仏教思想
ひかりの輪の仏教思想をお伝えします

21世紀の社会のための仏教・宗教哲学

宗教の大転換期:既存の宗教の衰退と新たな潮流

以下のテキストは、2020~21年 年末年始セミナー特別教本『ヨーガ・仏教の修行と科学 人類社会と宗教の大転換期』第6章として収録されているものです。教本全体にご関心のある方はこちらをご覧ください。

 

1.はじめに

今、日本および世界の宗教界には、大きな変化が起きている。日本では、伝統宗教も新興宗教も大きく衰退している。ヨーロッパのキリスト教も同様である。米国は地域によって変化があるが、全体としては同様に無宗教の人が増えている。宗教学者の島田裕巳氏は「日本を含め、先進国においては、宗教は捨てられようとしている。信者が激減し、危機的な事態に陥っているのだ」と言う。

 

2.平成の時代に大きく衰退した日本の宗教

まず、日本について見れば、文化庁公表『宗教年鑑』には、各宗教法人が自己報告した信者数(いわば表向きの数字)が記載されているが、それを見ただけでも衰退の実態は十分に明らかである。

平成の期間を見ると、昭和の実質最後の年の63年版では、神道系の信者の数は、約9618万人だが、令和元年版では約8009万人と、1600万人以上減っている。仏教系は、約8667万人から約4724万人と、4000万人近く減っている。ただし、この中には創価学会の会員(約1684万人)が日蓮正宗から大量に抜けた分があるから、それを差し引くと、仏教系の減少は約2300万人となる。高野山真言宗は、最近は信者数を全く報告していないが、激減の状況を公にしたくないとの推測がある。高野山の宿坊の宿泊者数は、1973年が92万人に対して、2014年は27万人に減少している。

新宗教はより深刻で、戦前は最大の新宗教だった天理教は、平成の30年間に、約175万人が約120万人になり、55万人減っている。立正佼成会は、625万人が237万人と6割以上減り、最近でも、毎年全体の1割程度が減っている。霊友会も、315万人が122万人と200万人近く減り、PL教団も、220万人が72万人と、3分の1に減っている(PL学園の野球部が消滅した背景とされる)。

最大の新宗教である創価学会の会員数は、『宗教年鑑』に記載されていないが、大阪商業大学の毎年の世論調査では、調査対象者に対する創価学会の会員の比率が、2001年は1.7%だったが、2018年には1.4%と激減していたという。創価学会は、他の宗教団体に比較すれば、子孫への信仰の継承に成功しているとはいわれるが、2016年の参院選では、創価学会が支持する公明党の得票数は、前回に比べて約104万票も減っている。創価学会で熱心に選挙活動を行ってきたのは、婦人部の会員たちだが、すでに高齢化しているか亡くなっている。他の新宗教も高度成長期に信者数を飛躍的に伸ばしたが、今は激減している。

  

3.ヨーロッパのキリスト教を含めた先進国共通の現象か

この現象は、ヨーロッパのキリスト教を含めて、世界に広がっている。ヨーロッパでは教会離れが深刻化しているという。日曜日のミサに集まる信者は高齢化して激減し、教会の経営が成り立たなくなり、売却される教会も出てきているという。売却先として多いのは、ヨーロッパにはイスラム圏からの移民が多いため、イスラム教のモスクである(イスラム教の人口が、各国平均で総人口の5%にまで達している)。

なお、中南米では伝統のカトリックが大幅に減少し、代わってプロテスタントの中でも、伝統的な宗派ではなく、ペンテコステ派が大幅に増えているという。これは霊的な体験を重視し、日本の新宗教のような性格を持っているという。そして、このペンテコステ派と、後で述べる福音派、そして、日本の新宗教は、経済成長による都市化を背景として伸長し、より都市部で信者が増加する(した)という共通点があるという。韓国や中国でも、福音派やペンテコステ派が伸びている。ただし韓国では、その伸びが止まり始めたという。

  

4.宗教が根強い米国でも無宗教が増大

一方で、キリスト教の力がまだ強いのが、アメリカ合衆国である。2018年のPew Research Centerの調査では、プロテスタントが43%、カトリックが20%、無宗教・無神論・不可知論が26%。しかし、正確に言えば、米国は、大統領選挙で社会の分断が話題になったように、宗教情勢も分断されている。東部や西部では、都市を中心として、無宗教・無神論・不可知論を唱える人たちが26%と、増えている。反対に、バイブルベルトと呼ばれる南部では、依然として、プロテスタントの福音派が強い力を持っている。そして、全体としては、無宗教が増えており、2007年の17%から、先ほど述べた通り、2018年には26%に達している。

米国では、大統領選挙のたびに、プロテスタントの福音派が話題になる。福音派はアメリカ人全体の4分の1を占め、聖書の教えを文字通りに信仰し、進化論や人工妊娠中絶に強硬に反対する。そして政治的には、トランプ大統領をはじめ、共和党の大統領候補を強く支持する。その一部には、第5章で述べた陰謀論の流布に関与している人達もいることが指摘されている。福音派は、強い力を持っているが、移民・少数民族の増大や無宗教者の増大とともに、将来的には米社会の中で少数派となる恐れを抱いているかもしれない。実際にトランプ大統領は、2016年の前回の大統領選挙で、今回負けたならば、今後共和党からは大統領は出なくなるだろうと主張し、彼らの危機感を煽ったという。

 

5.日本などで宗教が捨てられつつある原因:人生観・死生観の根本的転換か? 

