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第48回心理学講義 『宗教体験を科学する』

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  今回の心理学講義は、ペンシルバニア大学教授のアンドリュー・ニューバーグとペンシルバニア大学精神医学の助教授ユージーン・ダギリの宗教体験・神秘体験の神経学的研究をもとにしたものである。


1.神秘体験は科学的に観測できる生物学的な過程

SPECT装置という画像診断装置によって脳の神経活動を調べるという実験がある。脳の血流の分布が写され、脳の活性化のレベルがわかる。血流が増大していれば、その領域がさかんに活動していることになり、血流が減少していれば、活動も低下しているということである。

この装置を使い、瞑想状態の脳の活動を調べた。チベット仏教徒である瞑想者が瞑想のピークに近づいたら、そのことを合図で観察者に知らせることで、深い瞑想状態のときの脳の活動を計測する。
その結果、上頭頂葉の後部(頭頂連合野)の活動が低下していることがわかった。このことは、たいへん興味深いことだという。なぜなら、頭頂連合野はいかなるときも活動を続けているということがわかっているからだ。そこの活動が低下したのである。また、前頭前野の活動が活性化したこともわかった。宗教的体験において、前頭前野の活動が高まっていることは多くの研究で明らかにされている。前頭前野は、思考、計画、意志(意思)に関与する。
また、頭頂連合野の活動の低下が大きいほど、前頭前野の活性化も著しいという相関関係があることもわかった。このことは重要である。その説明は後ほどおこなう。

頭頂連合野の主な働きは、空間の中で自分自身の位置づけをすることで、自分と自分以外のものに境界線を引き、自分と自分以外のものを区別するというものである。この働きが低下するということは、自分と自分以外のものを区別する感覚が弱まるということである。
このことは、瞑想者たちが語るそのときの意識状態の表現と一致している。それは、「自分が、存在するすべての人、全てのものの一部になったように感じる」「時間を超越し、無限がひらけてくるような感じ」という言葉からわかる。意識が静まって、不安、恐怖、欲望など日常に心を占めている雑念を捨て去った後に残る何かこそ、本来の自分であり、これは孤立した存在でなく、万物と分かちがたく結ばれているという直観であるという。

この実験は8名のチベット仏教徒に行い、その後、フランシスコ修道会の修道女が祈りをささげているときの状態を同じ方法で調べた。その結果、祈りによって深い宗教的境地に達したときの脳には、瞑想中の仏教徒と同じ変化が起きていた。仏教徒との違いは、「触れられるほど近いところに神がおられる」「神との合一」などと表現することだ。仏教徒は、自他の区別がなくなる体験であり、修道女たちは、人格神のイメージや表象は残っている。この違いはどういうことなのかは、瞑想の種類の違いと神経学的脳の働きの違いであるということに留めておく。

被験者は頭頂連合野が損傷を受けたり、機能不全を起こしたりしているわけでもないということだ。

この実験は、古くから神秘家たちが語ってきた体験が脳の活動と結びついていることを示唆する。神秘体験は、観察できる脳の神経学的な過程であると言えそうだ。

瞑想体験が観察可能な神経活動と関連づけられるからといって、その体験がリアルでないことの証拠にはならない。体験はすべて脳の中の体験だが、私たちの日常生活の体験もすべて脳内の体験であり、それは同じである。脳内の体験イコール外界に何も存在しないということではない。ご飯を食べるとき、味の感覚、美味しいという感覚も脳内での体験である。ではご飯は存在しないかと言えば、ちゃんと外界に存在する。しかし、外界に存在するものをどう感じるかは脳内の体験であって、生き物によっては、それを「ご飯」だとは感じない場合もある。よって、神との合一という体験が脳内の体験であるからと言って、それは、神の存在を否定するものでも肯定するものでも、いずれでもない。

 

 

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