2010年までの日記

楽しみと苦しみは別のものか、つながったものか?
(2008年09月14日)


よく苦しいことがあるから、楽しいこともあると言います。

これを宗教の教義としたのが釈迦牟尼だと思います。

しかし、釈迦牟尼が説いたことは、一般の人が、
それを言うときのものとは違って、もっと徹底していて、
楽しみと苦しみはセットであり、別々のものではない、
という思想でした。

例えば、20万という給料があるとして、
それをもらう人が、
これまでは10万の給料で苦労していれば、
20万という給料は喜びであり、
これまでは30万の給料で楽していれば、
20万という給料は苦しみとなる、
といった具合です。

これは苦楽表裏(苦と楽は裏表)とも言われますし、
これまでに日記に書いた縁起の法の
意味の一つでもあります。

よく、私達は、大変なときに、「四苦八苦」といいますが、
実は、これは、人間の苦しみを分類して説明した仏教の用語で、
四苦は、生・老・病・死の四つの苦のことであり、
八苦は、これにもう四つが加わったもので、それは、

1 求めても得られない苦しみ、
2 愛著したものと別れる(を失う)苦しみ、
3 嫌なものに会う(を経験する)苦しみ、
4 一切の作られたもの苦しみである(この部分は諸説あり)、
というものです。

これを噛み砕いて、自分なりに説明すると、
誕生日おめでとうと生まれたことを喜ぶが、
出産するのは苦しいし、生きる喜びは、
老いて病んで死ぬという苦しみと不可分であり、

さらに、
何かを求めて得ることは楽しいが、
得られなければ苦しいし、
得てしまうと愛著・執着するから、
失ってしまう苦しみが生じるし、

また、好きなものを追求すれば、
その反対の嫌いものも生じてくるし、
こうして、一切のものについて、
苦しみを伴わない楽しみはない、
ということになると思います。

このように、仏陀の思想には、
楽しみと苦しみは別々のものではない、
という考え方があるようです。

もし、楽しみと苦しみがセットなら、
普通、私達が、ひたすらに、
苦しみを避け、楽しみを求めることに、
どういった意味があるのか?

苦しみと楽しみという視点からは、
人は何を求めて生きるべきか?

そして、そもそも、皆さんは、
楽しみと苦しみは別々のものだと
おもわれますか、それとも、
それは連動した、
表と裏だと思われますか?

仏陀は、
通常の苦楽を完全に表裏と考え、
真の幸福(真楽)は別にあるとし、、
それを涅槃と呼んだと、
私は解釈していますが。

よろしければメールでお聞かせください。
メールアドレスjoyus2007@yahoo.co.jp

なお、この日記を載せている、私のmixiの方で、
活発な意見交換がなされていますので、
よろしければ、のぞいてみてください。

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