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私と一般の方々との意見交換の中から、Q&A方式にしてご紹介します

Q&A 新団体について

新団体ではなく、既存宗教への合流ではいけないのですか?

Q

既存宗教への合流という選択肢は、考えたことはありませんか。

オウムの残党を受け入れる組織は少ないかもしれませんが。

個々の元信者をオウムから脱却させるのならば、

新団体の設立よりも、個々の方の受け入れ先を探し、

新しい道へと誘うほうがより正しい姿ではないでしょうか?

A

新団体は、従来の宗教をそのままおこなうものではありません。

ですから、新教団ではなく、新団体と呼んでいます。



自分たちは、オウム・アーレフにおいて、麻原氏をキリストであると盲信した過去があります。

しかし、盲信という視点から見ると、私たちが従来の宗教に行く場合も、それを信じ込まなければならない、ということがあります。



そして、私たちの目から見ると、既存の宗派は、21世紀の今の時代から見ると、若者や知的な人に受け入れられるだけの十分な特性がないように感じます。

例えば、現代性・科学性・客観性、そして、霊的なパワーといったものでしょうか。



これは、何か自分たちがしっくりかないことでも信じ込まなければならない、ということで、伝統的な宗派であれば、千年以上も前の流儀、形式、教義を信じ込まなければならないし、新興宗教ならば、正に麻原氏に変わるグルを信じ込まなければならない。



麻原氏がキリストであり、教団が聖なる存在で社会は悪魔である、という盲信の極みを経験した私は、ある意味で、今度こそ、自分が納得がいかない信仰は一切超えたい、と思っています。



とはいえ、麻原氏に最初に会ったときは、非常に合理的、論理的、科学的な教えだなと思いました。

それが、だんだん、終末思想的な預言ができて、妄信的になっていったのです。



だから、今度は、自分たちで、それを完全にコントロールしたい、と考えています。



分かりやすく言うと、業によって、盲信の極みの宗教に陥った者として、その痛みを背景に、今度こそ、自分があらゆる意味で納得がいく、21世紀の宗教を超えた新しい宗教、新しい思想、精神的向上の道を切り開きたいということです。



これは、盲信の鋭い痛みを経験した者が、その痛みを背景に、何か新しいものを生みだそう、というものですから、実際に強い痛みを体験した者と、伝統宗派の中にいて、そのような経験のない人では、本質的に、今後の宗教の改革にかける思い・情熱も、方向性も違う、と思います。



伝統的な穏和な宗教も、昔は過激だったことがあるでしょうが、今やっている人たちは、自分たち自身でその過激な時代を生きて、その上で、それを乗り越えていったのではなくて、歴史の結果を与えられているのでしょう。



私自身が、出家前は、早稲田の理工学部から、宇宙開発事業団に入った人間であり、その後、オウムで麻原氏の盲信するに至ったものの、もともとは、合理的思考が強いので、精神的な世界、霊的な世界は好きですが、盲信が好きなのではありません。



今回は、その個性を他の新興宗派の教祖や、伝統流儀の下で殺すことなく、今回は、自分なりに納得いくものを作りたい、と思います。



また、自分たちの新団体に限らず、21世紀は、宗教全体が大変革をするべき時代だ、と思います。

それだけ宗教には、今現在、時代にニーズに合わない、大きな問題があると思います。



まず、オウム・イスラム原理主義のようなタイプの宗教は、とても勢いはあるが、盲信と他との闘争を特徴としており、社会にとって、好ましくないものとされています。

いわゆる、善悪二元論が強い、カルト的な宗教・宗派です。



このため、世界は宗教的紛争、闘争、戦争があります。対テロ戦争も基本的には宗教絡みですね。



一方、日本の伝統宗派は、社会には融和していますが、どこを訪ねても、高齢の信者が中心ですね。

若者が少ない。



すなわち、よく言われるように、現代性、21世紀性がなく、ある意味で形骸化しており、若者が救われると感じるパワーはない場所になりました。

テロはないですが、人が集まることもない。



だから、オウムのようなところに、若者が行ったんですね。



この意味で、オウムに来た者の中には、既に過去において、伝統宗派ではなく、オウムを選んだのですから、今から、伝統宗派に行く気にはならない人もいるでしょう。



しかし、もちろん、伝統宗派の中で、少しずつ、この状況を打破しようとされている方がいることは、よく承知していますし、そのような方と個人的な繋がりもあります。

そして、彼らの信仰をそのままではないけれど、彼らから学んで良い部分は取り入れたいと思っています。



だから、全国の神社仏閣も回りました。

既存宗教の特に伝統的な宗派は、その総本山を含めて、回りました。



真言密教の高野山、天台宗の比叡山、修験道の金峯山寺、浄土真宗の東本願寺その他。



そして、新団体では、真言密教のいいところ、浄土宗・浄土真宗のいいところ、修験道の良いところ、天台宗のいいところ、色々学ばさせていただきますし、今でも学び続けています。



そして、彼らには、がんばって欲しい、と思いますし、私のこういった発言が、良い意味での刺激になれば、とまで思っています。

宗教界が切磋琢磨して、21世紀に、人類から見捨てられないようにしなければならないと思います。



今のままだと、若者は宗教を嫌い、知的な人は馬鹿にする、せざるを得ない時代になると思います。

宗教は、その生き残りをかけて、自己改革しなければならない、と思います。



次に、ごく単純なことですが、宗教活動の目的は、金銭の追求ではないので、実際に実践する場合は、頭で考えて、こうすればいい、というものではなくて、感覚的に自分のフィーリングにあったものではない、と実際には実践できません。

つまり、それが肌に合わないとダメでしょう。



仕事場ならば、目的が給料をもらうことであれば、仕事場が肌に合わなくても、転職も考えられる、と思います。



宗教・思想の場合は、そうではありませんから、それが難しいですね。

肌に合わない、感覚に合わないのに、無理して信仰している振りををすることはあまりに不自然だと思います。

信じていないのに信じるように努めるわけですね。



これと本質的には同じことなのですが、宗教だけに限ったことではありませんが、特に宗教は縁によってできるものだ、と思います。

縁のある者同士が集まって、作っていく。

これは理屈ではないですね。感覚的なものでしょう。好き嫌いですね。

つまり、好きな者同士集まってやっていく。



私と共に新団体をやっていく人間は、オウム・アーレフの中で、新団体に来ない非上祐派の人たちに比べると、事件を無視し、麻原氏の時代の信仰をこのまま続けていくことは、おかしいと感じるという点で一致し、非上祐派の人たちから、教団内で排除、排撃される中で、寄り集まったグループです。

その意味で、何らかの縁があるのだろうと思います。



繰り返しになりますが、既存の宗教をおやりになっている方については、私は、それをとても尊重していますし、それから学ばさせていただいていることを感謝致します。

そして、それを信じることが、その人に合っていて、しかも、私どものように他人に迷惑をかけないならば、全く否定されるべきことではなく、尊重・尊敬されて良いと、と思います。



単に私の場合は、過去のオウムでのひどい流れも含めて、いろいろなことがあったために、既存の宗教をそのまま信仰しよう、ということにならないのでしょう。

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『危険な宗教の見分け方』

ジャーナリスト・田原総一郎氏×上祐史浩の対談本『危険な宗教の見分け方』(ポプラ社)

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