2010年までの日記

苦しみをごまかすことと超えること
(2008年11月14日)

今日は、苦しみをごまかすことと、超えることの違いについて、
自分が思うことを書きたいと思います。

多くの場合、人は苦しみがあった場合、
それをごまかす方向で、処理してしまうと思います。

多くの人が、この競争社会の中で、自分の存在意義などの欲求が、
満たされないストレスを感じていると思います。

そして、それを様々な享楽で、一時的にごまかす。
酒・たばこ・グルメ・ファッション・ギャンブルなどなど。

また、別のパターンのごまかしもあると思います。

一部の宗教では、現実にはいまひとつの人たちが、
その宗教を信じることで、一瞬にして、それを信じない人たちより
優れた存在(選ばれた存在)になり、それで満足する。

これは大宗教から、新興宗教、そして、一部の政党にも
働いているメカニズムだと思います。しかし、実際には、
それは、妄想でしかない。この一つが、オウムでした。

これは、ごまかしであると同時に、現実からの逃避だと思います。
そのつけは、どこかで回ってくる。

社会全体においても、つけが回ってくる。娯楽による消費主義は、
地球環境問題を起こし、バブル経済の原因の根底をなしている。

妄想的な宗教世界は、宗教と社会、及び 宗教と宗教の間の摩擦・闘争、
宗教テロなどをもたらす。

では、一体何が、本当の苦しみからの解放の道なのか。

それは、もちろん、たった一つしかないものではないでしょうし、
特に言葉で、表現すれば、様々に表現できると思います。

しかし、私が行き当たった一つの考えは、
自分の苦しみをごまかして、逃避することではなく、
この世界では、自分だけではなく、多くの人達が、
自分と同じ、いやそれ以上の苦しみの中にいるのだ、
ということを認識することでした。

そして、思うだけでなく、できるならば、それを取り除くこと。
これが、仏教で、慈悲と呼ばれることだと思います。

この延長として、菩薩とは、自分が苦しいときに、
他の苦しみを思うことが出来る人のことだと思うことを
前にも日記に書きました。

自分だけが苦しんでいるかのように錯覚し、
自分のことばかり考えていると、実際よりも、
大きな苦しみを感じると思います。

過剰な不安、被害妄想も生じ、人によっては、
客観的には希望があるのに、絶望して自殺する人まで。

一方、大慈悲は、まず、自分の心を落ち着かせ、
強いものにしてくれます。

そして、静まった心の状態から生じる智恵によって、
困難を突破する道が見えてくる。

仏教が説く智慧と慈悲は一体だと思います。

私も、様々な社会的な条件の中で、団体を運営し、
オウム時代の賠償を背負っており、楽ではないのですが、
これは、自分を真の智恵と慈悲に導く、仏の祝福だ、
と考え、喜びにするように努めています。

では、いつもの通り、皆さんのご意見をお待ちします。

皆さんは、何が、上記のような現代人の苦しみを取り除く道だ、
とお考えでしょうか?
皆さんのさまざまなご意見をお待ちします。
よろしければメールでお聞かせください。
メールアドレスjoyus2007@yahoo.co.jp

なお、この日記を載せている、私のmixiの方で、
活発な意見交換がなされていますので、
よろしければ、のぞいてみてください。

 

 

<<< 前へ【極楽・天国とは何か? それはあるのか?】

次へ【「負け組」思考から自分を解放する】 >>>

ひかりの輪ポータルサイト
一般の方のために
ひかりの輪YouTubeチャンネル
ひかりの輪ネット教室
ひかりの輪ネットショップ
著作関係
外部監査委員会
アレフ問題の告発と対策
地域社会の皆様へ