2010年までの日記

極楽・天国とは何か? それはあるのか?
(2008年11月03日)

(2008年10月29日)

皆さんは、極楽浄土とか、天国といった存在をどうお考えでしょう。

日本人の多くが生れ変わりやあの世を信じているという世論調査を前回ご紹介しましたが、だとすれば、仏教の説く極楽浄土や、天国といったものもあるのでしょうか?仮に、あるとすれば、そこには、どこにあって、どうしたらいけるのでしょうかか。

私は、来世やあの世の極楽浄土や天国については、科学的には証明されない事実であることを冷静にわきまえつつも、仏陀・仏典を尊敬する立場から、否定しない立場をとっています。

しかし、それ以上に重要なこととして、この世に生きている人の心の中に、極楽・天国と地獄があると思うことがあります。

他人や環境は、見方によって、善いものにも、悪いものにも見える。例えば、悪いことをしている他人も、それを単純に他人ごとと見ず、自分の潜在的な可能性であると見れば、半面教師としての導き手になる。全ての人が、自分の助力者になると思います。

逆に、自分が不幸であることを他人のせいばかりにしている人は、嫌な人ばかりがいると思い、人生が嫌になったり、引きこもったりして、生き地獄と言えるでしょう。仏典では、孤独な地獄として孤地獄があるとも言われています。

その意味で、他人や環境自体に、善とか悪とかがあるのではなく、人がそれをどのように解釈するかによって、善し悪しが生じるものだと思います。そのため、良い世界、悪い世界、その究極である極楽・天国と地獄というのは、人の心が作り出すものではないかと思うのです。

まずは、人の心の中に生まれ、それが外界に投影されるといったらよいでしょうか。

今、長野の小諸教室にいます。この近くには、以前の日記でも紹介しましたが、極楽浄土の仏で有名な阿弥陀如来が、有名な善光寺に祭られています。あと数日は、小諸にいて、阿弥陀如来やその化身とされる観音菩薩の聖地に行ったりして、来世と現世、浄土・天国と地獄について考えみたいと思います。

極楽浄土とは、仏典において、阿弥陀如来がすむ浄土の名前です。浄土とは、清浄な国土という意味です。そして、この浄土信仰の中にも、浄土は、人の心の中にあるという考え方と、この世ではなく、西方の方角に、極楽と呼ばれる浄土があり、阿弥陀念仏によって、その世界に生まれ変わるという信仰があります。

阿弥陀念仏とは、阿弥陀を念じて、心を込めて、阿弥陀の救済を信じ、阿弥陀の名前を唱える(有名な南無阿弥陀仏、なみあみだぶつ)ことです。日本では、鎌倉時代などに、法然・親鸞による浄土宗・浄土真宗によって、爆発的に広まり、今での伝統仏教の宗派としては日本最大と言われます。

それまでは寺院を寄贈できるような貴族だけに限られていた仏教の救済対象が、庶民にまで大きく広がったことは画期的だったと思われますが、同時に、戦国時代は、一向宗(=浄土真宗)による一向一揆の動きが起こり、織田信長との激突による破局を迎えるなどしました。

その際は、一向宗の門徒に対して、(戦いから逃げずに)進めば極楽(に転生でき)、退けば地獄(に落ちる)という教えが説かれたとも言われます。これは極楽浄土が来世にあるという考え方の典型だと思います。今生は戦争だが、来世は極楽ということです。

最近のイスラム過激派の自爆テロでも、若い人が行なうケースが多いそうですが、自爆テロをするならば、来世天国に行けると教えられるそうですが、これも似た考えですね。オウム真理教の世界観も、突き詰めれば、グルに従って、今生は聖戦を行い、来世は高い世界に生まれ変わるということでした。

そういったこともあって、私は、まずは、今生を生きている自分の心を鍛錬して、心の中に幸福=極楽を生み出すように生きるべきであり、そうしてこそ、来世においても、極楽浄土に生まれ変わると考えるべきだと思うようになりました。すなわち、今生と来世の極楽・地獄を区別せず、今生きている世界に浄土を見る、という考えです。

皆さんのさまざまなご意見をお待ちします。
よろしければメールでお聞かせください。
メールアドレスjoyus2007@yahoo.co.jp

なお、この日記を載せている、私のmixiの方で、
活発な意見交換がなされていますので、
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