2010年までの日記

寂しさ・卑屈を超える大乗仏教の智恵4
(2010年08月05日)

さて、前回までに、人と人の間には、違いはあるが、それは優劣ではなく、個性であって、お互いを助け合うための役割の違い、であるというお話をしました。そして、そう考えないと、自分はだめだ、生きている価値がない、と考えてしまい、卑屈・寂しさ・孤独の原因となります。

また、今はそう考えていない人でも、他人を見て、あいつらは、生きている価値がないと考えているならば、将来、自分が挫折・失敗した時などに、他人に向けていたのと同じ思考パターンが、自分に向けられることになります。人生には、誰もが一度や二度の大きな挫折があると思いますが、他人に向けた冷酷な刃が、自分に返ってくるということです。

さて、人と人の違いは、優劣ではなく、個性・役割の違いである、という考え方、そして、その背景にある、自分の欠点・失敗・苦しみは、視点を変えれば、長所・成功の元・幸福になるのだ、という考え方は、その果てに、神や仏の存在という視点が生まれてくることがあります。

逆に言えば、自分がだめだ、生きている価値がない、または、あいつはだめだ、生きている価値がない、世の中は苦しみ一杯だ、と考えている人は、この世に神仏が存在して、万物を神仏が現しているという宗教的な世界観は信じがたいことでしょう。

大乗仏教や神道は、自分や他人を含めた、この世界は、神仏の現れ・神仏の一部・神仏の子であると説き、キリスト教は、この世界は、神仏の創造物であると説きますが、多少の表現・解釈の違いがあっても、宗教の多くは、この世の万物の存在の根元に神仏があります。

それに対して、自分や他人を含め、この世には、だめなやつが多くいて、生きる価値のないものが多いと考えるならば、この世を現した全知全能で慈悲深き神仏などは存在しない、存在しないからこそ、この世はこうなのだ、と考えるのが自然ですね。

こうして、自分や他人といった人間存在を価値あるものとして愛する、尊重することが出来るかどうか、いうことと、人間を含めた万物の根元に神仏が存在すると信じるかどうかは、根底において、繋がっている部分があると思います。

かといって私は、神仏や宗教を信じている人が、自分や他人を愛していると主張しているわけではありません。というよりも、現在の多くの宗教は、必ずしも、そうできていないと思います。場合によっては、自分も他人も本質的に愛することが出来なくなる歪んだ信仰があります。

また、自分や他人を愛している人は、神仏や宗教を信じるはずだとも主張していません。特定の神仏や特定の宗教を信じていなくても、自分や他人を愛することは可能だからです。ただし、そういった人の場合は、広い意味での宗教性、例えば、人智を超えた何かを尊重する謙虚さ、というものがあると解釈できる場合が多いと思います。

そして、日本人の場合は、後者の宗教性は非常に高いと思います。言い換えれば、それこそが、日本的な宗教性であると言うことが出来ると思います。

読売新聞が特集した「日本人の宗教観」という世論調査によると、「宗教を信じている」という人は3割以下にもかかわらず、日本人の半数以上は、「自分たちの宗教心は薄くない」と考えており、さらに、「自然の中に人間の力を超えた何か」を感じ、日々の暮らしでは、「墓参り」「初詣で」などを宗教色を意識せずに受け入れています。

1宗教を信じているかどうか 「信じている」26,1%  「信じていない」71,9%

2日本人は宗教心が薄いと思うか? 「そうは思わない」48,9%、「そう思う」45,1%、
→特定の信仰の有無と、宗教心の有無が一致しない。日本人特有の宗教観。
「そうは思わない」と答えた人が最も多かった年齢層は40歳代の54%。

3先祖を敬う気持ちは?   「持っている」が94,0% 「持っていない」4,5%
→年代別でも、「持っている」は、20歳代でも86%、30歳代以上で9割超を記録

4自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがあるか? 「ある」56,3%、「ない」は39,2%
→「ある」はすべての年齢で5割超、「宗教を信じていない人」と答えた人でも51%

5日常生活の中の宗教的行為
1盆や彼岸などにお墓参りをする 78,3% →「宗教を信じていない」と答えた人でも77%。
2正月に初詣でに行く 73,1% →「宗教を信じていない」と答えた人手も74%。
3しばしば家の仏壇や神棚などに手を合わせる 56,7%

6死んだ人の魂については、
「生まれ変わる」29,8%、「別の世界に行く」23,8%、「墓にいる」9,9%、
「消滅する」17,6%。「魂は存在しない」9,0%。
→何らかの形で死後の存在を信じている人が過半数を超えている。

皆さんは、どうでしょうか。神や仏の存在を信じていらっしゃるでしょうか。そして、信じているという人は、どういう意味で信じているでしょうか。信じていないという人は、どういう意味で信じていないでしょうか。良く考えると、信じていると考えている人が、別の視点では信じておらず、信じていないとした人も、他人から見ると信じている人に見えるかもしれません。

そして、ひかりの輪は、この日本的な宗教心、宗教性、霊性といったものを大切にしています。例えば、純粋な自然の聖地に行くことがあるのも、その一環です。また、最近は、一般にも、聖地に行く人が多くなっているようですね。

さて、次回は、科学の世界から、神仏の存在との接点をみたいと思います。それは、非常に興味深い内容です。例えば、人智を超えた超越した何か(=神仏?)が、個々の存在が互いを助け合うように役割分担をしているとも解釈できる、科学的事実もご紹介します。

なお、私自身は、早大の大学院を卒業した科学指向と、その後の宗教人生を双方を抱えている人間です。また、オウムでの過ちから、盲信を超えることをテーマとしています。そういった視点から、宗教好きの人も、宗教好きでない人も、どちらの方でも、利益になるお話ができれば、と思います。


※付記
神道と仏教が融合した神仏習合の文化を持つ日本らしく、神と仏を一体と見て、神仏と表現させていただいています

 

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