なぜ日本やヨーロッパの先進国で宗教が捨てられる事態が起こっているのかというと、島田氏によれば、人々の人生観・死生観の根本的な転換が原因ではないかという。もちろん、平成の時代の宗教衰退の一因としては、私自身の反省の課題であるオウム真理教の事件もあるし、宗教勢力のテロといえば、欧米の一部のキリスト教右派系宗教団体やイスラム原理主義のテロがあった。しかし、これらの出来事は、この長期的で世界的な、宗教の衰退の主たる原因ではないという。

では、人生観・死生観の根本的な転換とは何か。まだ平均寿命が短かった時代には、社会的な環境も医療も十分に発達しておらず、病にかかる確率は高く、重い病にかかれば、回復が難しかった。災害や飢饉や貧困や戦争で死ぬ可能性も高かった。このように現世が苦しく、そのために人々は、「自分はいつまで生きられるかわからない」と思いながら生活していた。

こうして、現世の暮らしが苦しく、死は常に身近で、人生の将来は不確かだったため、苦しく不確かな現世の将来より、来世に期待をかけ、天国や極楽に生まれ変わることを望んで、宗教を信じ、それが説く善行を積むことに努めた。そうする動機・意欲があり、そうすることができた。

しかし、最近は、先進国の長寿社会をはじめとして、社会環境や医療が整って、平均寿命も大きく延びた。特に日本人の平均寿命は、1890年代は40歳台前半だったが、約100年後の1989年は、男性75.91歳、女性81.77歳と倍近く延び、さらに平成の終わり頃の2018年には、男性81.25歳、女性87.32歳とさらに延びて、男女平均で84歳代となって、世界第1位である。

また、この数十年で、若くして死ぬ人も大幅に減少した。さらに、平均余命を見てみると、現在60歳の女性であれば、平均して90歳まで生きるとされ、医療経済学者の永田宏氏の推計によれば、その半分の人は95歳、4分の1の人は100歳以上生きるという。また、男性も、今40歳の男性であれば、半分は95歳以上、4分の1が102歳以上まで生きる。今40歳の女性ならば、半分が102歳、4分の1が107歳まで生きるという。最近メディアでも、人生100年、110年時代といわれる所以である。

こうして、今や現世の苦しみや、若くして死ぬ可能性は大幅に減り、長く生きることが相当に確からしくなった。こうして苦しみが減り、死は遠のいて人生が長くなると、苦しく不確かな現世の将来よりも、来世に期待して宗教を実践する動機は薄れるのではないか。来世への期待よりも、老後までの長い人生を、経済的にも精神的にも乗り切ることの方に関心が向くのではないか。また、医療の発達で、病気治しのために宗教に頼る必要がなくなるとともに、今回の新型コロナ問題では、宗教は無力どころか、集会を伴う活動が多いために、逆に被害を拡大さえする立場となった。

なお、日本の新興宗教は、戦後に急速に進んだ都市化の中で、農村から都市に移動した大量の人々を吸収したが、その求心力は、貧(ひん)・病(びょう)・争(そう)(貧困・病気治し・人間関係のトラブル)の解決だといわれた。しかし、今や高度成長期が終わって、都市への人口移動も収まり、少子化で若者が減り、人口が減少し始めた。そして、病気は医療で、貧困は社会福祉制度で対処できるようになった。なお、新興宗教の急拡大の時代の人間関係のトラブルは、まだ都会でも同居が多かった嫁と姑の問題が主だったようだが、価値観や居住形態が変わるとともに、晩婚化・単身者が増大した。また、宗教で逆に人間関係のトラブルが起こることもある。

 

6.人類が初めて経験する大きな意識変化が起こっている可能性

島田氏によれば、かつては死後に天国や極楽に生まれ変わることを説くことが、宗教にとって最大の武器だった。そして、それに人々がすがった一つの理由は、それだけ現世での暮らしが苦しいものだったからだという。言い換えれば、現世の苦しみの反動として、来世の幸福への期待と信仰があったということができるかもしれない。

しかし、現世の暮らしが、それほど辛くなくなれば、来世の幸福に期待する動機も薄れていく。その結果として、幸福な来世の存在を信じることが(でき)なくなってきているのではないか。島田氏は「私たちは今、自分たちが生きている現世よりも素晴らしい来世を想像することができるのだろうか。浄土教信仰を説く僧侶でさえ、浄土の実在を信じてはいない。もう信じることができないのだ」と述べている。

