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私と一般の方々との意見交換の中から、Q&A方式にしてご紹介します

Q&Aダルマの教え、説法内容について

利他の実践の行き着く先は?

Q:利他は、なぜいいことなんですか。
A


(上祐)  それはですね、人は自己を愛するから、
つまり利他の心がないから苦しむ。
簡単に言うと、利他が自己を本当に利するっていうことですね。

もう少し言うとね、要するに普通、というか
解脱・悟りの修行をしていない人というのは、
自分の利益と他人の利益が別だと思ってると思うんですよ。
わかるかな。

他人に勝つことが自分の幸福だと思っているでしょ。
そうじゃなくて、他人を利することが自分の幸福で、
自分と他人の幸福に区別がないんだという考え方なんです。
そういう意味で、利他が最高だと言ってるわけですね。

つまり、
「他人を利する、そして自分は犠牲になれ」と言っているのではなくて、
自分と他人の幸福は区別がない。だから区別せずにしましょう。
だけど普通の人は自分のことだけを考えている。
それで逆に不幸になるんだという意味です。

◎自分のことだけを考えていると不幸になる

(質問者)  自分のことだけを考えている人は必ず不幸になると。

(上祐)  そうですね。回り回ってそうなるということですね。
これは感覚としてはわかりにくいかもしれないけれども、
自分を愛するから苦しむプロセスならわかるよね。

例えば自分を愛していて、自分が他人より優位になりたいと思うけれど、
なれない場合は苦しいよね。
で、なれなかったとしても争う場合、争いの苦しみはあるよね。
それから、他人より優位になった場合、
その優位を守るために一生懸命やらなければいけないよね。
それから、老い、病み、死ぬ過程で、
そういった優位性というのは必ず崩れていく。

それから他人と争う中で他人を傷つけるから、
例えば国に関して言えば、アメリカとか日本とか争っている。
途上国とも争っている。
そういった中で相手からの反発、これはあるよね。
つまり他人を苦しめている場合、自分の方も傷つけられるということはあるよね。

そういったふうに分析していくと、結局、要するに自分を愛して、
その結果、いろいろな意味で苦しんでるというふうになってるんだね。

(質問者)  他人を利することでの苦しみというのはないんですか。

(上祐) 他人を利することでの苦しみはありませんが、
自己を利する習慣がついてる人を他人を利する習慣に変える、
その過程では苦しみがある。
産みの苦しみがあると思います。


◎「他人を利する」とは具体的に何か

(質問者)  他人を利するというのは、
具体的にどういうことを言うんですか。

(上祐)  それはいろんなレベルがあると思います。
いろんなレベルがあるけれど、究極的なものは、
他人も、その人も、自分じゃなくて他を利するような方向に
心を変えていってあげること、そういう導きだと思いますね。

もちろん初歩的なものとしては、
その人が貧しくて苦しんでいたらそれは与えるとか、
または、いろんな不安があったらそれを取り除いてあげるとか、
そういった施しもあると思うけれど、
最高のものは、自分にとって利他の精神がベストだとすると、
周りの人にとっても利他の精神がベストだから、
それを教えてあげるということが最高だと思います。

そういった意味で、自分にとっても他人にとっても、
要するに同じこと、利他の精神を共有するということだと思います。

(質問者)  その状態というのは、
すべての人が同じ価値観を持っているということですか。

(上祐)  自分ではなくて他人を愛するという意味ではそうですね。ええ。

(質問者)  でも他人にとっては、自分が幸福になることが、
その他人にとって幸福なわけですよね。

(上祐)  そうです。で、「自分が幸福になること」でいいんだけど、
その自分が幸福になるために何をしたらいいかということで、
それで利他というものがあるのか、それともエゴの追求があるか--。
つまり、他人と争って幸福になるのが本当に幸福になる道か、
それとも他人を利して幸福になるのが本当に幸福になる道か、
ということだと思うんだ。

社会現象で言えば、要するにアメリカ的に、
競争社会で、途上国や他国を排斥して優位に立つのが幸福か、
それとも、地球人類全部を幸福にするような社会をつくる
と本当にアメリカも幸福になるか。これは今、要するに、
大きな疑問として投げかけられていることだと思うんだが、
仏教的には後者の方が本当にアメリカも幸福になる、
と説いてるということですね。

(質問者)  後者の具体的な状態というのがわからないんですけど、
どんなふうな社会になるんですかね。

(上祐)  だからそれは、すべての人が他を利するために動いている。
例えば富んでいる、財でいえば富んでいる人が、
共産主義みたいに私有財産制がないというのではなくて、
またはそのすべてが公共財だから義務的にというのではなくて、
本当に自分の自発的な意志で貧しい人に分け与える、
そういうような社会ですね。

あの、税金とかで取られてしまうというんじゃないよ。
その人たちが、その精神として、思想として、
自分が持ってるだけじゃなくて他に分け与えようという意識があって、
で、分け与えてもらった人も分け与えようという意識がある、
そういう社会。
だからこれは政治システムというよりも、精神的なものですね。

