2010年までの日記

博愛の人も、エゴの人? ではどうすれば?
(2008年09月25日)

前回は、欲望と博愛・慈愛が同根の側面があるのでは、
と書きました、

今回は、このテーマの実際な側面として、
私達が、博愛・利他の行為をする場合にも、
動機の中に、自分のためにそれをやっている、
という意味で、エゴと無縁ではないものがあるのでは、
というお話です。

宗教家、政治家、慈善活動家でも、人間はたいていが、
自分の存在価値を追求して、その道に入りますから、
利他の実践をすると言っても、その根底には、
自分が重要な人間になりたいから、
利他・博愛の人になろうという心の働きがあるのだと
思います。

その意味では、利他・博愛の行為も、根底では、
自分のための行為=ある種のエゴでもある、
ということになると思います。エゴという言い方が
きつければ、自己向上欲求でしょうか。

その意味で、自分が思うには、利他の実践をする場合は、
自分のエゴを自覚した上で、それが悪さをしないように
努めるべきであり、さもなければ、独善的な行為に
陥りかねないと思います(オウム時代の反省です)。

最近は、誇大妄想を抱く人が多くなっているようで、
自分が、救世主である、偉人であるという妄想を抱いて、
実際には、他人に迷惑をかけてしまうケースがあり
それを誇大自己症候群と心理学では呼んでいるそうです。
ヒトラーなどは正にそうだったと思います。
ポイントは、現実・周囲に適用して、本当に他のためになることを
するか、独善的な世界にはまって迷惑をかけるかということの
ようです。

その一方で、自分が、利他の人、善い人になりたい、といった
タイプのエゴは、それをうまく活用さえすれば、実際に、
他を利する行為に結びつくエネルギーになりますから、
あれもこれも皆エゴだといって否定して、何もしない人間
になろうとするのは、それもまた何らかのエゴであり、
逆の意味で極端な行為でしょう。

そのため、善い人間になりたいと思う自分の心には、
エゴが同居していることを自覚して、なるべく、
その善い面が出て、悪い面が出ないように努める、
ということが、バランスの取れた心の持ち方だ、と思います。

皆さんは、この「善い行いをしよう、善い人になろう」と思う私達の
心に潜む問題について、これまでの経験を通して、
どうお考えでしょうか?

よろしければメールでお聞かせください。
メールアドレスjoyus2007@yahoo.co.jp

また、この件について、私のmixiの方で、活発な意見交換
がなされていますので、よろしければ、のぞいてみてください。

 

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