私自身も、浄土真宗を含めて、多くの浄土教の僧侶と対話したことがある。彼らは皆、若者をはじめとして人々が自分達の宗教に惹かれることがなくなり、数十年後には消滅してしまうのではないかという懸念を持っていた。その中で、彼らの一人が言ったことが、「国民がもっと来世を信じなければ、このまま衰退していくだろう」ということだった。

こうしてみると、伝統宗派も新興宗教も、少なくとも日本の既存の宗教に関していえば、大幅にニーズが減少し、島田氏が言うように、今や「捨てられることとなった」のかもしれない。

そして、こうした人生観・死生観の転換は、人類が誕生以来、初めて経験することかもしれない。言い換えれば、人類はその誕生以来これまで、宗教と共にあったといっても過言ではないだろう。それが、今この21世紀に至って、日本をはじめとする長寿社会で、(少なくとも既存の)宗教が消滅的な衰退を始めているかもしれない。だとすれば、これは、人類史上において、極めて大きな意識変化が生じている時代であるのかもしれない。

 

7.新型コロナが宗教の衰退にだめ押しとなる可能性 

そして、新型コロナウイルスの流行は、捨てられつつある宗教に致命傷を与えた。というのも、宗教は、信者が集まることによって成り立つものであり、密集を回避しなければならない状況では、その活動に大幅な制限が加えられるからである。感染拡大を恐れて、葬式さえ挙げることが難しくなった。

そもそもかつての宗教は、疫病に対する対処法として、人々の信仰を集めてきた。キリスト教は、2世紀の天然痘流行の際に、爆発的に拡大したという。患者を隔離・介護したが、信者の死亡率が低かったのだ(これは集団免疫の作用ではないかという説があるが、私は初期キリスト教会の信者の自然免疫が高かった可能性を感じる)。

また、16世紀に、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に進出した時は、天然痘の免疫を持つヨーロッパ人に対して、天然痘で多数の死亡者を出したアメリカの原住民族(インカ帝国・アステカ帝国)は、その違いを信仰の違いととらえ、キリスト教に改宗したという。

中国や日本に仏教が広がっていった時代も、感染症の被害が多かった。昔の人は、疫病は(疫病(やくびょう))神(がみ)の仕業と考え、「疫病神を祀って祈れば、許してもらえて、収まる」と考えた。感染症の流行は、永続することはなく、集団免疫の形成等により収束する時期が来るものだが、昔の人々には、祭り祈った後に収束するのを見て、「信仰の力で収まった」と思ったのだという。そして、あの名高い奈良の東大寺の大仏も、天然痘を鎮める祈りを込めて作られたものであり、日本三大祭りの京都・八坂神社の祇園祭は、疫病退散を疫病神に祈るものだ。

しかし、新型コロナの結果、韓国の宗教団体(新天地イエス教会など)は、その集会によって集団感染が発生し、教祖は土下座して謝罪し、殺人・殺人未遂罪などで刑事告訴までされた。日本の寺社の関係者は、それを見て、「次は自分達がそうなるのではないか」と震え上がったという。シーク教の導師は、説法を続けて感染を拡大し、スーパースプレッダーとなり、自分自身が死亡した。イタリアでは、ローマ教皇が聖職者に、新型コロナ患者に積極的に会いに行く勇気を求めた結果、多くの死者を出した。

こうして、宗教は、疫病から人を救うどころか、逆に被害者を増やす存在にさえなってしまった。世界各国の宗教で集団礼拝や集会が禁じられ、自粛が行われた。日本でも、各宗教団体が、施設を閉鎖したり、集会を伴う様々な行事を中止せざるをえなくなったりした。東大寺も参拝を一時停止し、今年の祇園祭は中止となった。こうして、歴史的に宗教を後押しすることが多かった感染症が、医学・科学の発達を背景として、今年の新型コロナでは、宗教に対して大きな逆風に変わったのである。

そして、「いったん人々が宗教の世界から遠ざかれば、ウイルスの流行がたとえ終息しても、元の状態に戻ることは難しいのではないか」と島田氏は言う。確かに、新型コロナの問題が一時的なものであればよかったが、2020年末の時点で、感染拡大の最大の山場は、今後やってくる状況にあり、専門家の間でも、三密回避の行動変容は少なくとも2021年の間は必要だという見解があり、2022年まで続くという見解もある。

人の主要な活動は、何事も(以前からの)習慣の力が大きい。よって、これだけ長い期間、宗教から遠ざかると、以前からすでにうすうす感じていた「もはや宗教がなくても生活は成り立つのではないか」ということを、人々が実感するのではないか。それを一度実感してしまえば、宗教の必要性を再び感じることはできなくなるのではないか。こうした危惧を寺社の関係者が現在抱いているという。

ある関係者は、「感染終息後になって、人々は、一番苦しい時に宗教は何もしてくれなかったと思うのではないか。私たちは社会に居場所を失うのではないか」と言う。こうして、新型コロナは、以前からの宗教の衰退の流れに対して、いわばダメ押しのように作用しつつあるかもしれない。

