2010年までの日記

何が「私」か?、どこからどこまでが「私」か?
(2008年09月10日)


最近、分子生物学者の本を読んだのですが、
私達は、日常で、「私」というものを「他人」というものから、
強く区別して、いろいろな争いがある、と思うのですが、
科学の目から見ると、それは、あまり合理的なことでは
ないようです。

というのは、人の細胞を構成する分子は、一年ほどで、
全部、食べ物などで取り入れたものに入れ替わってしまい、
分子レベルでは、自分と他人の区別がないそうなのです。
つまり、自分だけの分子とか、他人だけの分子とかはなく、
この地球環境の中を壮大なレベルで循環している分子が、
ある時は、Aさんに、ある時は、Bさんに、ある時は、
他の生き物に、そして、無生物になる。

その分子生物学者によると、「私」というのは、
その壮大な分子の循環の中で、地球の長い歴史から見ると、
ほんの一瞬寄り集まったものが、生じさせている
一種の効果である、としています。
一瞬寄り集まっていると言っても、その数十年間の間、
絶えず、その中身の分子は入れ替わり、
そして、一瞬一瞬、厳密に見ると、姿形大きさが、
変わっている。

そういった意味では、様々な生き物は、厳密には、
互いに独立して生きているのではなく、
人間の中の各細胞のように、各々は確かに生きているが、
一人で生きているのではなく、相互に依存し合って生きている。
その意味で、地球生命圏という巨大な生命体があり、
その中の細胞として、それぞれの生き物が存在している、
という解釈が成り立つのではないか、と思います。

爪も髪も、切る前は自分の物で、切った後は自分の物ではなくなる。
体内の酸素・窒素も、体内に有れば生き物の一部となり、
外に出れば無生物となる。どこまでが自分で、どこからが、
自分ではないか、明確な境界がない。

だとすれば、私達が日常生活で意識している、
他人や外界とは別の「私」という存在は、実際にあるというよりも、
人間の脳の中で、「私」という言葉などによって作られている、
一種の観念・概念ではないか、とも考えられます。

これが、仏陀の説いた無我という思想だと思いますが、
現代の科学によって、それがより具体的になってきたように、
私には思えます。

みなさんは、私たちの最大の関心の対象である、
この「私」とは、いったい何だと思いますか?

なお、この日記を載せている、私のmixiの方で、活発な意見交換がなされていますので、
よろしければ、のぞいてみてください。

メールでもご意見お待ちしています。
メールアドレスjoyus2007@yahoo.co.jp

※上記の分子生物学者とは、福島伸一(青山学院大学教授)など。

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