◎利他の精神とは、「利他の精神」を他に与えること

(質問者)  でもそうすると、ほかの人が何か望んでることを、
わたしがやってあげるということが他人の幸せだということになると、
その他人は何かを望んでいることになると思うんですけど、
だったらその他人は
自分の欲望を持っていることになってしまうんじゃないですか。

(上祐)  うん、だからそういうことはやらないんだ。
例えば、日本と途上国の関係において、
途上国は経済的に発展したいと考えているよね。
それで途上国を経済援助する。
そうやってると、日本と途上国がライバル関係で争うようになる。
そうすると、将来、どっちかが負けるということになるよね。

簡単に言うと、
「二番目の日本」や「三番目の日本」をつくってもしょうがない。
それをやり続けると、今度は地球がパンクしてしまうんだよね。
だから要するに、
他人の欲望をそのまま満足させるということがいいとは思いません。

結局途上国の援助でベストなのは、もちろん貧しければ、
本当に飢えている人には与えなければいけないけれども、
結局、要するに最も重要な援助というのは、
途上国の人も、周りの人たちのことを考えてという、
精神的なものを、精神的な教えを援助することだと思います。
つまり、利他の精神を持ってる人をどんどん増やしていくことだと思う。

わたしが言った利他の精神というのは、
他人の欲望を満足させるという意味じゃないんだよ。
利他の精神というのは、最終的には、
他人にとっても根本的に必要な利他の精神を与えるということ。

◎自分の幸福と他人の幸福が区別できない

(質問者)  わたしにとっても他人にとっても、
根本的な幸福の状態というのがあるということですか。

(上祐)  そうです、そうです。

(質問者)  利他の精神ではないんじゃないんですか。
また別の三つ目のものなんじゃないんですか、なんか。

(上祐)  そういうふうに言うこともできるよ。
つまり、自分の幸福と他人の幸福が区別できない、
というのが真理だっていう考え方ですね、簡単に言うならば。

つまり、利己の精神というのが今あって、
利他の精神というのがよくいわれているけれど、
その利他の精神というのは、宗教で言う利他の精神は、
根本的には利他の精神というより、
自分と他人の幸福は区別できないんだと。そういうことなんだ。

他人を利することは自分の幸福になる。
そしてそれは、自分が利そうとしてる他人にとってもそうだと。
自分を利してくれる他人をつくれば、
それはその人にとっても幸福になるし、
自分も同じようにその人を幸福にすれば自分も幸福になる。
そういったものがあるんだということですね。

(質問者)  区別できない幸福というのは、具体的に何なんですか。

(上祐)  そのときに達成させる幸福ですか。
それはやっぱり心の解放というものだと思います。
人間は結局、例えばその自分の幸福を求めるために、
他より優位になる情報、他より優位になる状態を求めるあまり、
心がものすごく苦しんでいる感じがするんだね。

そういうものから一切解放されて、
心が要するに自分だけに閉じ込められなくて、
全体に、究極的に言えば宇宙に広がったような解放感、
これが人が本質的に求めてるものだが、
しかしそれがなかなか得られないんで、
お金とか、まあ例えば異性とかそういうものに戻っていく。
簡単に言うと、心の完全な安らぎというか解放というか、
そういったものですかね。それを解脱といいます。

それと似たような、
でもしかし偽物の幸福はたくさん世の中にあって、
それをみんなで奪い合っている、そういう状態だなと思うんです。

(質問者)  わかりました。

◎自分と他人が一つになった感覚

(上祐) はい。あ、ちょっと加えるけどね、
そのときは自分と他人が一つになったような感じになるんだよ。
つまり自分も他人にというか、
自分の外に意識が広がったような感じになる。
他人もその人の外に意識が広がったような感じになる。
結局、そういう感じになると、
自分と他人が融合したような感じになる。

つまりニルヴァーナという世界は、自分と他人が区別されない世界。
宇宙があるとするでしょ。宇宙意識というのが解脱の状態なんだ。
だけどそうじゃなくて、本来、宇宙全体に広がっている意識が、
その宇宙の中にあるいろいろな"自分"というものに
閉じ込められた状態というのが、
今の自我の状態なんだ--ということです。

それから利他の実践をすることによってどんどん意識を広げていくと、
最終的に、例えば瞑想において、ないしは瞑想しない状態でも、
全体に意識が広がるような感じになる。
そうすると、この人も全体に、この人も全体に、
この人も全体に、この人も全体に広がっていくから、
この宇宙という大きさの中ですべてのものが合一する。

ある意味じゃ、コップの中に水が入ってるとするでしょ。
十個のコップがありました。それぞれが
「これ、わたし」「わたし」「わたし」「わたし」「わたし」と思っている。
でもそれを宇宙の海の中にぜーんぶ投げ込んだら、
一つにまとまって区別つかなくなるじゃない。
その解放感みたいなのが解脱なんだっていうことですね。

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