新型コロナは、医療も依然として万能ではないことを示したが、既存の宗教に関しては、その全くの無力さを印象付け、一般人と全く同じように、感染症から人々を救う側ではなく、救われる側になった感がある。このことは宗教離れを加速させる可能性があるだろう。

だとすれば、今後の宗教は、従来の形・内容に留まることなく、大きく変化している環境に適応し、新たに進化する必要があるように思われる。さもなければ、島田氏が言うように、「人類の歴史とともに歩んできた宗教は(少なくとも従来の形のままに留まるのであれば)、今や過去のものになろうとしている」のかもしれない。

 

8.各国ごとの平均寿命と宗教事情の違い:韓国 

これまでは日本やヨーロッパなどの長寿の先進国社会を見てきたが、次に日本から一歩遅れて急速な経済発展を遂げた韓国について述べる。

韓国は、日本の高度成長期に新興宗教が急拡大したのと同じように、キリスト教のペンテコステ派や福音派が急伸した。キリスト教信者は1950年の160万人が、2000年には1470万人と、人口の31%にまで増大した。

しかし、驚異的な経済成長にブレーキがかかると、その後2020年には人口の33%と、2%の伸びに留まった。一方で、無宗教の割合は、2005年の46%から2015年は56%と、10%も増えた。韓国の平均寿命は現在80歳を超えてきた。若者の教会離れが始まっており、これ以上は伸びないとも指摘されているという。

 

9.米国社会は、政治に限らず、宗教事情も分断されている 

最後に現在、新型コロナの被害と大統領選挙などで世界的に関心を集めている米国は、非常に興味深い状況がある。まず、世界一の経済・軍事力を持ち、世界をリードする先進国である米国だが、その平均寿命は、2016年で78.6歳であり、世界34位で、日本よりも6歳弱短いのである。

1950年代は世界最高の寿命だったが、日本等ほとんどの国で平均寿命が延び続けている中で、米国は2014年の平均寿命が最高で、その後は減少し、伸びが止まってしまった(なお、他には英国(だけ)で似た現象が起こっている)。

その原因は、社会的な不平等と経済的困難を背景として、薬物の過剰摂取、自殺、アルコール関連疾患などで、25歳から60歳までの生産年齢人口の死亡率が上がっているからだという。さらに、数年前はインフルエンザの大流行で年間6万人が死亡し、今年は新型コロナで30万人以上の死亡者を出して、さらに平均寿命を押し下げることが予想されるが、その背景にも社会・経済的な要因があるのだろう(同様に寿命の延びが止まった英国でも新型コロナの死亡者は多い)。

次に、社会が分断されているというように、米国は宗教事情も地域差が大きく、さらにいえば、宗教的信仰の強い人が多い州が、そうでない州に比べて、平均寿命が短いのではないかと思われる状況がある、逆にいえば、平均寿命が長い州において、宗教的信仰が衰えているということである。

まず、聖書の教えを文字通りに信仰して熱心に活動する福音派が多い州は、テネシー州(52%)、ケンタッキー、アラバマ、オクラホマ、アーカンソー、ミシシッピーなどで、いずれもアメリカの南東部にある州である。この地域は一般に南部、バイブルベルトとも呼ばれる。

逆に、福音派が少ないのは、モルモン教が多く例外的な存在であるユタ州を除くと、マサチューセッツ、ニューヨーク、ニュー・ジャージー、ニューハンプシャー、コネチカットなどで、全て北東部に位置する(最初に植民地が作られたニュー・イングランドの地方)。

また、州別の教会出席率は、2014年のギャラップの調査では、ユタ州を除けば、南部の州はほとんど40%を超えており、逆にニュー・イングランドの各州は出席率が低く、20%台前半が多い。そして、州別の平均寿命を見ると、ハワイ州81.5歳を最高とし、長い順からカリフォルニア、ミネソタ、ニュー・ジャージー、ニューヨーク、コネチカットの各州が80歳を超えている。

逆に平均寿命が最も短いのは、ミシシッピー州の74.5歳で、ウェスト・ヴァージニア、アラバマ、ケンタッキー、ルイジアナ、オクラホマ、アーカンソー、テネシーと続き、75~76歳前後である。このように、南部の信仰熱心な地域は、日本よりも平均寿命が10歳近く短いのである。なお、平均寿命が最長のハワイ州の教会出席率も25%と低い。

そして、こうした米国内での地域による経済状態・平均寿命・宗教事情の違いが、昨今大きな注目を集めている政治の分野での社会の分断の一つの背景であることは、容易に推察できるだろう。

ちなみに、衰退が激しいとされるヨーロッパのキリスト教徒の教会出席率は、米国のピュー・リサーチ・センターの調査(2008~2017年)によれば、スウェーデン6%、ノルウェー7%、英国8%、ドイツ10%、フランス12%、スペイン15%、ギリシャ16%という。

 

