2つの意識を合わせて、8種類の意識(八識)を立てたことがある。



この最後の2つは、現代心理学でいう、いわゆる無意識層にあたると思われるが、これは、ヨーガの実践により表層意識を静めた結果、無意識層を体感した結果とも思われる。この阿頼耶識は、よくユング心理学の説く集合的無意識との類似性を指摘される。



唯識に、一水四見という言葉がある。これは同じ水を見ても、人間は水と見、餓鬼は血膿と見、魚は棲み処と見、天の住人は甘露と見るというもの。これは、カルマ(心の働き)に応じてものの見え方(捉え方)が違うということを表していて、唯識思想を端的に表現している。



この唯識派の開祖は、弥勒(マイトレーヤ)とされるが、実際の人物であったかはさだかではない。その後、アサンガ(無着)、ヴァスバンドゥ(世親)の兄弟によって組織体系化された。日本において唯識は、広く仏教の基礎学問として学ばれてきた。



 



●ヨーガ



ヨーガとは、さまざまな意味において用いられているが、初めてヨーガという言葉を明確に定義したのは、この言葉が自己の名前となったインドの六派哲学の一派であるヨーガ派であり、その開祖パタンジャリによって、紀元5世紀頃までにまとめられたヨーガの最も権威ある経典『ヨーガ・スートラ』においては、「ヨーガとは心の作用を止減することである」と定義されている。



そして、ヨーガ派は、三昧に至るまでの八つの段階の実践法などを体系化し、これは、他学派の実践手段としても採用された。そして、バラモン教・ヒンドゥー教に限らず、仏教にも影響を与え、基本的な修行法として尊重され、仏教では、禅(ディアーナ)、定(サマディ)という言葉で言及されることが多い。



この意味で、ヨーガとは、解脱ないし悟りに向けての正しい見方をえるための瞑想、心のコントロール・統一の実習とみなすことができるが、ヨーガ(yoga)という語の語源は、<つなぐ><結合><結び付ける>という意味を持っていた。



古代インド哲学の文献の中から、ヨーガの定義について見てみると、ヨーガという行法体系が、明確に現れてくるのは、紀元前600年から300年頃で、その頃の文献である『カタ・ウパニシャッド』には、「感覚が浄まり、心が平静で、知性が乱れないとき、ヨーガの最高の状態に達したということができる。このように心を自由自在にコントロールすることができれば、迷いから解放されることができる」とある。



このように、本来、ヨーガ技法の本質は、外界の刺激に反応して一時もとどまることなく散漫に移りかわっていく心の働きを、精神を集中することによってコントロールし、心のより深い本質(アートマン・真我)に到達し、真我と宇宙の根本原理であるブラフマンが同一であることを体験することにある。



 



●ヨーガの八段階



パタンジャリの著したヨーガの根本経典である『ヨーガスートラ』にある、ヨーガを段階的に進めていくための階梯。



①禁戒(ヤマ)・・・非暴力、正直、不盗、不淫、不貪



②勧戒(ニヤマ)・・・心身の浄化、満足を知る、苦行、自在神を祈念する



③体位法(アーサナ)・・・安定した快適な座位の確保



④調気法(プラーナーヤーマ)・・・呼吸の正しいあり方とそのコントロール。



⑤制感(プラティヤーハラ)・・・感覚の統御された状態



⑥凝念(ダーラナ)・・・一つの対象に心を結びつける、精神集中



⑦静慮(ディアーナ)・・・集中の度合いが高まり、拡がっていく状態



⑧三昧(サマディ)・・・主体と客体の区別の消え失せた意識状態



 



●欲界(よっかい)



欲望にとらわれた生き物が住む世界。仏教の世界観で、欲界・色界・無色界からなる三界の最下層の領域をさす。私たちが住んでいるこの現象の世界は欲界である。



 



 



【ラ行】



 



●輪廻転生(りんねてんしょう)



インドでは、仏教以前から輪廻思想が広く信じられていた。仏教においても、地獄・動物・餓鬼・人間・阿修羅・天という六つの世界(六道)を、私たちは車輪が廻るようにカルマに応じて繰り返し生まれ変わっているといわれている。そして、この輪廻の世界は苦しみの世界であり、そこから脱却することが幸福への道であると説かれ、そのための方法がさまざまな修行法として確立されている。



 



●六識



①眼識(視覚)、②耳識(聴覚)、③鼻識(嗅覚)、④舌識(味覚)、⑤身識(触覚)、⑥意識の6つの「識」のこと。



識とは、サンスクリット語でヴィジュニアーナで、(区別して)知るもののことをいい、分別や判断などの認識作用、または、それを行う認識主体としての心をいうが、一般には後者の認識主体の意味で使われることが多い。一部の仏教宗派では、識を、心(チッタ)、意(マナス)と同じ意味であるとした。



そして、上記の6つの識は、六根(五感と意識の6つの感覚器官)と、六境(6つの感覚器官の対象となるもの)の接触によって生じる6つの認識作用のことを意味する。



●六根(ろっこん)



根の原語は、能力を意味し、その能力を有する感官のことをいうが、六根とは、仏教用語で、眼〔げん〕・耳〔に〕・鼻〔び〕・舌〔ぜつ〕・身〔しん〕・意〔い〕といわれる6つの根のことであり、それぞれ、①視覚器官(視覚能力)、②聴覚器官(聴覚能力)、③嗅覚器官(嗅覚能力)、④味覚器官(味覚能力)、⑤触覚器官(触覚能力)、⑥知覚器官(知覚能力)のことである。



 



●六境(ろっきょう)



境は、認識の対象、対象領域などといった意味で、六境とは、上記の六根(6つの感覚器官)の対象となるもので、仏教用語で、色〔しき〕・声〔しょう〕・香〔こう〕・味〔み〕・触〔そく〕・法〔ほう〕といわれる。なお、ここでの法は、認識の対象、事物のことであり、教え、真理という意味ではない。



 



●六波羅蜜(ろっぱらみつ)



大乗仏教において、菩薩に課せられた、六種の実践徳目のことで、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つ。菩薩は、この6つの徳目を得て涅槃の彼岸に到るという。



波羅蜜とは、P?ramit? (パーラミター)の音写で、p?ram (彼岸に)+ita(到った)と分けて、「彼岸(覚り)に到る行」と解する。また、「p?rami」(<parama 最高の)+「t?」(状態)と分解して、「究極最高であること」「完成態」とも解釈する。よって、六波羅蜜とは、六つの悟りに至る行および6つの完成態という意味となる。



なお、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧のそれぞれについては、各項目を参照のこと。



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 


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