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私と一般の方々との意見交換の中から、Q&A方式にしてご紹介します

Q&A 人生の意味について

何をやっても虚しさを感じるのですが

Q:今、わたしは大学生なんですけれども、
高校生のころは受験という一応目標があって、
まあそれなりに忙しくて、
人生について考えてなかったんです。

でも、大学に入って、たくさん自由な時間ができて、
いろいろやってみたんですけれども、
何やっても、やってる間はいいんですけれど、
やり終わったら非常になんか空しいんですよ。

それで最近、
人生ってそんなもんなのかなあというふうに
考えてるんですけど、
どう思いますか?

A


うん、それは悪いことじゃないと思います。
人によって違うんでしょうけれど、
結局、人生が空しいというのは釈迦牟尼の境地ですから。

それで、要するに普通の人生を超える何か変わらない幸福というか、
真理の探求に入っていったんだと思うんですね。

修行を始める人は、たいていそういった形で
何らかの空しさや苦しみ、不足感といったものを原動力として、
修行に入っていくんですよね。

で、そうではなくて、まあ絶えずというか、
人生最後のときまで、例えばお金を目当てに、名誉を目当てに、
権力を目当てに......そういう人もいる。

そのどちらが幸福かというと、
わたしは明らかに前者の方が幸福だと思いますね。

つまり、仏教的に言えば、老い、病み、死ぬ中で失われてしまうもの、
そのものに早く飽きてしまって、
より絶対的ものの探求に入っていけるわけでしょう。

だから、端的に言うと、
あなたの功徳というかカルマがいいんじゃないかと思うんです。
そういうものに早く飽きた方がいいという側面があるわけです。

ただまあ、わたしは現世的なことで優秀な人も称賛しますけどね。
それはそれで徳の現われなんで。それはいいとは思います。

ただ、そういうことに飽きてしまって、
そういうのがあまり得意じゃない人でも、
修行者としては非常に素晴らしい徳を有している、
そういう側面があるから。

現世に飽きる人、飽きない人、人生に飽きちゃう人、飽きない人、
両方がそれぞれの味わいを、
人生において個々人の個性として実現できればなとは思います。

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