10.イスラム教の今後に関して

最後に、イスラム教国について見る。まず、世界の宗教別人口で見るならば、イスラム教徒が多い国は出席率が高く、今後も人口の大幅な増加が予測されることから、米調査機関ピュー・リサーチ・センターの予測によれば、2070年にはイスラム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年にはイスラム教徒が最大勢力になると予測している。これは人類史上初めてのことであり、向こう40年間のイスラム教徒の増加率は73%で、キリスト教徒やヒンドゥー教徒の増加率の2倍以上に達するという。

ただし、この統計は、イスラム教徒の多い国の人口の増大による教徒数の増大の予測であって、そうした国の人々が本質的な意味で、今よりもイスラム教の信仰により熱心になるとか、イスラム教が他宗教からの多数の改宗者を獲得するという意味ではなく、人口比で、その国のイスラム教徒の割合が無宗教の割合と比較して増えるという意味でもない。

次に、イスラム教徒が多い国々の平均寿命を見ると、インドネシアが69.3歳、インドが68.3歳(インドはヒンドゥー教が優位の国だが、総人口が多いためイスラム教徒の総数も多い)、パキスタンが66.5歳、バングラディッシュが72.7歳と、いずれも短い。

しかし、イスラム教国も、平均寿命は急速に延びているから、将来的には日本と同じ現象が起こる可能性がある。よって、彼らが、日本のように経済発展して、寿命が延びて、現世の苦しみと死が遠のいた後も、死後に天国に召されるために、1日5回の礼拝を行うイスラム教の生活を維持できるか(維持するだけの動機が残るか)ということが注目される。

ただし、イスラム教は、仏教やキリスト教と異なって、そもそも修行という側面が弱く、生活規範としての性格が強い。キリスト教や仏教のような原罪や業の観念が薄く、出家者と世俗者を分けるといった聖俗の区別も薄い。そのため信仰を継続する負担は少ないかもしれない(ただ、その場合は、何が信仰・宗教であり、何が文化的な生活規範であるかの区別が問題になるかもしれないが)。

  

11.日本は、人類社会における宗教の変化を真っ先に経験しているのか?

以上をまとめると、イスラム教世界については今後の状況を見る必要があるが、それ以外の世界の状況をあわせて考えてみれば、経済成長・平均寿命の延びとともに、カトリックや仏教などの伝統的な信仰から、福音派・新興宗教といった新しい宗教に移り、その後に無宗教化が起こるとも考えられるだろう。

そして、日本は、高度成長を経験して経済大国となって、その後のバブル崩壊から低成長に移り、平均寿命が世界最長となったという意味で、日本の宗教事情は、人類社会の中で(その善悪は別にして)ある意味で最も先を行っており、日本の変化を見れば、今後の世界の変化を予想することができるかもしれない。

これに関連して、経済の分野に関して一歩先に、世界が日本化しているといわれている(ジャパニフィケーション)。リーマンショック以降、先進国をはじめとする世界全体において、日本と同じように経済の低成長が目立ち始めた。

さらに、新型コロナによる経済停滞・財政支出の増大・中央銀行の金融緩和や低金利政策が進んで、ますます世界の経済状態が日本化するという見解が聞かれるようになった。そして、宗教も経済をはじめとする社会状況と連動するものであるから、経済面で世界の日本化が進むのであれば、宗教面でも日本化が進む可能性があるだろう。

ちなみに、WHOが発表した2020年版の世界保健統計によれば、平均寿命が最も長い国は、日本で84.2歳、 2位はスイス83.3歳、平均寿命80歳以上の国は28カ国で欧州の国が多く、アジアでは日本の他、シンガポールと韓国であり、最も短い国は、レソトで52.9歳である(以下の表を参照)。

そして島田氏によれば、平均寿命が80歳を超えると、「現世が苦しく死が身近なゆえに来世に期待して宗教を信じる」という従来の人生観・死生観に留まることは難しいと思われるという。

 

1 日本              84.2

2 スイス            83.3

3 スペイン          83.0

4 オーストラリア 82.9

4 フランス           82.9

4 シンガポール   82.9

7 カナダ             82.8

8 イタリア           82.7

8 韓国              82.7

10 ルクセンブルク 82.5

10 ノルウェー      82.5

12 アイスランド   82.4

13 イスラエル      82.3

13 スウェーデン   82.3

16 オーストリア   81.8

17 オランダ         81.6

18 アイルランド   81.5

19 フィンランド   81.4

19 マルタ           81.4

19 ポルトガル     81.4

19 イギリス        81.4

23 デンマーク     81.2

24 ベルギー        81.1

24 ギリシャ        81.1

25 デンマーク     81.2

26 ドイツ           80.9

26 スロベニア     80.9

28 キプロス        80.7

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34 アメリカ        78.6

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50 中国             76.4

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100ロシア         72.0

 

12.長寿社会にこそ現れる仏教思想の新たな役割 

さて、長寿社会は、仏教をはじめとする宗教が衰退していくばかりだとは私は考えていない。見方によっては、仏教開祖のゴータマ・シッダッタ(釈迦牟尼)が説いた悟りの思想(初期仏教)は、逆にその価値を取り戻す可能性があると考えている。

