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私と一般の方々との意見交換の中から、Q&A方式にしてご紹介します

Q&Aダルマの教え、説法内容について

仏教でいう究極の悟りとは?

Q:わたしもちょっとヨーガとか仙道をかじってるんですけども、
仏教でいう悟りというのは、何を悟ることなんでしょうか。
A


(上祐)究極の悟りという意味ですか?

(質問者)はい。

(上祐)それは「自分と他人の区別からの解放」だと思います。
今あなたは、今そこに肉体があって、
それをあなたと思ってますよね。
その思い込みからの解放ということができる。

例えば、批判されたときとか、
これがわたしだと思ってたら苦しいでしょう。
しかしそうじゃなくて、というか、
それって本当なんだろうかというところが、
仏教の悟りの修行の中核にあるんですね。

この肉体は確かに、普通"わたし"といいます、わたしから見ると。
しかしこれは老い、病み、死んで消えていきますよね。
そうしたら「これはわたしなんだろうか?」--、
そういった瞑想があるんです。

それをどんどんどんどん深く悟っていくと、
要するに普通あなた方が"わたし"と呼んでいる、
これ"自我"っていうんですけど、
これに対する執着が薄れていって、
自分が傷ついても苦しまない状態になる。
言ってることはわかるかな。

(質問者)自分がないからですか。

(上祐)うん、自分に執着しないっていうか。
簡単に言うと、意識というのは、
例えば霊的修行をすればこの肉体からも離れることができるし、
または瞑想修行をやったら、この肉体の感覚がなくなって、
意識だけの世界に入ることもできるんですね。

◎肉体は精神的な牢獄

(上祐)では、一体この肉体というのは何か、というと、
「一つの精神的な牢獄なんだ」という悟りがあるんです。
普通はこの肉体を中心とした"わたし"に意識が閉じ込められていて、
これを批判されると傷つけられると苦しみますよね。
でもそれって「なんで苦しまなければいけないの?」っていう境地になる。

これって別に、これがわたしだというのは、
子供のときからマインドコントロールされた結果でね、
「あなた、あなた」とかいって、で、
いじめられたら「痛いでしょ? 痛いでしょ?」とか、
「大変だったわね」ってお母さんに言われる。

そうやってずーっとマインドコントロールされてきてるわけですけれど、
それがもしなかったとしたら、
例えば悪口を言われたり、または例えば体が傷ついたとしても、
切ったときは痛いかもしれないけれども、
それによって自分が不幸だというふうに思わない、
そういう状態になるんです。

それっていうのは論理的には可能なことはわかるでしょ。
"わたし""これがわたしだ"というのは一つの考え、
思想であって、マインドコントロールの結果なんだ。

それはでも生きている人間ほとんどすべてにあって、
それから解放される道が、
そういった修行の最終的な局面だと思いますね。

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