2010年までの日記

昨日と今日の「私」は、真に同一の存在なのか?
(2008年09月11日)


mixiの日記より)

私たちは、昨日の私と今日の自分が同一のものである、と考えています。

しかし、科学的には、そう思いこんでいるだけだという見解もあるようです。
たとえば、記憶については、記憶が貯蔵される脳内の分子は
見つかっていないそうです。
それどころか、脳を含めた体の細胞の分子は、頻繁に入れ替わっており、
どこかの分子に貯蔵されたら、それが外に出て行ってしまう。

そして、実際、記憶自体が全く正確に維持されるかというと、
10年前のことと、今思い出す場合と、5年前に思い出す場合とでは、
厳密に言えば、内容がちがってくることを考えると、
記憶自体も少しずつ変質していると考えるのも合理的です。

同じ分子がずっと脳内に存在せず、絶えず入れ替わっているので、
分子と分子の繋がり方に、記憶が保存されるメカニズムがある、
という見解もあるようです。この場合、厳密に言えば、
つながり方が保存されると行っても、つながる分子自体は
新しいものに入れ替わっていくため、保存のされ方は、
大まかであり、分子の入れ替えの影響で、微妙に変化していく、
とも考えられます。

こうしてみると、昨日の私と今日の私の間で、
これが全く同じだというものは何一つない、
という不思議な事実が浮かび上がってくるように思います。
体も、心も、記憶も、全てが、厳密に言えば、一瞬一瞬
変化し続けている。

だからこそ、人は、過去の自分の状態を文字として記録したりする。
約束したときに、契約書を作る(作る必要がある)のも、
これが原因ですね。

そのため、仏教では、単純に「心」という言い方をせずに、
絶えず変化し続けている心を、無数の心が連続していると見なして、
心(意識)の連続体という表現を使います。

こういった「私」とか、「私の心」に対する見方は、
「私」というものを一つの固定的なものを見ることで、
「私」に対する執着が強くなりすぎて、
それが、人の最大の苦しみの原因である、
という仏陀の思想に通じるものです。

皆さんは、この自己同一性というものについて、
そして、それがもたらす幸福と不幸についてl
どう考えられるでしょうか?

メールでのご意見お待ちしています。
メールアドレスjoyus2007@yahoo.co.jp

なお、この日記を載せている、私のmixiの方で、
活発な意見交換がなされていますので、
よろしければ、のぞいてみてください。


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