ただし、その初期仏教の思想は、一般に現代人が、宗教や信仰と見なしているものではなく、心理療法・実践哲学の性格が強く、その意味で、宗教学者の中には、釈迦牟尼を偉大な心理学者とし、その思想を高度な心理療法と評価する人もいることは、他の特別教本でも述べた通りである。

さて、長寿社会に見られる現象として、仏教に関連して重要だと私が考えていることは、『2018年GWセミナー特別教本「ポスト平成:長寿社会の新しい生き方」』の第1章で紹介している。その要点を簡潔に以下にまとめて述べたいと思う。

  

13.長くつらい老後の可能性:精神疾患・生きがいのなさ

長寿社会といっても、それは高齢者が幸福に長生きできるということではなく、長くつらい老後を生きることになる可能性がある。医療の発達によって、肉体的には死なないが、全ての病気がなくなるわけではない。結果として、死にはしないが、様々な心身の苦しみが増え、長くつらい老後になる可能性がある。

そして、身体的な不自由は仕方がないとしても、現在の傾向を見ると、高齢者の認知症・うつ・感情の暴走といった、様々な精神疾患や精神的な問題が増大しており、高齢期に、人間として精神的に退化してしまう可能性がある。

その大きな要因が、心理学者が「第二の思春期」とも呼び始めた、70歳代における様々な「喪失体験」である。この年代になると、様々な身体の機能が衰え、今まであった自分の能力を失い、会社は退職して社会的な立場や人間関係を失う。

子供はとうに自立して離れているだけでなく、配偶者に先立たれる場合もあるし、長生きするほど、同年代の友人・知人は鬼籍に入り、人間付き合いが減って孤独が深まる。

健康であれば何かの仕事はできるが、退職前とは異なって、たいていが単純作業のようであり、十分な生きがいにはなりにくい(そもそも若い時からフリーターの人もいるだろうが)。自尊感情を満たせるような社会的な立場はなくなり、逆に周囲に疎んじられ、お荷物扱い、邪魔者扱いされているとも思う。

そもそも、少子化・晩婚化・独身・高齢離婚が増えており、退職などで人付き合いが全くなくなる人も少なくないという。しばらく前に、「無縁社会」という言葉が流行った。現在、日本の人口の3割以上が単身者(一人住まい)であり、まもなく4割にも達するという(ドイツはすでに4割)。

その中で15%の人が、1週間や2週間は全く他人と話すことがない孤独状態にあるというデータもあり、この孤独状態は、生活習慣病よりも心身の健康に有害であるという研究結果がある。そして、最近よくいわれているように、その中から年間3万人以上の孤独死が発生している。無縁社会の無縁仏である。

身体機能が落ちて、1人で生きていくことが危険であるとなれば、老人ホームに入らざるをえないが、その場合は、住み慣れた自宅・環境を失うことになる。こうして、長寿社会の高齢者は、自分の従来の能力、社会的な立場や人間関係、住み慣れた環境といった、様々なものを失う。

これは、肉体的な死ではないが、いわゆる「社会的な死」といわれるものに相当するのではないかと思われる。多少大げさにいえば、死後の来世ではないが、これまでとは別の世界に、別の自分が住むのと近いかもしれない。

そう考えると、死後の来世の幸福に期待して宗教に入る人が減っていることと、不思議に通じてくるように思われる。いつ死ぬかわからない時代の来世は、死後のものだったが、長く生きる時代は、社会的な死を経験する老後が、来世のようなものかもしれない。

そして、喪失体験は、老化を加速して、うつ・認知症・感情の暴走などの様々な精神的問題を引き起こす。というのは、最新の高齢者心理学では、老化こそが気持ちからという見方がある。体は死ななくても、生きがい=前向きに生きる意欲を失うと、体や頭を使って鍛えることがなくなって、それによって老化が加速するというのである。「病は気から」ならぬ、「老化は気から」ということである。

意欲がなくなり、体や頭を使わなければ、必然的に、認知症やうつが増大するだろう。また、自分の喪失体験による失意・自己嫌悪は、他者への怒りに転じることが多く、自分の感情を制御する能力も失って、感情が暴走するようになる。すぐに怒り、いったん怒り出したら止められない老人が増えているという。こうした問題が大きくなれば、人によっては生き地獄となるかもしれない。極楽とともに来世の一つとされた地獄も、長寿社会では、高齢期に経験する精神的な体験かもしれない。

  

14.長寿社会に現れた「老年的超越」という希望・第二の心理的な発達

しかし、そうした長寿社会の高齢者の精神的な問題とは対極的な現象が一部の高齢者には起こっている。それを「老年的超越」という。

老年的超越とは、1990年代にスウェーデンの社会学者であるトルンスタムが最初に提唱したものであるが、超高齢者があたかも仏教の悟りの境地のような状態に至ることである。

トルンスタムによれば、2割くらいの高齢者がそうなると主張するが、老年的超越の現象に関しては、研究が始まってからまだ日が浅く、その定義自体も明確ではなく、各国・民族の超高齢者によって、具体的な心境も異なる部分があるため、現段階では割合に関する議論は難しいだろう。日本の心理学者によれば、超高齢者の5パーセント前後が体験しているという。

老年的超越の心境を一言で言うのは難しいが、主観的に非常に幸福な状態であり、「今が人生で一番幸せだ」と言う人もいるという。トルンスタムによれば、①自己概念が変容し(自分にこだわらず、利他的になり、苦難をも前向きにとらえる)、②社会と個人の関係が変容し(社会的な地位・表面的な人間関係・友人の数・財物等にこだわらず、孤独に強く一人の時間を大切にし、善悪の固定観念が和らぐ)、③宇宙意識の獲得(時空間を超えた他者・万物との一体感を感じ、神秘性の感受性が高まり、死の恐怖が消滅するなど)といった境地が生じるという。

日本の研究者によれば、日本の高齢者の場合は、上記の心境に加えて、①ありがたさ・感謝の念が強まり、②無為自然・あるがままの状態を受け入れる姿勢(余計なことを考えない、気にしないでいられる)といった特徴があるという(これは、日本の文化的な要因によると推測されている)。

そして、重要なことに、トルンスタムの研究によれば、この老年的超越が生じやすい人の特徴として(すなわち老年的超越の関連要因としては)、より高齢であるほど老年的超越の割合が高くなること以外には、順風満帆の人生ではなく、自分や身近な人の病気、死別・離別といった人生の危機を多く体験しているという(そして、その試練を乗り越えて前向きに生きているということである)。他の研究でも、病気・死別に加え、経済的な問題、争いの経験が多いとか、活動の多さに関連するという研究結果がある。

こうした研究を踏まえ、老年的超越を研究する日本の心理学者の中には、人生はおよそ70歳代を中心として、様々な喪失体験(社会的な死)に揺れる第二の思春期ともいうべき時期があり(それに対処できなければ心身の病気につながるが)、思春期を通じて子供が大人になるという大きな心理的発達を遂げるように、第二の思春期を通じて、第二の心理的な発達(老年的超越・悟り)を遂げる可能性があるという説を提唱している人もいる。

  

15.落下型と上昇型の生き方、長寿社会の人々は二つの人生を生きる

そして、これまで述べてきたことをまとめるならば、長寿社会の長い高齢期においては、第二の思春期ともいうべき様々な喪失体験=社会的な死を境として、二極化する可能性があるということになる。一つは、残念ながら今のところの多数派であるが、社会的な死の苦しみに負ける形となり、心身の苦しみが増し、うつ・認知症・感情の暴走といった精神的な病にも陥るケース。もう一つは、それまでの人生上の困難な体験などを活かして、それを乗り越え、仏教の悟りのごとき老年的な超越を得て、人生最高の内面の幸福を得る。

前者のケースは、たとえ高齢期前に恵まれていても、高齢期以降は苦しみが増え、最後に人生最大の苦しみを味わう。この場合は、終わってみれば、いわば落下型の人生ではないだろうか。後者のケースは、たとえ人生前半が普通の意味で低迷しているように見えても、その困難の経験を活かして、人生終盤に最大の幸福を得る上昇型の人生であるし、見方によっては、人生の本当の目的の達成ではないだろうか。

人生は長い。別のたとえを使えば、人生はスプリント(短距離走)ではなく、マラソンのようなものだと思う。前半に先頭に飛び出して、一時的に気持ちよかったとしても、後半に、息が切れてリタイアする場合もある。気持ちよく前半を生きることばかり考えるのではなく、最後にトップでゴールを切ることを本来の目的だとするならば、人生やその快楽や苦しみに関するものの考え方を変える必要もあるだろう。

さらにいえば、人生100年、110年ともいわれる長寿社会の人々には、70歳代の社会的な死を境として、二つの人生(=今生と来世)を生きるとも表現できるかもしれない。高齢期前の人生が、第一の人生(=今生)であり、高齢期の社会的な死を経て、その後も直ぐには終わらない第二の人生(来世)がある。

生き方によって、第二の人生は、人生最大の苦しみ=「生き地獄」を経験することにもなれば、老年的超越を得て「生き天国」・「生き浄土」を経験することにもなる。これまで宗教が説いてきた「来世」というものが、あたかも、今生の後半に生きたままで現れてくるのが、長寿社会の人生といえるかもしれない。

  

16.長寿社会における仏教思想の有用性

仏教思想から見れば、長寿社会の高齢期の喪失体験=社会的な死と、困難の多い人生を乗り越えた人が、それを乗り越えて老年的な超越を果たすという現象は、仏道修行の思想・実践とまさに合致する。

仏教では、そもそも人は、老い、病み、死ぬ無常なものであるとする。その中で、人の様々な苦しみの原因は煩悩であり、すなわち間違ったとらわれ、過剰な自我執着であると説く。そして、修行を通してそれを弱め、無智を超えて、自我執着を超えた無我の智慧に目覚めて、利他・慈悲の心を獲得して苦しみを超え、真の幸福を得ることを説く。

そして、重要なこととして、その修行の過程においては、たとえば失脚や亡命といった、まさに社会的な死ともいうべき試練があることを、経典や仏教の指導者はたびたび強調してきた。実際に、開祖の釈迦牟尼自身が、修行を始める際に、出家して王子という社会的な地位を含めた世俗の生活を放棄したことはよく知られている。

さらに、釈迦牟尼は、悟りを得る直前に、当時最高の善とされて長年耐えてきた苦行には真の悟りの道がないと気づくや、苦行者としての誇りや周囲からの評価さえも捨て去って、脱落者という罵りを受けながら、自分の信じる探求を貫いて、ついに悟りを得たという経緯がある。世俗の社会的な地位に加え、修行者・苦行者としての立場・評価も捨て去るという社会的な死の連続の果てに掴んだ真の幸福だったのではないか。

そして、21世紀の長寿社会の長い高齢期の中で、自分を仏道修行者と自覚している人であろうとなかろうと、ある意味で否応なしに、誰しもが社会的な死を経験する。それが悟り(=老年的超越)の機会となり、人生のまさに終盤・最期に、人間としての究極的な心理的発達を遂げて、人生の最大の幸福の時となるか否かは、それぞれが今後歩む人生のあり方にかかっている。

その状態に仏教の思想を学ばずに、高齢期前から多くの試練を経験して、その試練の体験が仏教の教えや指導者に代わる教師となって、老年的超越を果たす人もいるようだ。

しかし、理想としては、高齢期前から、仏教の思想を学び、人生全体にわたって、苦しみ・試練に強く安定した心身を培い、高齢期の喪失体験をスムーズに乗り越えて悟りに至ることだと思う。

もちろん、仏道修行者としての最高の理想は、高齢期の前に若くして、人生全体のいかなる試練にも動じない不動心・悟りを得ることであろうが。

  

17.そもそも長寿社会を生きてきたのが仏教の僧侶である

そして最後に指摘しておきたい事実が、昔から長寿社会を生きてきたのが仏教の僧侶であるという事実である。すなわち、僧侶は、昔から突出して長寿であった。

現在の職業別ランキングでも、僧侶・宗教家は1位である。郡山女子大学の森一教授の調査研究によれば、トップが宗教家、それに続いて、実業家、政治家、医師・医学者、大学教授、俳人、歌人、芸術家、小説家、詩人の順であった。

さらに、同じく森教授によれば、西暦700年から1945年までの1250年間に亡くなった僧侶の平均寿命は、なんと70歳前後であった。戦前の平均寿命が40歳前後であることを考えると、非常に長寿である。森氏は、現在の政治家にあたる公卿に関しても同様に調べたが、830年から1892年の1063年の間の公卿の平均寿命は53.6歳であり、1600年から1719年までの藩主の平均寿命が53歳であった。

実際に、著名な僧侶の寿命も長く、開祖の釈迦牟尼自身が、2500年前に80歳の超高齢まで生き、奈良の大仏の建立に尽くした行基が82歳、浄土宗を開いた法然は80歳、浄土真宗を開いた親鸞は90歳、江戸幕府・将軍を支えた天海はなんと108歳。他にも、明(みょう)菴(あん)栄(えい)西(さい)禅師(75歳)、一休宗(いっきゅうそう)純(じゅん)禅師(88歳)、白(はく)隠(いん)慧(え)鶴(かく)禅師(84歳)などがいる。また、明治以降の主な高僧の例としては、山(やま)田無(だむ)文(もん)師(89歳)、大西良慶(おおにしりょうけい)師(109歳)、山(やま)田(だ)恵(え)諦(たい)師(100歳)、松原(まつばら)泰道(たいどう)師(103歳)、宮(みや)崎(ざき)奕(えき)保(ほ)師(108歳)など。

なお、僧侶は単に長生きなのではなく、釈迦牟尼が死の直前まで説法したことに象徴されるように、健康で生き生きとした意欲と知性を保った長生きである。

そして、島田氏は、僧侶が長生きする理由の推測として、①睡眠や適度な運動など、生活が規則正しいこと、②読経や座禅と呼吸法が精神を安定させること、③精進料理や茶などの質素な(低カロリーの)食事、④よく歩くことによる強靭な足腰が健康につながる、⑤高齢になっても、老いてますます尊敬されて居場所・役割・生きがいがあること、⑥悟りという目的が人生の最後まであり、全てを委ねる精神が、安心感と長生きを助けること--などを指摘している。

 

※第6章参考文献

・『疫病vs神』 (島田裕巳著・中公新書ラクレ)

・『捨てられる宗教 葬式・戒名・墓を捨てた日本人の末路 』(島田裕巳著・SB新書)


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